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ゼーガペイン
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girl meets boy
年下の男の子
KYO & SIZUNO
entanglement01「エンタングル」より
日本近海を行くセレブラムの母艦オケアノスの司令私室で、ミサキ・シズノはシマと向き合っていた。シマの座る司令席の背後の窓から差す月光が、照明を落とした部屋を冷たく照らしている。
シマが彼女に手渡したのは、千葉県立舞浜南高校の要覧だった。シズノはその冊子をぱらぱらとめくると、視線を上げてシマの言葉を待った。
「君は三年B組への転校生ということになる。僕はC組だ」
舞浜南高校では生徒会長を務めるシマの制服のネクタイの色は青。だが、今ここには居ない彼が結んでいたのは赤いネクタイだった。シズノは、細い声でその名を口にした。
「キョウは……」
「一年D組だ」
そう言われて、シズノは小さく息を付いた。
「年下の男の子、か」
「何も知らない、が頭につくがな」
その言葉にシズノは唇を結ぶと、窓の外の月を見遣った。彼女の視線を追って、銀色の卵のようなその月をシマもちらりと振り返る。そしてシズノに向き直ると机に肘を付いた手を組んで、静かに口を開いた。
「皆には僕から話しておく。君は準備を進めてくれ」
「ありがとう。気が利くわね」
オケアノスのブリッジクルーは皆、舞浜南高校に在籍している。今まで舞浜サーバーに降りたことのなかったシズノが転入するのに、事前に彼らの同意を求めるつもりは二人にはなかった。
シズノには舞浜に降りなくてはならない理由があり、この事態を招いた責任はオケアノスの司令であるシマにあるのだから。既に決定されたことに彼らが何を言おうとも、その言葉は自分が引き受けるというシマに、シズノは表情を緩めてみせた。
「今は片時も惜しいからな」
シマはそう答えて、手元のモニタに目を通し始めた。忙しいというのはポーズではなく、今のオケアノスには物理的にも精神的にも、あらゆる意味で余裕はなかった。
ガルズオルムの本拠地を目指した月面サーバー攻略戦は、セレブラムの敗走に終わった。味方の損害は甚大なものだったが、その中にオケアノス所属のガンナーであるソゴル・キョウの名が含まれていた。
月面での戦闘で、彼はパートナーを組んでいたウィザードのシズノをオケアノスへ強制転送すると、乗機のゼーガペイン・アルティールを自爆させた。キョウの幻体データはシズノの手でサルベージされたが、記憶領域のデータ損傷であるウェットダメージが酷く、リブートされた彼はセレブラントとして経験した日々の記憶を失うことになった。
大敗を喫したセレブラムでは、地球へと撤退した母艦同士での連絡もままならぬ中、各母艦がそれぞれの体制を立て直すので精一杯だった。一番艦であるオケアノスも、すぐに実戦に使える機体もなく、パイロットも不足していた。
シマは機体の整備を進める傍ら、キョウを再びセレブラントとして目覚めさせることで戦力を確保しなければならなかった。アルティールに残ったまま自爆を選んだキョウが、再び目覚めることを望んでいなかったとしても。
「貴方は知っているのよね、初めて目覚める前のキョウのことを」
「少しばかりだがな、もう随分昔の話だ」
眼鏡を外して、幾分和らいだ声音でシズノの問いに答えるシマが言うのは、現実時間では二年余り前のことだ。
「あの時と今回とでは事情が異なる。キョウが再びこの現実を受け入れてくれるかどうか」
「キョウを信じるしかないわね。今まで私達がそうしてきたように」
たとえシマやシズノと過ごした日々の記憶を失っても、彼は、ソゴル・キョウなのだから。
シズノはブリッジクルーのイリエの私室を訪ねた。イリエは思いがけない来訪者に微かに目を見開いた。先にシマ司令から、シズノが舞浜南高校に転入すると聞かされてはいたが、その時席を外していたシズノ自身の口から話を聞くことになるとは思わなかったからだ。
イリエは斜めに向き合って座ったシズノにお茶を勧めると、B組に転入するという彼女に微笑を向けた。事情はともあれ、同じ三年生に仲間が増えるのは悪くない。
「私はA組だから、授業が一緒になることもあるわね。分からないことがあれば相談に乗るわよ」
「ありがとう。早速なんだけど、三年生が一年生に話し掛けるって、どうすればいいのかしら」
そのシズノの質問に、きょとんとしたイリエは瞬いて、クスリと笑った。
「ごめんなさい、何訊かれるのかしらと思って。笑い事じゃないわよね、ソゴル君のことでしょ」
「えぇ、彼は一年生だから」
シズノが問うのは、パートナーである彼のことしかない。それはイリエにも分かっていた。イリエは唇に指を当てると、ゆっくりと瞬いた。
「学校ではあまり話さないわね、学年も違うし、部活や生徒会で一緒って訳でもないし。でも貴女は転校生ってことになるのでしょ。だったら、いくらでも声の掛けようはあると思うわ」
シズノは黙ってイリエの顔を見つめて、言葉を促した。
「教室を教えて欲しいとか、知り合いに似てたとか──そんなものじゃないわよね、実際知り合いなんだから」
「彼は、忘れているけれど」
低い声で言い添える、シズノの瞳が翳を帯びる。イリエは軽く口を結んだが、彼女に向けて僅かに身を乗り出した。
「彼に復帰してほしいのは皆同じよ。ただね、舞浜での彼を知っていると、あんなことになったのも分からないではないの。彼を追い詰めたものが取り除かれない限り、彼はまた自滅しかねない。それが恐いのよ」
「それは分かってる。だから私は、舞浜に降りなければならない」
彼を追い詰めたものが舞浜にあるというのなら、シズノはそれを知らなくてはならない。かつて彼がシズノを暗闇から救ってくれたように、今度は彼の力になりたい。そうは思うのだけれど、何よりも彼を追い詰めたのは自分の存在そのものなのだと、シズノは自覚していた。
だから、彼からは身を引いた方が良い。それも分かっている。いくら彼が記憶を失ってしまったとしても、セレブラントとして一度覚醒している以上、いつか再びの目覚めは訪れるだろう。彼の初めての目覚めにシズノは立ち会っていない。これ以上彼にシズノが関わる必要はないとも言えるのだ。
けれど、シズノは彼と別れる際に約束を交わしていた。彼を必ず迎えに行くと。そのためにもシズノは舞浜へ降りると決めたのだ。シズノが降りることで舞浜サーバーのシステム環境が乱れる危険を冒しても、そして彼はシズノが舞浜に来るのを拒んでいたことを知っていても。
舞浜で、シズノは再び彼と出会わなくてはならないのだ。何よりも、彼のために。
イリエはお茶を口にすると、両手で持った茶碗の揺れる水面に目をやった。
「年下の男の子か。彼をそんな風に見たことなかったわね」
イリエはふと息を付きながら、幾分軽い口調でそんなことを言った。
確かに一年生のキョウは三年生のイリエのことを『イリエ先輩』と呼んでいたけれど、セレブラントとして目覚めて過ごしていた時間が長いせいもあってか、物腰には大人びたところがあった。それこそ、三年生のシズノと釣りあうどころか、彼女をリードできるほどのものが。
そういう意味では、サーバーに保存された時点での年齢にあまり意味はなかった。だがそうした経験を失ったキョウは、今では何も知らない年下の男の子なのだ。
「それで、戸惑ってしまって」
珍しくはにかむようなシズノの表情に、イリエは目を見開いた。
「あぁ……そういうこと。良い機会じゃない、巧く操縦しちゃいなさいよ」
「えっ?」
当惑を覗かせるシズノに、イリエは笑顔を見せて明るく言った。
「振り回された分、振り回してやれば良いのよ。年下の男の子なんだから」
「そんな」
シズノは困ったように口元に軽く握った手を当てて顔を背けてしまい、イリエは慌てて両手を振った。
「ごめんなさい、冗談よ。でも、彼が本当に記憶をなくしているというのなら、貴女が何もかも手ほどきするしかないのよ。初めからね」
イリエは今はブリッジクルーだが、かつてはシズノと同じくゼーガペインのウィザードだった。もし自分がシズノの立場ならと、思いやった上での言葉だった。
何もかも忘れてしまった彼と共に戦場に赴かなくてはならない、シズノの選択した道は厳しい。そのことはイリエにも分かるから、声は自ずと真摯な響きを伴う。その黒い瞳を覗き込むように、シズノも静かに頷いた。
「シズノ、来てくれてありがとう」
相談を持ちかけたのはシズノの方だ。それでも、話し相手に選んでくれたのがイリエには嬉しかったというのだろう。シズノは表情を緩めて頷いた。
「こちらこそ。お茶、美味しかったわ」
じゃあね、と軽く手を上げて、二人は扉の両側に別れた。
人間として生きるとはどういうことか。何も知らなかったシズノに、彼は何もかも教えてくれた。共に生きる喜びと、痛みとを。
彼はシズノにどう向き合った? 同じようにすればいい。触れあえる存在であると伝えるところから始めればいい。そこから全てが解けていくのだから。
彼に出会ったら、まず何て言おう。言葉なんて出ないかも知れない、だったら彼にどう触れようか。シズノは、何度も何度もその時の情景を思い浮かべて、頭の中でシミュレーションを繰り返した。
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