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Ζを見る前に。

 DVDを買ったものの全巻再生してなかったなと、この3日間でΖを全話流しっ放しに。画面見てたのは1/3くらいですが、台詞が聞こえれば画面は脳内再生されるので全話見たも同然なんですが……まるでどうにかなりそうって感じで。#38「レコアの気配」がある意味一つの頂点で、その後最終章の扉を開いたらそれは地獄の門だった、でも困ったことにそっから先がΖの本懐だったりするので、結局最後まで一気に見るしかなくて。全部見た後でGXの最終話を見たら、すっかり心洗われてしまいましたが(^^;

 最近ダンバインも見てたりするんですが、見れば見るほどΖって同じ事やってるんだなぁと。Ζはどう見てもオーラバトラーだし(笑) カミーユ=ショウで、シロッコ=ショットはいいとして、ジェリド=バーン+トッドか? いや、女運が全然違うぞこいつらとか、ヤザン=ジェリル+アレンというのは乱暴かな? などと。違いも色々あって見比べるのも面白いとは思いますが。

 しかしまぁ、ファーストからずっと本放送で見てる戦中派としては、ダンバイン・エルガイム・Ζというのはある意味「3部作」的な見方をしてるのだけど、昨今の若い人はファーストから直にΖを見てしまうみたいで、そりゃまずいよと思う訳で。せめてこの「3部作」は順番に見とけ、欲を言えばイデオン・ザブングルから続けて見とけ、でないといきなりΖだなんてまずいぞとか思う訳で(ファースト→0083→Ζなどという年表順は論外。制作順で見なきゃ分からんって)。尤も、思春期にその「3部作」を連続で見せられたら(見たのは自分だろ)、その後の人格形成に何らかの影響は否めないよなぁとも(^^; やっぱトラウマってると思いますもん、Ζには。

 ただ、こうしたファーストからエルガイムまでの富野作品の流れがあってΖに辿り着く訳で、その過程を知らずにΖだけ見るのは勿体無いなぁと思う次第。何でΖがあんなお話になったのか、流れを追えば分かると思う一方、それぞれの作品にそれぞれの良さがあるので、それも知っておいて欲しいなぁとも思い。

 イデオンの湖川キャラの色気と「馬鹿は死ななきゃ治らない」、ザブングルの「君は走るか、俺たちゃ走る!」、ダンバインのバイストン・ウェルの世界観と、ショウとマーベルのあまりにも不器用な触れ合い、エルガイムの「ドリーマーズ」と「お兄ちゃん」の悲劇。こうしたものの積み重ねで、Ζはガンダムシリーズでありながらあぁいう作品になっちゃったと。安彦さんの設定なのにビーボォ顔で動いちゃったという独特のキャラの所以も、こう見てくれば全然不思議じゃないんですね(^^; ←そこまで言うか。

 幸い、イデオンからエルガイムは劇場版やビデオで総集編が作られているのでさくっと見るのは容易と思われますので、未見の方は是非。肝心のΖに総集編が存在しない(「プレリュードΖΖ」とか、PS版Ζがある意味総集編だけど)のが厄介ではあるものの、いざ18年経った今になってΖの総集編とかいう話が聞こえてきますが……どうなりますのやら。というのはともかく、Ζに関してはこれも修行(苦行?)と思って全話見てみろ3日で終わるからって、んな乱暴な(^^;

(0303.28)


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