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arm in arm
決戦! 腕相撲




KYO vs SHIMA round.1
entanglement08「水の向こう側」より




 舞浜での平和な生活は虚構で、廃墟の戦場が現実。生物としての人類は既に滅亡し、肉体を失い量子サーバーの中に存在する幻体となった。
 その真実を知ったソゴル・キョウは動揺するが、それを受け入れることを迫られる。水の向こう側の世界と、こちら側の世界。どちらの世界でも、皆はそれぞれに生きている。そう受け止めて、キョウの日常は再び動き始めた。


 七月六日の朝。キョウがマンションのロビーに下りていくと、カミナギ・リョーコがこちらを振り返った。
 様子のおかしいキョウを元気付けようとリョーコが誘った水族館でのデート以来、二人はどうもぎくしゃくしていたが、ようやく昨日メールで仲直りできていた。

「おはよ、キョウちゃん」
「おう」
 いつも通りのリョーコの声に、キョウは片手を上げて答える。その手をふと宙で止めて、そっと下ろした。
「あのさ、カミナギ」
「なに?」
 こちらを伺ってくるリョーコの眼差しを受け止めて、キョウは軽く頭を下げた。

「その……ゴメン」
「いいよ、私もだし。もういいじゃない」
 それだけ言ってリョーコは笑顔を見せて通学路を歩き出すと、ふと朝の空を見上げた。夏を告げる、爽やかな青だ。
「綺麗な青空だね、気持ちいい」
「そうだな」
 気がつけばもう七月。今年は陽性の梅雨だったのが早々に明けようとしているのか、青空を目にする日が多くなっていた。

「何で、空って青いのかな」
「青い光が反射してっからだよ」
 そのキョウの回答は、思いがけない方向を向いていた。リョーコはきょとんとして、小さな沈黙が流れる。
「──って、どういうこと?」
 キョウはリョーコの顔を見ると、少し間を置いて答えた。

「太陽の光は透明に見えるけど、実際は七色の可視光が混ざりあってる」
「虹の色だよね、プリズムで分けられるって」
 そう言うリョーコに、キョウは頷いてみせた。
「そ。それで波長の短い光は空気の粒子で散乱すっけど、反射した光の中では、光の三原色の一つの青が一番人間の目に入る。だから、空は青く見える」
 その説明に、リョーコは微かに眉根を寄せた。

「うーん……じゃ、夕焼けの赤は?」
「夕方は、太陽が低いだろ。光が届くのに、厚い空気の層を通ってくることになって、青い光は散乱しきっちまう。それに地表付近だと水蒸気とか塵とかが多くなるから、今度は赤い光が反射して、目に入るようになるんだ」
 キョウが手振りを入れて説明してくれるのを聞いて、リョーコはふと天を仰いだ。

「えーっと。理科の科目で言うと、何?」
「物理」
 ぶつり。
 キョウがあっさりと告げたその科目名をぼそっと口にして、リョーコは溜息をついた。何だか眩暈がする。

「キョウちゃんって、時々訳わかんないこと知ってるよね」
「それは、オレがバカだからだよ」
 今度は、キョウが天を仰ぐ番だった。リョーコは彼の視線を追うが、そこにはただ青い空があるだけだった。

「反射した光が目に入るって、つまりこういうこと? スクリーンに光を当てて、そこに映ったものが見えるって」
 映画好きのリョーコらしい理解の仕方に、キョウはふと表情を緩めた。
「まぁ、いっかな。ちょっと違うけど」
「そっか、空は大きなスクリーンなんだ」
 リョーコのほわんとした声に、キョウは口の端を上げた。

「太陽が沈むと、その光が映らなくなって、暗い夜空に星が見えてくる。本当はこの青い空の向こうにある宇宙が、透明なスクリーン越しに見えてくるってことだ」
 そう言ってみて、キョウは口を結ぶと、また青い空を見上げた。

 この青い空の向こうには、宇宙なんてないじゃないか。
 この空の色は、空は青いものだという記憶がそう見せているものでしかない。データ化された、ただの記録だ。スクリーンに映る映画と、そう大した違いはない。
 この空の向こうにあるものは、廃墟と化した現実の舞浜。そこはいつも暗い雲が低く立ち込めている、陰鬱とした世界だ。

 ──作り物ではあっても、この青い空は、オレにとって舞浜の空だ。
 仮想空間であるとは知りながらも、キョウにとって舞浜サーバーの中の世界はもう一つの現実だった。


「ソゴル君、もういいの? 貧血だなんてびっくりだよ」
 朝の教室で、トミガイがそう声を掛けるのに、キョウは笑ってみせた。昨日キョウは、軽い貧血で倒れて保健室で寝ていたことになっていた。
「あぁ、何ともねぇよ」
 そこには、すっかりいつも通りのキョウが居る。
 そう彼の方を見遣っているリョーコを横目に、頬杖を付いたタチバナ・ミズキが小さく呟いた。

「あたしら、夢でも見てたのかな」
「えっ?」
「ソゴルの奴荒れ放題だったのに、けろっとしてんじゃん」
 ミズキの言葉に、リョーコは小さく笑ってみせた。
「立ち直りが早いのが、キョウちゃんのいいところだし」
「さすが、幼なじみはよく分かっていらっしゃる」
 抑揚を付けた口調でミズキにそう揶揄されて、リョーコの心の中で何かが引っ掛かった。
 本当に、自分はキョウのことを分かっているのだろうか。

 いつもなら、キョウは一つのことに悩み続けたりはしない。それがあんな風に悩みの底に居るのが目に見えるなど、余程のことだ。
 また何か、一人で抱えてしまっているのだろうか。
 いつも通りでなかった彼のことが、リョーコにはやはり気に掛かった。

 夕焼けに赤く染まる空の下、水族館を出た後のこと。リョーコを抱きしめてきた彼の腕の強さ、触れてきた彼の体の熱さ、そして微かな汗の匂い。それは決して夢などではない。
 彼を突き動かしたものは何なのだろう。
 あの時キョウが嘘をついていたことは、分かってる。
 そもそもキョウは嘘をつける性格でもないし、嘘をつくのが下手だ。
 彼に嘘をつかせたものは、一体何なのだろう。

 夕焼けが赤いのには理由がある。あの時のキョウの瞳のゆらぎにも、理由はあるはず。
 リョーコはそれを、知りたいと思った。


 教室の一角では、男子生徒がやたらと盛り上がりだした。
「あいつら、何やってんだ」
 キョウがそちらの方を見遣ると、腕相撲をしている二人が取り囲まれていた。
「腕相撲? 何でまた」
「あれ、昨日見てなかった?」
 トミガイはそう言って、昨晩のバラエティ番組で腕相撲の企画が盛り上がっていたことを教えてくれた。だがその時刻、舞浜に居なかったキョウは番組を見ているはずもなかった。
「オレ達もやるか?」
 そう持ちかけるキョウに、トミガイは肩をすくめた。
「遠慮しとくよ、ソゴル君に勝てるはずないし」
「ま、期末試験の前だしな。下手すっと大変だ」
 親友を傷つけるようなことはしない。そうは思っているのだけれど、何かあってからでは遅すぎる。キョウは、トミガイに向けて親指を立てるとニヤリと笑った。
「なら、指相撲でどうだ?」


 昼休み、図書室へ行ったキョウはそこで意外な人物を見かけた。
「生徒会長」
「君も来てたのか」
 返却カウンターに本を返したキョウは、すぐ脇の雑誌の棚を眺めているシマに声を掛けた。
「珍しいなこんなとこで」
「そうかな」
 シマとは学校でもオケアノスでも、普段から顔を合わせているはずなのに、こうした場面では案外言葉は出てこない。何か気まずいなと思ってキョウが頬を指で掻いていると、シマの低い声が降ってきた。

「水泳部はどうする気だ」
「どうするって……認めてくれないのはそっちだろ」
 キョウがそう噛み付くと、シマは小さく息をついた。
「部員を集めると言ったのは君だろう」
「そりゃ、そうだけど」

 そういえばこのところ、キョウは自分のことで一杯一杯で、水泳部どころではなかった。
 だが元を辿れば、いきなりあんな現実にキョウを放り込んだのはオケアノス司令のシマではないのか。そうも思うが、シマに水を向けられてしまえば、目の前の現実である水泳部のことでキョウは頭が一杯になってしまう。

「もうじき期末だろ。試験終わったら、本気でやるからさ。ちょっと待ってくれよ」
「部員集めの期限は、試験が終わればすぐだな」
 シマが言うとおり、夏休みまでに部員を集めなければ水泳部は廃部だと言い渡されていた。
「夏休みに入るまでは、期限内だろう」
「そうは言っても、君には時間はない。どうする気だ」
「どうするって、オレは諦めねぇよ!」
 詰め寄るようなシマの低い声音に、キョウは正面から言い切った。それを見て取って、シマの口の端が僅かに上がる。

「なら、一つ僕と勝負するというのはどうだ」
「勝負?」
 思いがけないシマの言葉に、キョウは瞬いた。
「腕相撲で、君が勝てば水泳部の処分について一考しても良い」
「ほんとか!? ──って、何でまた腕相撲」
 つい裏返る声を上げたものの、ここが図書室であったことを思い出してキョウは声を潜めた。
「分かりやすいだろう」
「そりゃあそーだけど。ひょっとして生徒会長のクラスでも流行ってる?」
 キョウの言葉に、シマは微かに笑っただけで答えた。

「何か乗せられてるみてぇで気に食わねぇけど、いっか。乗るよ」
 勝負を受けて立つというキョウに、シマは眼鏡を直すと小さく息を付いて呟いた。
「僕は心底、君のことを思って言っているのだがね」
 そのシマの低い声音が、キョウには何故か気になった。

「その言葉を信じてみっか。で、ありえねぇけど生徒会長が勝ったら」
「僕の一存とさせてもらう」
「一存、ね」

 そのシマの言葉には含みがある。どう転ぶかは、その時のシマの心の空模様次第ということだ。
 何だか、どちらが勝つにせよ、結局はシマが水泳部の命運を握っていることには変わらないような気がするが。それでもキョウが勝てば、キョウに悪いようにはしないだろう。それは信用できると思えて、キョウはシマの顔を覗き込んだ。
「ハンデ、要るんじゃね?」
「要らないよ」
 短いシマの返答は妙に強気だ。予鈴が鳴って、二人は放課後の勝負を約束して別れた。




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