Camille Laboratory : ZEGAPAIN Topゼーガペイン>創作小説

snow in july
七月の雪




KYO & SIZUNO in past days




 キョウとシズノは、ゼーガペイン・アルティールで現実の舞浜サーバーを訪れていた。定例のサーバーの外部メンテナンス作業のためだった。
 実際には、舞浜サーバーの実データは既にここにはなく、今キョウ達が目にしているのは空の巣箱だ。だが、あたかも実データが現存しているかのように偽装しているために、最低限の稼動はしている。事情を知らない他のセレブラントに対しても、通常通りにメンテナンスを行ってみせる必要もある。それでこうして、実情を知る二人が舞浜を訪れているのだった。
「終わったわ。特に異常なし」
「一安心だな、お疲れ」
 報告をするシズノにそう応えて、キョウはアルティールの右手をコネクタから離してサーバーとの物理接続を解除した。空虚な静寂の中に佇むその筐体は、沈黙する墓標にも見えた。
 ──墓守をする幽霊なのか、オレ達は。
 実データがここにはなかったとしても、舞浜のデータを守るためにはこのメンテナンスは必要な処置だ。それにこのサーバーには、もう一つ大切な役目がある。それを思えば、延命措置ではあっても墓守ではないのか。そんなことを考えてしまって、キョウは頭を振った。
「ちょっと、外に出てもいいかな」
 キョウがそう言うのも無理はない。廃墟と化していても、この街は彼の故郷だ。シズノが頷くと、キョウはアルティールを出口に向かわせた。

 サーバービルの外へ出てみると、低く立ち込めた雲の下の空に、白いものが舞っていた。
「雪?」
「そうみたいね」
 シズノが手元のモニタを確認するが、観測結果は確かに雪だった。
「参ったな、舞浜は七月なんだぜ」
 笑うように掠れたキョウの声は、語尾が心持ち震えて聞こえた。
 彼の言う舞浜とは、今二人がアルティールでその上空を飛んでいる現実世界の舞浜ではなく、彼が日常を過ごしている舞浜サーバー内の仮想空間のことだ。四月から八月までの五ヶ月間を繰り返す舞浜サーバーには、雪の舞う冬は訪れることはなかった。

 現実世界の舞浜の上空は、ガルズオルムによる環境改変の影響を受けて、常に暗い雲で覆われていた。本来あるはずの青い空は姿を見せず、季節感は殆どないに等しかった。シズノが目を遣ったクロノメータの数字は、現実世界の暦に換算すれば二月であると示していた。
 環境改変前の本来の気象では、この時期の舞浜市を含む関東南部では、南の海上を進む低気圧に北方からの寒気が流れ込むと雪になる。気温が高ければ雨になるような雪だから、水分を多く含んでふわりと大きく見えるぼたん雪だ。何の気紛れなのか、そんな綿毛のような雪が空一面に舞う中を、アルティールは南に向かって飛んでいった。
 五ヶ月でループするサーバー内と、十二ヶ月の地球の公転周期で季節が巡る現実世界とでは、季節が一致することは稀だ。キョウとシズノが所属する母艦であるオケアノスは太平洋を巡回しているために、南半球に行けば季節が逆になるのも幾度となく経験している。だがサーバーの内と外、同じ舞浜のあまりにも違う光景のギャップに、さすがのキョウも堪えたらしい。舞浜サーバー内ではもうすぐ八月。キョウにとって五回目のリセットが近付き、彼はただでさえ心を痛めている時期だ。

 雪の舞う中、キョウがアルティールを着陸させたのは、舞浜市の南端の海岸。東京から千葉へと続く廃墟にぐるりと囲まれた中、南側にだけ水平線が開けて見える。胸を押しつぶすような暗い雲の色を映しこんだ海は、鉛色をしていた。
 アルティールを屈ませて、キョウは一人海岸に降りた。シズノが続こうとすると、彼は振り向かずに言った。
「来るんじゃない」
 思いがけない低い声に、シズノは雪よりも冷たい氷の刃に貫かれたように思った。
「ゴメン、でも雪の中だから」
 振り向いてシズノを見上げる彼の瞳は、揺らいでいた。その言葉は冷たくても、シズノを気遣ってくれる彼の優しさから生まれてきたものなのだ。シズノはゆっくりと瞬きをして微笑を浮かべると、彼に答えた。
「ここに居るわ」
 シズノに軽く頷いて、キョウは海の方へ歩いていった。

 雪の舞う中を歩く、キョウの姿はアルティールから離れていく。ホログラフィの投影範囲を越えれば、幻体である彼の姿は消えることになる。彼の姿が投影限界を越えて消えてしまうような幻視を見たように思えて、シズノはアルティールのコックピットで身震いした。現実世界の実際の気温など感じ取れないのに、酷く寒い気がして、シズノは両手で自分の体を抱いた。キョウは投影限界で歩くのを止めたらしい。雪を吸い込む海を見遣る背中が、小さく見えた。

 実際に気温が下がってきて、冷えたコンクリートの上にはうっすらと雪が積もり始めていた。だがアルティールに降る雪は積もらずに融けてしまい、ぽたりと落ちる重い雫は涙のようにも見えた。
 音もなく降る雪は、海を見ているキョウにも降りかかる。手のひらを差し伸べても、雪はその手をすり抜けて落ちていく。大粒の雪が掠めていく度に、キョウの姿を投影するホログラフィが乱れる。投影範囲内に留まっているのに、彼の姿は降りしきる雪にかき消されてしまいそうだ。それは身の安全が保障された自傷行為にも見えた。実体としての雪と干渉できないホログラフィにどれほどノイズが走ろうとも、幻体データそのものに傷は付かない。それでも触れられない雪が、確実に彼の心を切り刻んでゆく。
 今は五回目の七月。舞浜に、降るはずのない雪が降る。


 キョウとシズノが二人で初めて雪を見たのは、一面の銀世界でのことだった。
『凄いな。体投げ出して、雪の中泳げたら気持ちいいだろうな』
 キョウは明るい瞳を輝かせてそう言った。
 だが、静まり返った白い世界を目にして、シズノは言いようのない感情が湧きあがってくるのに震えていた。黙ったままのシズノを訝って、キョウはリアシートを振り返った。自分の両手で体を抱いているシズノがその目に映る。

『シズノ?』
 心配そうな声音に、シズノはようやく目の焦点をキョウに合わせた。
『……恐い』
『雪が?』
 微かに眉根を寄せて問うキョウに、シズノはゆっくりと首を巡らせた。視界を覆うのは、一面の白い雪だ。
『真っ白な、世界があるの』
 キョウは黙ったまま、シズノの言葉を待った。
『私はそこから出て、この色のある世界に来たのよ』
『色のある世界?』
 そう繰り返すキョウに、シズノはただ頷いた。真っ白な世界とは何のことなのか、キョウにはそれが彼女の過去に関わるものだとしか分からない。シズノに聞かされた彼女の素性からすれば、それは決して彼女にとって良い思い出とは言えそうにない。気丈な彼女を怯えさせるような、そんな忌まわしい記憶なのだ。
 だが彼女はそこから逃れて、色のある世界に来たのだという。それはきっと、二人が見ている現実世界のことを指しているのだろう。今目の前にあるのは一面の銀世界だし、あらゆる色を奪ってしまうデフテラ領域に侵食された大地は、元の美しさは見る影もない。だが、ガルズオルムの勢力が及んでいない場所では、青く光る海、花咲く春、秋に燃える山と、世界はまだその色を残している。ふとキョウは、その単語を使った言葉を思い出した。
 ──色即是空、空即是色。
 色とは姿形があること、空とは実体がないこと。それが同じだと説く、般若心経の一節だ。
 彼女は空の世界から、この色のある世界へと来たのだ。だがキョウと同じく量子サーバーの中で生きている幻体であるからには、やはり実体を持たない空の世界の住人でしかない。もし人工幻体であるイェル=シズノが実体を得て、本当の意味で色のある世界に出て行くことが出来たなら、古くから伝わるその言葉は、真実を告げていたということになるのだろうか。
『ごめんなさい、つまらない話をして』
 つい考え込んでいたキョウに、シズノが呟く。
『いや、そんなことはないよ』
 キョウは明るい声でそう言って、笑ってみせた。
『ここだって、雪が融けたら色が溢れだすさ』
『雪が融けたら?』
 そう問い返すシズノの顔を真っ直ぐ見つめて、キョウは告げた。
『そうさ、これはただの雪。いつか陽の光を浴びれば融けてしまう。だから、恐がらなくてもいいんだ』
 その言葉に融けだしたのは、シズノの心だった。


 彼はどれほどの間、舞浜の廃墟にもシズノにも背を向けて、暗い海を見ながら雪に打たれていたのだろうか。近付いてくる足音に、シズノは追憶にふけっていた目蓋をゆっくりと開いた。リアシートを向いて座って、シズノを覗きこんでくる彼の明るい瞳の色が、温かかった。
 ──キョウが、帰ってきてくれた。白い雪の世界から。
 目を細めるシズノに、キョウは身を乗り出して顔を近づけた。
「ゴメンな、君は雪は好きじゃないだろ」
「気にしないで」
 シズノはそう答えて首を振った。
 でも、雪は嫌い。
 胸中でそう呟いて視線を逸らす、シズノの頬に熱いものが零れ落ちてくる。目元を拭ってくれる、彼の指はそのままシズノの頬を抱いた。
「意味のないことをしてたってさ、分かってはいるんだ」
 瞳の色を深めてそう謝意を示すのは、いつも通りの彼の声。声音にも瞳にも、先ほどまでの揺らぎはない。本当に、いつも通りの彼が帰ってきてくれたのだ。
「言うことは、それだけ?」
 答えの代わりに重ねられた唇も、いつも通り優しいのに──それがすぐに離れると、何故こんなにも後味は苦いのだろう。
 物足りなさそうなシズノの顔を見て、キョウは額をこつんと合わせた。
「もう帰ろう。これ以上遅くなると、シマに何を言われるか」
 そう言って前を向いて座りなおす、キョウの背中をシズノは見つめた。
「言わせておけばいいのよ」
 その低い声に、キョウは目を見開いて振り向いた。頬を僅かに膨らませたシズノが、こちらを軽く睨みつけてくる。
「そういう訳にもいかないだろ。遅くなったのはオレのわがままなんだから、埋め合わせはするって」
 弱音を滲ませたキョウの言葉に、シズノは微かに笑みを浮かべた。
「今の音声記録、個人領域に移しておいたわ」
「言質取ったって言えよ」
 苦みを交えた声でぼそっと呟いて、それでも振り向きざまに表情を緩めると、キョウはコントロールグリップを握った。
《Zegapain Altair activating》
 アルティールは光子翼を展開すると、雪の降りしきる空へと舞い上がった。


 いつか雪が融けたら、ここには色が溢れてくる。
 彼の言葉が本当なら、早く雪が融けてしまえばいい。
 彼の姿をかき消すような雪なんて。
 彼の心をかき乱すような雪なんて、融けてしまえばいい。
 だから私は、雪が嫌い。
 いつかこの世界に陽の光が差したら、この雪は融ける。
 この暗い雲が晴れたなら。
 そのとき私は──雪と共に消えてしまうかもしれないけれど。
 七月の雪の中を彼と二人で飛びながら、シズノはそんなことを思っていた。


(0707.01)



あとがき

 ゼーガの主題歌・挿入歌の編曲でおなじみの保刈久明さんが以前活動していらしたkarakの「七月の雪」 (試聴) からお題を戴いてきました。毎年七月になると必ず聴き返すこの曲は、切ないという次元を通り越してしまっているようでいて、でもつい無限ループで聴いてしまうような独特の魅力のあるものです。Backing Voiceとして新居昭乃さんも参加していらしたりします。試聴だと一番最後のところでちょっと聴こえるかなー。後半の声の広がりが凄く綺麗なんですよ。
 シズノと雪については先に「雪と虹」でも少し書いたのですが、その際に保留した場面を今回書いてみました。七月の舞浜に雪が降るという時間設定については、ゼーガペイン年表2で組んでみた年表の通りです。
 そういう時期だけにちょっと酷い話だよなぁとは思いつつ、でもこの場ではキョウは立ち直ってみせているのに、その後一人で自爆しちゃうんだよな。とはいえ、あの自爆さえ彼にとっては前向きなものだという解釈をしているので、そのあたりはまたいずれ書けたらいいなと思っています。


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