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Gセイバーはガンダムじゃない?

 Gセイバーはガンダムではない。それは最初に書いた通りです。「ガンダム20周年記念」として製作されましたが、それでもGセイバーはガンダムではありません。これは作り手も言明してますし、実際に本編を見てもガンダムとは違うんです。

 ただそれは、「タイトルがガンダムではない」とか、「ガンダムという名のマシンは出てこない」とかいうだけの話ではありません。よく「ガンダムのリメイクをして欲しい」という意見を目にする度に、「それはドラグナーがもうやってるって」という反論が出てきますが、それは「機甲戦記ドラグナー」は「タイトルがガンダムではない」「ガンダムという名のマシンは出てこない」「宇宙世紀でもない」にも関わらず、やろうとしたことがまさに「ガンダムのリメイク」であったからです。

#ドラグナーの設定製作はGセイバーPDの井上幸一氏だったりしますが(^^)

 ではGセイバーはどうかというと、「宇宙世紀」の世界観は踏まえて製作されています。電撃ホビーマガジン2001年1月号に掲載の年表も、従来のUCガンダムのものの骨組みを踏襲していることが見て取れます。本編ではいきなり「セツルメント国家議会」なんてものが出てきますが、サウンドシネマでは「地球連邦は5年前に崩壊した」ことが語られています。
 そのうえ、主役メカのGセイバーは大河原顔で「ツノが2本あって目が2つ」という例の「ガンダム(顔)」のお約束を踏襲しまくっています。知らない人が見たら新作のガンダムのゲームかと思うこと請け合いです。
 となると、世界観と絵的なものに関してだけ見ると「実写版ガンダム」に見えてしまっても仕方ないのかなぁとは思うのです。

 ところが、本編を見ると、ガンダムには思えないのですねこれが。最初に書いた通り、「アメリカのTVドラマ」の文法で描かれているからなのだと思います。物語の成り立ちが非常に健全だというか、主人公の心の動きも実にあちらのひとのものだなぁというか。スタッフが日本人だけではこういう物語にはならなかったんだろうなぁと拍手してしまったのでした。
 いや別に日本のガンダムが不健全だと言ってる訳ではないんですが(^^;殊Ζ以降の「ガンダムシリーズ」として成立してしまった後の作品群が抱え込んでしまったもの(終われない物語としての業というか……)からは、Gセイバーは相当離れた所に存在しているように見えます。いや本編が出来て以降はお約束のメディアミックス展開はあるんで、完全に乖離してる訳はありませんが〜(^^; ゲームは本編の後日談になってるし、やっぱ続編作って欲しいなぁと思ってしまいますし。

 うーんやっぱ言葉で説明しようと思っても難しいですね。「Gセイバーがガンダムでない」ことを説明するには、まず「ガンダムとは何か」をはっきりさせないとならないからです。しかし、「名前」「世界観」「メカ」――そのような記号があればガンダムだ、とは言えないものがガンダムの本質ではないかと思うのです。とはいえ、シリーズを通して描かれているものは各作品によって全部異なる訳ですし、先に書いた通り「ドラグナー」だって立派にガンダムのリメイクであり、Gガンダムはガンダムであるが故にGガンダムなのだと思い知らされた過去もあるのです。

 じゃあ一体「ガンダム」って何よ、と考えた時に、やっと思い付くことは、子供向けの枠で製作された以上、主人公の成長譚が物語の軸になっていることが多いという、日本のTVアニメのごく当たり前の事柄にたどり着く訳です(細かい所では異論はあるとはいえ)。
 でもGセイバーはそうではないんです。一応向こうの基準である程度の対象年齢というものはありますが、有り体に言ってしまえば主人公は既に大人なので成長譚として描かれている訳ではないんです。完全に巻き込まれ型の主人公ではあるんですが、それでも大人としての彼なりの判断でちゃんと行動してますし、本人がどう思えど彼は立派にヒーローなんですね。このあたりの分かりやすさとか爽快感が「アメリカのTVドラマ」だなぁと思える所以なんだと思います。

 でもこういうのって結局はそれまでに何を見てきたか、に依存する感覚でしかなく、ご覧になっても「実写版ガンダムじゃん」と思われる方もあるのだろうと思います。ただ一つ、放映前にお知らせしておきたいのは、「ガンダムだと思って見たのに何か違ってた」という感覚を得たならば、それを良い方向へ持っていって欲しいということ。Gセイバーは、ガンダムではないのですから。

(0012.10)


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