Camille Laboratory : ZEGAPAIN Topゼーガペイン>創作小説>arm in arm 決戦! 腕相撲

 放課後になって、気合充分のキョウはパンっと左手に右の拳を打ちつけた。
「よっしゃ、行くぜ! 首洗って待ってろよ生徒会長!」
「これで決着がつくといいよね」
 既に話を聞いていたトミガイが笑うのに、リョーコが近寄ってきた。

「どうしたのキョウちゃん、はりきっちゃって」
「水泳部を懸けて、生徒会長と腕相撲で勝負すんだよ」
 キョウが右腕をくいっと曲げたところに左手を添えて上腕二頭筋を見せつけるのに、リョーコの目が輝いてみえた。
「うわぁ、頑張ってね。バッチリ撮影するから」
 そう言ってデジカムを持ち出したリョーコとトミガイとをお供に連れて、キョウは生徒会室へと向かった。
 その道すがら、下校しようとする生徒の中で馴染んだ後姿がキョウの目に飛びこんでくる。

「ハヤセ!」
 その声に、ハヤセは鞄を持ったまま振り向いた。
『これって、愛の告白より恥ずかしいんだぞ!』
 そんなことをキョウに言ったのは昨日のことだ。たった一人でも水泳部を立て直そうとしていたキョウをずっと見ていて、自分も意地を張るのを止めようかと思った矢先。急に水泳部を放り出してしまったキョウを、ハヤセは見ていられなかった。
 あんな腑抜けた奴、俺の知ってるキョウじゃない。
 中学の頃から一緒に、キョウと仲違いしたカワグチやウシオのつもりはともかくとして、ハヤセ自身としては、キョウに問いたださずには居られなかったのだ。
 二人は別々のクラスだから、あれから今まで互いに顔を合わせていなかった。キョウが声を掛けるのに、ハヤセの方に無視する理由は特になかった。

「昨日は、さんきゅな。お前のおかげで目が覚めた」
 率直にそう告げる、キョウの言葉は歯切れが良かった。
「そうか」
 ハヤセは短くそう答えた。
 キョウは、そんなハヤセに言いたい言葉があった。
 ──泳ぎたくなったらいつでも来い。プールで待ってる。
 キョウが口を開こうとしたその時、キョウの背後から怒声が飛んできた。

「はぁ? 何寝言抜かしてんだ。水泳部なんて、出来もしねぇ夢ん中で泳いでんのはてめぇだろ!」
 そのカワグチの言葉と、黙ってこちらを見てくるウシオの視線は、今のキョウには酷く突き刺さるものだった。

 この舞浜は、量子サーバーの中の仮想空間。現実ではない、虚構の世界だ。
 それでも、カワグチもハヤセもウシオも、この世界で生きているのだと。この世界も、もう一つの現実なのだと。キョウは逡巡の果てにやっとそう思えたのに、夢でしかないだなんて。

「夢なんかじゃねぇよ!」
 押し殺した声でそう言い返すのが精一杯で、キョウは俯いてその場に立ち尽くした。
「寝ぼけてんじゃねーよ!」
 カワグチにそう言って殴りかかられて、流そうとするもかわし切れずに、キョウは右腕で彼の鉄拳を受けてしまった。
「くっ!」
 当たり所が悪いのか、キョウの右腕には激痛が走る。

「キョウちゃん!」
 リョーコが駆け寄って、トミガイがキョウとカワグチを交互に見た。
「もう、二人とも何してるのさ。ソゴル君、大丈夫?」
「何ともね……」
 掠れた声でそれだけ言って後は飲み込む、顔をしかめたキョウはかなり辛そうだ。
「そんで目ぇ覚めたろ」
 カワグチは捨て台詞を吐いて踵を返した。

「腕相撲、どうするの」
「大丈夫だよ。生徒会長相手なら、いいハンデだ」
 トミガイとキョウの会話が、立ち去るカワグチの耳にも届く。
 ハヤセとウシオはその場に立って、生徒会室へ向かうキョウ達の後姿を見送っていた。


 生徒会室には、いつになく人だかりがしていた。図書室に居た生徒から腕相撲勝負の話が流れたのか、野次馬が多いのだ。キョウとシマの二人は、机を挟んで向かい合って立っていた。
「準備は良いですか?」
 イリエがそう声を掛けるが、特にすることは何もない。
「あぁ、いつでもいいぜ」
「僕も構わないよ」
 レフェリー役のクロシオが二人の間に立って、双方を見遣る。
「利き手は?」
 その問いにキョウは黙って顎をしゃくってみせて、シマに回答を促した。
「僕は右」
「オレも右だ」
「じゃ、双方位置について」

 キョウとシマは机に肘を付いて右手を組んだ。キョウは目の前のシマの顔を見据えた。
「約束だからな、生徒会長」
「分かっているさ。君が勝ったら、水泳部の処分について一考しよう」
 柔らかい声音の返事とは裏腹に、シマの眼鏡の奥の瞳は不敵な光を放っている。

 相変わらず、この生徒会長の腹は読めない。そう思うキョウの視界の端に、シマの背後からミナトが滑り込んでくる。シマに何かあれば容赦はしないとばかりに、彼女なりに凄い形相でキョウを睨みつけてくるのだ。
 けれど何しろミナトは素地が可愛いものだから、どうも迫力に欠けるんだよな。不覚にもキョウがそんな考えを巡らせてしまったその瞬間。

「レディ、ゴー!」
「くっ!」
「うわっ!!」
 一瞬の虚を、突かれた。
 キョウが並外れた反射神経と鍛え上げた上腕の持ち主でなければ、既に彼の手の甲は机に押し付けられていただろう。だが、何とか持ちこたえて、両者の組んだ手は一歩も譲らない位置にあった。キョウは微かに笑みを浮かべた。

「やるじゃねぇか、生徒会長」
「君も、流石だね」
 拮抗しながらも涼しい表情を崩さないシマも只者ではない。そう思うキョウだが、内心には不安が首をもたげていた。カワグチに殴られた右腕の痛みが、やはり堪える。普段ならシマなどに負けるはずはない、そうは思うが、さすがにこの状況は辛い。

 それにさっき不意を突かれた際に、肘の位置が微妙にずれた。その折に、何故か机の上が濡れているところに当たってしまったらしい。
 一体何で、とキョウは訝るが、生徒会室に来たときに出された冷たい麦茶が置いてあった位置だと気がついた。
 ──これは副会長の策略か? いやまさかそんなこと──そう思ったとき、キョウの肘は机の上を僅かに滑った。
 バン、と音を立てて、キョウの手の甲は机をしたたかに打った。

「僕の勝ちだな」
 シマは眼鏡を外して前髪を払った。その細腕のどこにあの力が潜んでいたというのだろうか。キョウは僅かに顔をしかめて、右腕を押さえながら素直に答えた。

「あぁ、悔しいけどオレの負けだ」
 どんなことを言われようとも覚悟はできている。そんな表情で見据えてくるキョウを見て、シマは眼鏡を外したまま柔らかい声で答えた。

「だが、これはノーゲームだ。腕が本調子になったら、またかかってきたまえ」
「……知ってて?」
 瞬きしながらそうキョウが問うのに、シマは眼鏡を掛けながら薄く笑った。

「そのくらい見れば分かるよ。とはいっても、勝負は始まっていたから、僕にはどうしようもなかったけどね」
 その視線の先、キョウの右腕には鳶色の肌に微かな痣が見て取れる。笑みを含んだ、高めの声音の飄々とした物言いが小憎らしいシマに、キョウは小さく息をつくと笑った。

「って、まるで手加減なしだもんな」
「君の本気に応えるには、それしかないだろう」
 低く呟かれたその言葉は、シマの本音なのだろうか。キョウは微かに眉根を寄せて、彼の真意を探ろうとするが、光を反射した眼鏡がその瞳を隠していた。


「惜しかったねーキョウちゃん。どうしたの?」
 野次馬が生徒会室を出て行く中、デジカムを手にしたリョーコがキョウに近づいた。
 キョウは腕相撲をしていた机に目を落として自分の肘があった位置を検分しているが、滑ったと思えた結露の跡は乾いてしまったようで、そこが濡れていたとはもう確認できなかった。

「副会長、腕相撲の前に机、ちゃんと拭いてたよな?」
「拭いたわよ。何か問題でも?」
「オレの肘があったところさ、ちょっと濡れてたぜ?」
「おかしいわね、そんなことないはずよ」
 そう答えるミナトの顔には邪気はない。本当に単なる思い違いなのか。でももう確かめるすべはないし、キョウはこういうことにはいつまでも拘るような気質ではない。

「まぁいいさ。でも、水泳部は諦めないからな!」
 シマの方を指差して宣言するキョウに、シマは高く抜ける声で答えた。
「ならば部員を集めたまえ」
 平然とそう言うシマの顔を、キョウは真正面から覗き込み、シマの両手をしっかと取った。それを見たミナトが目を丸くする。

「あんたの腕を見込んで頼みがある」
「……何だい?」
「水泳部に入らないか」
「はぁ?」
 さすがのシマも、このキョウの誘いには目をぱちくりさせた。
「なぁ頼むよ、あの腕力ならきっといい記録出せるって、このオレが保証する!」
「すまないがそれは無理だな、僕は茶道部なんでね」
 今度は、目をぱちくりさせるのはキョウの番だった。

「茶道部だぁ?」
 サドの間違いじゃないのか。
「あぁそうだよ。なぁミナト君」
 シマはにこやかな声でミナトの方を向いた。
「えぇ。明日、作法室でお稽古をするわ。よかったらいらっしゃい」
「って副会長もかよ」
 生徒会長の行くところ副会長あり。それは分かるけど、この二人が茶道部とは。

「うわーステキですね。私も行っていいですか?」
「えぇ、歓迎するわ」
 リョーコに向けて微笑んで、キョウには意味ありげな視線を向ける。ミナトの水色の瞳は、それが単なる社交辞令的な誘いではないことを示していた。

「なついてんじゃねーよ、カミナギ」
 すっかりその気になっているリョーコにぼそりとそう言って、キョウは溜息をついた。
「最近お稽古が出来てないから、貴方達が来てくれたら助かるわ」
 イリエがそう言って、話に入ってきた。ミナトがリョーコに、イリエは茶道部の部長だと紹介した。言われてみれば納得できるようにキョウには思えた。それとも、以前から知っていたのだろうか。

「だからって、一学期の期末試験の前日に茶釜炊くなんてさ、ありえねぇよ」
「作法室は案外涼しいのよ。それに試験前だからこそ、集中できるようにお茶会をするのよ」
 イリエの涼やかな声でそう言われると、妙な説得力がある。茶会と言われて想像する静かな雰囲気は、確かに試験前には悪くないかもしれない。
「物は言いようだな」
「来れば分かるわよ」
 キョウとイリエのやりとりを、トミガイは興味深そうに見守っていた。
「何だか面白そう」
「よかったら君もいらっしゃい、賑やかな方が楽しいわ」
 そうイリエから誘われて、トミガイも茶道部の稽古に招かれることになった。


 野次馬も居なくなり、生徒会室は静けさを取り戻していた。残っているのは生徒会役員と、キョウとリョーコだけ。
「あれ、トミガイは?」
「さっきまで居たのに……先帰ったのかな」
 リョーコも辺りを見渡すが、トミガイの姿はなかった。
「ま、あいつにも用事はあるんだろうしさ。行くか」
「うん」
 リョーコが頷くのを見て、キョウはシマ達の方に顔を向けた。
「じゃーな、生徒会長」
「失礼しまーす」
 そうシマ達に声を掛けて、キョウはリョーコと一緒に生徒会室を後にした。

「残念だったねほんと。まさかキョウちゃんが負けるなんて思わなかった」
「オレもさ。ったく、あの生徒会長マジで読めねぇぜ」
 髪をくしゃくしゃとかきあげながら眉根を寄せるキョウの横顔を見て、リョーコはふとキョウの左腕を取った。鍛え上げられて引き締まった、形の良い腕だ。──不運にも、今回は負けてしまったけれど。

「でも結構好きなんでしょ」
「何が?」
「生徒会長のこと」
 含みのある笑みを向けてくるリョーコに、キョウは瞬きを返した。
「はぁ? なーに言ってんだお前は」
「いいのいいの」
 腕にリョーコを絡ませながらキョウが校舎の角に消えていくのを、見送る一つの影があった。




back ◆ 2/3 ◆ Topゼーガペイン