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機動新世紀ガンダムX
>創作小説
言葉なき恋歌
Romances sans Paroles
Jamil & Techcs in AW0002
第九話「巷に雨の降るごとく」より
いつしか「戦後」と呼ばれるようになって、2年余りの月日が流れていた。第七次宇宙戦争の惨禍により荒廃した地球上はまだ混乱期にあり、一所に身を寄せ合う人々の営みは、かつての人間らしい暮らしを取り戻そうともがいていた。
そんな小さな町の一角に、粗末な医院があった。まだ若いながらも腕は確かだと評判の医師の名はテクス・ファーゼンバーグ。かつて連邦軍に所属する軍医だった彼は、今は町医者として診察と治療に追われる生活をしていた。狭い室内はカーテンで仕切られ、診察室と居住空間とにようやく分けられていた。その日の診察を終えたテクスがカーテンを開けると、少年がゆっくりと顔を向けた。
「遅くなってすまないな。食事にしよう、ジャミル」
少年はその声に返事をする様子もない。しかしテクスはそれを気にするでもなく、スープの鍋を火に掛けた。
テクスがジャミルと暮らし始めて2年になる。15歳で連邦軍のエースパイロットとして戦い、戦争の只中で自分というものを見失うほどに傷ついた少年の様子は、日々目立った変化があるとは言えなかった。それでも毎日顔を見ていれば、少しずつ、自分自身を取り戻そうとしているようにも見えた。あの戦争で破壊し尽くされた地球に、僅かながらも命の芽吹きが見られるように、ずたずたに引き裂かれた人々が、肩を寄せ合って生きることを思い出したように、少年もまた、一歩一歩自分の足で歩くことを思い出しているのだ。
それでも、身体機能の回復はなったとしても、精神に受けた傷は深く、少年の心を闇に閉ざしたままでいた。彼の心が開かれるのが先か、この空を覆う厚い雲が晴れて太陽が甦るのが先か。そんな比較をしても意味はない。だが、未来の見えない世界で生きていくには、何か目指すものを見つけなければ、余りにも辛いことが多すぎた。
スープとパンだけの粗末な、でも食べられるだけありがたい食事を済ませて、テクスはジャミルを寝かしつけた。もう電気は止まる時間と知り、テクスはランプの明かりを灯した。暗い中の僅かな明かりで医学書を読む。テクスが医療の専門知識を学んだ時間は充分とは言えなかった。従軍して現場で得た知識だけでは、町医者としてやっていけるものではなかったのだ。荒れ果てた世界で、子どもは生まれてもすぐに死んでいった。ろくに薬もない世界で、戦前なら簡単に治る病気で大人も次々に倒れていった。小児科、感染症……医師としてはまだ若い23歳のテクスが得たい知識は山のようにあった。
戦後の町にも、市が立つようになっていた。食料品、雑貨、軍の備品を流して売るものも見られるようになり、古書市も賑わいを見せていた。人々は食に飢え、衣に飢え、そして智に飢えていた。失われた世界の記憶を辿るために、或いは空腹や寒さを一時でも忘れるために、人々は古書を求めた。テクスもまた、度々古書市に足を運んでいた。その日は幸運にも医学書を見つけることができたのだが、ふと目を引いたのは、ポケットに入るようなサイズの小さな詩集だった。ページを繰ると、文学青年を気取った頃が懐かしく思い出された。テクスは医学書と詩集とを求めると、医院に戻った。
「どうしましたか」
本日休診との札を掛けた医院の前には、若い女性が訪れていた。くすんだ色の長い金髪を無造作に纏めていたが、戦前であればお洒落を楽しんで輝いていた年頃だろうにとテクスには思えた。それ以外にも何か気に掛かると思っていると、女性がこちらに気付いて頭を下げた。
「こんにちは。あの、ちょっと診ていただきたいんですけど」
今日は市が立っているから、人はそちらに集まっている。人通りのまばらな街角にぽつんと立つ女性には、何か事情があるようにも見えた。
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