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ゼーガペイン
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on cloud nine
MINATO in YUKATA
entanglement10「また、夏が来る」より
一学期が終わりに近付き、夏休みが近くなる。
舞浜南高校の一学期の終業式の夜は、神社での夏祭りと決まっている。色とりどりの明かりに囲まれて立ち並ぶ露店に、空一面に広がるいくつもの花火。幾度となく繰り返される舞浜の夏にあって、闇の中に溢れんばかりの無数の光に彩られる一番賑やかな夜だ。舞浜では誰もが、その夜が来るのを待ち望んでいた。
「これでよし、と」
ミナトは鏡に映る浴衣の帯がきちんと結べているのを確認して、身支度を整えた。一人で浴衣を着られるようになったのが、何だか嬉しい。
夏の遅い日の入りに迫り来る夕闇。今期も、夏祭りが始まる。
* *
「ごめんなさい、もう一度教えて」
「分かりました。じゃ、初めからやりますよ」
それはシドニーサーバーからサルベージされたミナトがオケアノスの副司令となり、舞浜サーバーに降りて初めての夏。日本の夏祭りでは浴衣を着るものだと教えられて、嬉々として水色に花柄の浴衣を手に入れたのは良いものの、どうしても着付けが良く分からない。困りきった顔のミナトを助けてくれたのは、オケアノスのブリッジクルーのイリエだった。
イリエは自分も藍に女郎花をあしらった浴衣を纏って、ミナトに着付けの手ほどきをしてくれていた。夏の午後、着付けの邪魔にならないようにと亜麻色の長い髪をまとめているから襟足は涼しいはずなのに、真剣な表情のミナトの首筋に、じっとりと汗が伝う感覚が走る。ミナトは胸元に忍ばせたハンカチを手にしてそっと汗を押さえた。イリエに向けて頷くと、イリエは自分が手にした帯を示した。
「そこでこの手先を……そう、それです」
「こう?」
やたらと幅の広いリボンを相手に、ミナトは悪戦苦闘していた。この帯が決まらなければ浴衣を着こなすことは出来ない。
「それで良いですよ」
イリエの言葉に、ミナトはふぅと息を吐いた。体形補正にタオルを入れたり、帯をぎゅっと締めたりと、どうして日本人はこんな窮屈な着物で夏祭りに出掛けるのだろうか。夏祭りに誘ってくれた想い人のためならば、どんな痛みでも耐えてみせる。そうは思うのだけれど。
「何だか苦しい〜」
「ちょっと良いですか?」
イリエが帯を直してくれて、幾分ミナトは楽になった。すぅっと爽やかな風が通り抜けていく。
「貴女は平気なの?」
自分も浴衣を纏いながら涼しい顔をしているイリエに、ミナトはそう尋ねた。
「慣れですね。却って浴衣の方が涼しく感じたりするんですよ」
「そんなものかしら」
夏祭りまで後数日。ミナトの特訓は、その日まで続いた。
「ちょっと良いかな」
そう声を掛けてきた人物に、ソゴル・キョウは目を瞬いた。水泳部の練習を終えて、プールを出てきた自転車置き場の前。夕暮れもすぐそこ、大概の生徒は下校してしまって人影もないその場所で、シマはキョウを待っていたらしい──いやシマのことだから、キョウが部活を終えるのを見計らってこの場に来たのだろう。
しかし何故こんなところにシマ司令が居るのだろうか。シマもこの舞浜南高校の在校生ということになっているから、この場に居ること自体は別におかしくはないのだが。キョウは静かに、口を開いた。
「珍しいな。急用、というのでもなさそうだし」
「君を見込んで頼みがある」
キョウは視線だけで続きを促すと、シマが言いにくそうに口を開いた。
「夏祭りのことなんだが」
「あぁ、もうすぐだな。終業式の夜だから」
「その、攻略法というものはあるんだろうか」
眼鏡を直しつつ紡がれたシマのその言葉に、キョウは表情を緩めた。シマがあくまでもいつもの冷静さを装っているのが、妙に可笑しい。シドニーサーバーからミナト副司令をサルベージして、これが初めての夏祭りだ。彼女を連れて行くのに良い恰好をしたいのだろう。何と分かりやすい展開だろうか。
「何でオレに訊くんだ?」
「舞浜に一番詳しいのは君だろう、君はその体で舞浜を知っている」
オケアノス司令のシマはこの舞浜サーバーの管理責任をも負っている。シマの権限なら舞浜の夏祭りに関するデータの全てにアクセスすることは可能だ。だがデータを閲覧するだけでは分からない、人間の感性と経験に基づいた知識が欲しいとシマは言うのだ。
「分かったよ。何が知りたい?」
「お勧めの露店と、花火を見る絶好のポイントというところか?」
「それと、浴衣を着た女の子への気遣いだな。これを忘れると減点だ」
笑みを含んだそのキョウの声音に、シマは気の抜けた顔を向けた。自分の行動がまるで見透かされているらしいと知れて、シマは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「このあたりが良いかな。あそこに花火が上がるから。でもここを狙ってるカップルは多いだろうから、早めに押さえとけよ」
キョウはシマを神社に案内して、実際に花火見物のスポットを示した。こういうのは実地で解説するのが一番だ。陽の落ちた西の空は幾分明るいが、木々に囲まれた境内はもうすっかり暗闇の中。二人の他に人影のない境内で、ぽつりぽつりと灯り始めた明かりを頼りに、シマは場所を確認して頷いた。それを見て取ったキョウは、鳥居から本殿へ続く石畳を指差しつつ歩を進めた。
「露店はあそこに並ぶけど、鳥居から見て右側の列の真ん中あたりに、アサリの串焼きがあるから、舞浜市民なら外すなよ。人気の店だから、混むんだけどな」
「アサリの串焼き?」
「舞浜の名物なんだよ。他にも焼きアサリの露店は出てるけど、一番美味いのはそこ。で、その焼きアサリの露店の少し奥にあるのが玉子フライ」
「玉子を揚げるのか?」
シマの素直な反応を見て、キョウは口の端を上げて笑った。
「それが違うんだな。玉子と小麦粉にタマネギを混ぜ込んだ生地をフライにして、ソースをつけて食べるんだ。これも行列は必至だけど、名物だからな」
「そうか」
シマが頷いてみせると、今はガランとした石畳を見渡しながら本殿の方へ歩くキョウの得意気な解説が続く。
「あと、たこ焼きなら左側の列の奥の店が良い。甘いものなら、リンゴ飴はどうしてもというのでもない限りやめておけ。それなら右側の列の手前のあんず飴の方が良い」
「なるほど。さすがだな」
「何回この夏祭りに来てると思ってるんだ?」
感嘆するシマに答えて、立ち止まったキョウは微かに笑った。それがどこか寂しそうにも映ったのは、気のせいだろうか。そうシマが思う間もなく、キョウは踵を返してゆっくり歩き出した。
「浴衣の女の子の足元には気をつけてやれよ。着付けも気にしてるし、意識して普段よりゆっくり歩かないと、慣れない鼻緒で足を痛めるからな」
「気に留めておこう」
キョウの歩幅に合わせてゆっくりと歩きながら、シマはそう答えた。
「じゃ、健闘を祈るよ」
軽く手を振ると、キョウはそのまま鳥居をくぐって去っていった。
「君はどうするつもりなんだ、キョウ」
本人に訊きそびれた問いを一人で口にして、シマもまたその場から姿を消した。
夏祭りの夜、神社はいつになく人で溢れていた。舞浜サーバーに保存されている幻体がこぞって集っているのだから、それは当然の光景だ。だが祭りとは賑やかなものだという認識が、世界の真実を知るセレブラントにも、本来そこにはありえない人物をその目に見せていた。露店の店員や、子供を肩車してお面を選んでいる父親達。それは量子サーバーという機械仕掛けの箱が見せる、この夜限りの幻の人影だ。尤もこの箱の中に、幻でないものなど存在しない。当人が必要だと思うものだけが、その目の前に現れる。
「お待たせしました、司令」
亜麻色の髪を結い、瞳の色を映した水色に花柄の浴衣姿で神社に現れたミナトを見て、シマは何も言わずに頷くと、先に立って歩き始めた。
折角頑張って着てきた浴衣なのだから、何か言ってくださっても良いのに。
そうミナトは思うのだけれど、いつもよりゆっくりしたシマの歩みに、自分への気遣いが感じ取れて、それだけで胸がじんと熱くなった。シマの浴衣は鼠色に蝙蝠柄。ちょっと風変わりかもしれないけれど、不思議とシマ司令には似合っているようにミナトには思えた。
「素敵な浴衣ですね」
そのミナトの言葉には答えず、シマはこんなことを訊いた。
「ミナト、アサリは好きか?」
「アサリ、ですか?」
きょとんとしたミナトは、シマの挙げた名をそのまま繰り返した。クラムチャウダー、ボンゴレビアンコ。そういった料理が思い浮かぶが、夏祭りの露店で食べるものではないだろう。
「舞浜の名物だから、押さえておくといい」
アサリを串焼きにしている、醤油の香ばしい匂いが辺りに立ち込めている。人気があるようで人だかりのしているその露店に、シマは歩み寄った。ねじり鉢巻をしてアサリを焼いている店員の姿が、シマとミナトの目にも映る。
「アサリの串焼きを二つ」
「はい、アサリ二串ね」
シマはまず一串をミナトに手渡して、様子を伺う。
「あぁ、日本風のシーフードバーベキューですね。オーストラリアでも食べるんですよ」
そう言ったミナトは顔を綻ばせてぱくりとアサリを頬張ると、甘辛い醤油だれの絡んだふくよかなアサリの味がふんわりと口の中に広がった。
「美味しい……」
「それは良かった」
ミナトの感想を聞いてから、シマは自分もアサリを頬張った。確かにこれは美味い。やはりキョウに聞いておいて良かった、ちゃんと礼を言わなくてはなとシマは思った。そういえばキョウもこの夏祭りに来ているはずなのに、彼はどこに居るのだろうか。周囲を伺っても、この人混みの中に、あの人目を引く赤い髪は目に入らなかった。
ぱくぱくと焼きアサリを食べてしまったミナトから串を受け取って、シマも自分の分を食べ終えた。まずは一つクリア。
「さすが司令ですね、まず舞浜の名物から夏祭りを楽しまれるなんて」
「名物といえばあれもそうだ」
アサリの露店から少し奥に入ったところを見遣ると、やはり賑やかな露店がある。油とソースの香りが入り混じった空気の上の、露店の看板をミナトは読み上げた。
「玉子フライ?」
そこだけ露店の間隔が空いていて、玉子フライの露店の脇から奥に流すようにずらっと行列が並んでいた。それを平静に見遣ったシマが脇のミナトを伺うと、彼女は目を丸くして呆然としている。シマは目蓋を伏せてふっと笑うと、眼鏡を指で直した。
「他にもおすすめの露店はあるが、何か食べたいものはあるかい?」
石畳の両脇に並ぶ露店を見渡しながらそう尋ねるシマの視線を追って、ミナトも周囲を見渡した。
「たこ焼きにリンゴ飴、たい焼き……いわな?」
「焼き魚だな。リンゴ飴はやめておいた方がいい」
小首を傾げるミナトにそう答えて、シマはキョウからの受け売りを口にした。
「あ、あれ」
ミナトの目の前を通り過ぎた子供が手にしているのは、綿飴だ。
「舞浜にも綿飴ってあるんですね」
「綿飴が欲しいのか?」
キョウから聞いていたおすすめには入っていないが、ミナトが興味を示したものだ。それを買ってやるのがこの場のマナーというものだろう。頬を染めて小さく頷くミナトに、シマは微笑を返した。
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