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それゆけ! ガンダム貧乏

SIDE.0 黒歴史:かつてイベントがあった


■1985年
 Ζが始まってしばらく経った初夏、わたしは小雨の中を隣町のジャスコまで自転車を走らせました。「Ζガンダムショー」があるというのです。女の子ばかりで連れ立って見に行ったそれは……金髪に赤と黒の軍服の男が会場の子供を拉致しようとしている場面で記憶が途切れています。

 ──って、何で最後まで覚えていないんだ当時のわたし! 思えば、ガンダムイベント人生はここから始まっていたのでした。

 多分これ。ハワイアン・Zガンダムショー実際にやっていらした方。

■1987−1988年
 「逆襲のシャア」公開前イベントというのが、名古屋テレビの主催でありました。1回目は87年12月、ゲストは富野さんと……どなたでしたっけ(;_;)
 2回目は8802.14で池田秀一さんと鈴置さんと弥生みつきさんでした。富野さんは、「名古屋のみなさんには恩がありますから」と頭を下げていらっしゃいました。

 どちらも質問コーナーに立たせていただけたのですが、1回目は富野さんに「今回の映画で決着がつくひとは良いんですけど、カミーユやジュドーみたいに決着がつかないひとはどうなるんですか?」とお聞きしたのでした(なんつーか直球勝負)。

 富野さんの回答は、(客席を向いて)予算の問題で出せませんでした。でも、好きな人はあまり出したくないとも思ったんです。(ここで舞台下手にいたわたしの方を向いて)カツみたいになってしまうから。」とのこと。

 この時点で、『あ、富野さんもちゃんとカミーユを好きでいてくれているんだ!』と自分に都合の良い解釈をして(笑)、だったらもう下手に出してくれるな状態になったものでした(その後「閃ハサ」とか読んじゃうとなぁ……)。 しかしこの時におトミさん個人にはまりまくり、以後何気におっかけ人生がスタート(笑)

 2回目は、SDか何かについてお聞きしたと思いますがあまり覚えていません。鈴置さんが池田さんと「次は『逆襲のミライ』ですね」とかお話されていた掛け合いが楽しかったです。名古屋出身の鈴置さんは、会場の名古屋松竹を懐かしがっていらっしゃいましたね。

 で、「逆襲のシャア」が公開された時の富野さんの舞台挨拶を見に行きました。始発くらいの電車に乗って名古屋松竹に並んで、運良く舞台挨拶のある回に入れました。この時の挨拶の内容も良く覚えていません。というのも、上映後の挨拶だったので、感想を富野さんにお渡ししようと一生懸命走り書きしてたからなのでしょう。ちゃんとお渡しできたのですけど、読める字だったかしら(_ _;)

 ──ところで、この「逆襲のシャア」公開時に、「ガンダム宣伝部隊」とかいう企画があったことを覚えている方はいらっしゃいますか? 松竹宛てに申し込んだのだったかどうかちょっとうろ覚えなんですが、会員証とステッカーを貰った記憶があるんです。その会員証に心得三か条があったんですが、1と2はとにかく宣伝に励め! みたいな、まぁ普通のことが書いてあったのに、3番目には
「電話が鳴ったら受話器を取って『ガンダム』と叫べ!」
 と書いてあって、そんなん無茶や! と涙した覚えがあるんですが(^^;

■1991年
 「F91完全版上映+スペシャルライブ」が名古屋テレビ主催でありました。んが!風邪を引いて飛田さんのお芝居もろとも欠席。しくしく。ゲストは富野さんと古谷さんと矢尾さんでした。LDを買えなかったのが残念でした。CDは再版されたんですけどLDはなかったんですよね。

■1993年・1996年
 93年のVガンのイベントは知らずにパス。10mVガンとかが全国巡行してたようなのですが。96年の「ガンダムSuperミュージアム」で、北九州スペースワールドにまで行きましたわさ。10年振りに下関の祖母を尋ねたついでだったんですが、皆からガンダムが主目的だと言われてました〜(自業自得)。

 とゆ訳で、その「ガンダムSuperミュージアム」のれぽーとをどぞ(^^)/

(9907.05)


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