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Ζはガンダムじゃない?

 わたしなんぞは「Ζがファーストの続編だというのは限りなく詐欺に近い」なんて思ってます。何がどうおかしいのかは色々あるのですが(アムロの年が合わないとか)、ファーストの続編としてΖがあると考えるよりも、Ζで出てくる「一年戦争」というのはファーストで描かれた物語に酷似していると考える方が楽なんです。大体、ファースト自体TV版と劇場版とで色々ありますからね。

 ま、設定の食い違いなんてこういう年代記なお話にはありがちなんで、殊更気にすることはナンセンスなのかも知れませんけれども。
#ST:DS9での「クリンゴン人の人相がTOSのと違うのは何故?」には笑った。

 にしても、Ζに「ガンダムの続き」を期待して、それを裏切られた人の憤りというものは当時から凄いものがあった訳です。私にはそれほどの期待というものがなかったからなのか、ぜーんぜんいーじーに見てたら「それはそれ、これはこれ」的な切り分けが楽に出来ちゃったんですね。それで当時はその感覚が理解できなくて、Ζ本放送翌年の名古屋テレビでのファーストの再放送(ΖΖ本放映中。因みにΖも再放送したから、この年は3作オンエアでした)をチェックしてて、やっとなんとなく分かったという次第。でも、それは違うんだよなぁ……とも思い直していたのです。

 わたしのおぼろげな理解からすると、どうも「ガンダムの続きなら素晴らしい物語になるに違いない」という期待を裏切られたみたいなんですね。あの感動をもう一度、みたいな。そりゃ続編と言われたら正編と同じ「もの」を期待してしまうのは無理はないんですよ。でもΖはそういうものではなかったので、当時からあんなに嫌われ続けてる(現在完了進行形)んですね。違う作品なのだから、描こうとするものも描き方も違ってて当然なのに。Ζがガンダムでなかったら、ここまでは批難されなかったのではないかと思うのです。

 「ガンダムシリーズ」(ここでは「機動戦士ガンダム」なしに成り立たない作品群の意味で、ファーストは入らない)の新作が出る度に、「なぜガンダムを名乗る必要があるのか」という話が出てくるんですけど、それはそもそもの第1作だったΖから連綿と繰り返されてることなんですねぇ。なんでΖって「ガンダムシリーズ」なんて始めてしまったんだろうって、商業アニメなんだから仕方ないんですけど。

 まぁそんな認識をしてるおかげで、わたしは平成ガンダムもぜんぜんおっけーで気が楽です(^^) 「ガンダムを名乗る必要」があるからガンダムなんだもん。でもそれって作品中で色々語られているのだし、それで良いんじゃないかと思うんですよね。

(9803.13)


 何かMacをあさってたら出てきたテキスト。「Gセイバーはガンダムじゃない?」とか、「Ζをめぐる5つの誤解」とか出してたらこれもないとね、ということで。
 以前Pegasus(古谷徹)さんにも「Ζはガンダムではない」発言をしてしまい、何故?と聞かれてその時には言葉に窮してしまいました。その節は大変失礼いたしました(_o_)
 でもこのオチを読むと分かる通り、「Ζもまた、ガンダムを名乗る必要があるからガンダムなのだ」というのがまぁ、ほんとの所なんでしょう。とはいえ、ファーストとの間の暗くて深い溝は埋めようもないのですが。
 しかし「ガンダムじゃない」とか言ってるばっかりで、肝心のガンダムについて何も言及しないというのが何というか(笑) いやあれは、わたしなんぞが手を出してはならないというか、今更わたしには何も言えないというか。ロボットアニメとして凄く好きな作品であることには間違いありませんが(^_^)


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