snow and rainbow
雪と虹
the days after
|
【snow in MAIHAMA server】
秋から冬へと季節が巡り、十二月の声が聞こえてきた舞浜の街に、急に赤や緑の色彩が増えた。金銀の星、白い雪、地上の虹を思わせるありとあらゆる色の光。クリスマスを祝う装いに包まれた美しい街の風景に、ミナトは感嘆の息を漏らした。
「舞浜のクリスマスも綺麗ね」
「この季節は良いですよね、寒いけど何かあったかくて」
「宗教なんて関係ない、ただのお祭りだけどね」
イリエとクロシオがそう続けるのに、ミナトは唇に指を当てて小首を傾げた。
「でも何だか、冬のクリスマスって妙な感じね」
「ミナト先輩、シドニー出身ですもんね」
カミナギ・リョーコの言葉に頷いて、ミナトはその明るい水色の瞳で冬枯れた木立を見遣った。ミナトの故郷、シドニーは南半球の都市。クリスマスの頃は夏の盛りだ。サンタクロースはサーフボードに乗ってやってくる。
「分かっているのよ、本来は冬なんだって。でもね」
そう思ったミナトに、ある思惑が浮かんだ。
ミナトが舞浜サーバーで暮らすようになって、これが初めてのクリスマス。サーバーのループが一年に延長されるようになったおかげで、巡ってきた季節だった。そしてもう一つ、オケアノスが失われた後で、ミナトが初めて経験している日々が、彼女の住んでいる家にあった。ミナトは今、ミサキ・シズノと一緒に暮らしているのである。それは、シズノが過去の記憶を失っていることもあって、彼女を心配しての行動ではあったのだが、理由はもう一つあった。
私が、寂しいからなのよね。
戦いが終わって、失うものが多すぎた者同士、寄り添って生きるのも良いだろう。そう思っていたミナトだが、今は同居人が一人というか一匹と言うべきか、ともかく増えている。失われたはずのシマ司令のデータの一部を組み上げた猫。それはまだシマその人ではなくただのパーツの寄せ集めでしかないのだけれど、猫が時折覗かせる想い人の片鱗に、ミナトは心の中が熱くなるのを感じていた。
「シズノ、クリスマスに欲しいものってあるかしら」
「ありがとう、でも特に思いつかないのだけれど」
シズノはそう言ってミナトの問いに戸惑った。
「何でも良いのよ、言ってみて」
「そうね。じゃ、欲しい本があるのだけど良いかしら」
シズノがそっと耳打ちした本の題名に、ミナトは瞬きをして答えた。
「……また、何でそんなの」
「私自身もよく分からないのだけれど、どうしても気になるの。ずっと図書館で借りてるのだけど、自分の手元に置いておけたら良いなって」
それは確かにシズノが欲しいものなのだ。ミナトは微笑んで頷いた。
「分かったわ、楽しみにしていてね」
「貴女は?」
そう問い返されて、ミナトは微笑を崩した。
「そうね、確かに急に訊かれても分からないものね」
ミナトが本当に欲しいものはあるのだけれど、それはすぐには手に入らないと分かっている。だから、今欲しいものは咄嗟には思いつかない。
「貴女に任せるわ、シズノ」
十二月二十二日、舞浜南高校は二学期の終業式。
「じゃあ、よいお年を」
そう言って下校していく生徒を見送りながら、ミズサワが腕を抱いて呟いた。
「急に冷え込んできましたね。雪になるのかしら」
「この分じゃ、期待できるかもしれませんなぁ」
「ほんとですか?」
ミズサワが振り向いて問うのに、クラシゲは頷いた。
「観測者の意思が、この世界の姿を決めるんですよ」
「二学期も終わりか、何だかあっという間だったな」
「色々あったものね。凄く新鮮だったし」
生徒会室でお茶を飲みながら話しているクロシオとイリエに向かって、ミナトは腰に手を当てて口を開いた。
「私達に冬休みはないのよ」
「分かってますって」
ミナト達も初体験の、舞浜サーバーの冬。そのシステム環境の監視と調整に携わるセレブラントには、確かに冬休みなどというものはない。
「でも、二人にも予定はあるのでしょう?」
表情を緩めてミナトがそう問うのに、クロシオとイリエは、ややおいてから顔を見合わせた。
「あったかしら?」
「なかったっけ?」
二人は気が合っているのかいないのか、全く同じタイミングで呟いたのに、ミナトはクスリと小さく笑った。
「いいわよ、することだけしてくれたら、イヴは二人で好きにしていて。私の家にも監視モニタはあるから」
「ありがとう、ミナト」
二人で改めて微かに頷き合ってから、珍しく名前でそう呼びかける、イリエはミナトを友人として見てくれていた。静岡サーバーからずっと一緒に戦いの日々を生き延びてきた二人に、ようやく恋人達の季節が巡ってきたのだ。そんな二人を見守ってあげたい。ミナトにはそう思える余裕も出来ていた。
「じゃ、始めようか」
クロシオは、キーボードに軽やかに指を走らせた。
二十四日、今晩はクリスマスイヴ。ミナトはシズノと一緒にキッチンに立ち、腕によりをかけてクリスマスのディナーを作り上げた。
猫のシマ用にと、キャットフードをケーキ風にデコレーションしたものまで揃えたのだが、猫の本能にはそんな見掛けは重要ではないらしい。それでも美味しそうに食べる猫を見遣ってミナトは微笑み、シズノにディナーを取り分けた。
やはり一緒に暮らしていて良かった。一人きりのクリスマスなんて、考えられないわよね。そうミナトは思うのだけれど、この舞浜サーバーではそうとも知らずに一人きりで暮らしている幻体が多い。寧ろ自分達は幸せなのだ。改めてそう思って、ミナトは窓の外を見遣った。
舞浜の街に、白い雪が降り積もる。
ミナトが夢にまで見た、ホワイトクリスマスだ。
『だってシドニーではありえないのよ、舞浜ならホワイトクリスマスで良いじゃない』
そう声を上げるミナトに、舞浜サーバー出身のリョーコが答えた。
『舞浜だって、この時期に雪が積もるなんて滅多にないんですよ』
『静岡だって、そうはなかったですよ』
『どうしても雪が見たいなら、富士山に登れってね』
静岡サーバー出身のイリエとクロシオにまでそう言われて、シドニーサーバー出身のミナトは意固地になった。
『良いじゃない、少しくらい夢を見たって』
どこか涙声のミナトに、日本人三人は苦笑しながら顔を見合わせた。
『悪いなんて言ってませんよ。やりましょうよ、ミナト先輩』
リョーコがそう言うのに、ミナトは顔を輝かせた。
シズノが自室から、綺麗なラッピングを施した包みを二つ持ってきた。
「クリスマスプレゼントって、今渡していいのかしら」
思いがけない言葉に、ミナトは目を丸くした。
「本当は明日の朝ね。でも良いわ、ありがとう、シズノ」
「はい、シマにゃんこちゃんにも」
そう言われても、猫には包みを開けられない。ミナトが代わりに開けると、猫じゃらしが顔を出した。猫の瞳がらんらんと輝いたように見えて、早速手を伸ばす。
「ほらほらー、おいでー」
シズノがミナトの手元から猫じゃらしをつまみあげると、猫は夢中でじゃれついてくる。
「気に入ったみたいね、ありがとう」
「良かった」
ミナトが礼を言うのに、シズノは猫じゃらしで遊びながら微笑む。ミナトは自分宛の包みを開いて、あっと声を上げた。
「これってオーストラリアの、カレンダー……」
「貴女の故郷でしょう。南半球のカレンダーって、季節が逆だから面白いのね」
「ありがとう、本当に……ありがとう」
懐かしい風景が次々に現れて、じわりと熱いものがこみ上げてくる。十二月の写真に写っているのは夏のクリスマス。それは記憶の中にだけ残された、ミナトにとっては本物のクリスマス。忘れていた痛みが、ミナトの心を突き抜ける。傍らのシズノに身を寄せて、ミナトは頬に涙がこぼれるに任せていた。
猫がミナトの手元を覗きこむのに気付いたシズノがカレンダーをめくると、猫がぽんっと手を置いて、ミナトを見上げた。ミナトはその写真を見て息をのんだ。
ミナトがシマと出会ったシドニーのあの場所が、そこには写っていた。
にゃあ、と細い声で猫は鳴く。シマの人格データは全て揃っている訳ではなく、シズノとは違う意味で彼の記憶は完全に戻っていない。それでも彼は思い出してくれたのだろうか。ミナトは猫を抱き上げて、自分の胸に埋めるようにして、小さく泣いた。
「なら、私ももう持ってきちゃうわね」
落ち着いてからそう言って、ミナトも自室から包みを二つ持ち出してきた。シズノに一つ渡して、膝に猫を座らせてもう一つの包みを開ける。綺麗な水色の、猫用のコート。
「悪くはないにゃ」
コートを着せられてそう喋る猫は、まんざらではない様子だ。ミナトは微笑んで答えた。
「お似合いですよ」
「あら、このカバーって」
シズノは包みから出てきた本のブックカバーの色を見て声を上げた。猫用のコートと同じ色なのだ。
「私が同じ生地で作ったのだけど、どうかしら」
「素敵よ、ありがとう。柔らかくて良い感じ」
「中身は、それで合っているのよね」
ミナトの言葉にシズノは頷いた。
「これで図書館の本を返せるわ、三学期になってからだけど」
「なら、図書館の本の方を、私が借りても良いかしら?」
ミナトがそう訊くのにシズノは瞬いた。
「良いんじゃない」
「スタンダールの『恋愛論』なんて、読んだことなかったわ。面白い?」
ミナトの問いに、シズノは視線を宙に泳がせた。猫はそんなシズノを不思議そうに見遣る。
「そうね、面白いというよりも……気になるの。何故私はこの本を読みたいと思ったのか、それすら分からないから」
そう、とミナトは呟いて、シズノから窓の外の雪に視線を移した。シズノがミナトの視線を追って、ふと立ち上がって窓の側まで寄った。
「真っ白ね」
「ホワイトクリスマスだもの」
ミナトもそっとシズノの傍らに立って、窓の外の闇に浮かぶ白い世界を見遣った。
「真っ白な、世界があるの」
シズノが静かに口にした言葉に、ミナトは彼女の横顔を見つめた。
「そこには何もなくて、それがどこなのか、私は何も知らない。でも私はそこに居た」
猫がシズノの足元に近付いて、尻尾を絡ませるように寄り添う。
「今でも私はそこに居るのかしら、それとも私の中にその世界があるのかしら」
とめどなく話すシズノの声には微かな震えがある。白い闇に怯えるように揺れる、かつてのシマと同じ菫色の瞳を見て取って、ミナトは彼女をそっと抱き寄せた。オケアノスでシマと別れたときに、シズノがミナトを抱いてくれたように。
「恐がらなくていいのよ、あれはただの雪。陽の光を浴びれば、融けてしまうわ」
「あの白い世界を融かす光はあるのかしら」
「それは……きっとあるわ、一緒に探しましょう」
ミナトの言葉に、シズノがふと口を開く。
「一緒に……」
シズノはその言葉を繰り返して、微かに眉根を寄せた。
「何かを一緒にするって、そう言ったの」
「誰が?」
ミナトははっとしてシズノに尋ねた。
「誰だろう……私? それとも……分からない、でも」
シズノは顔を上げて、窓の外の雪を見た。その目元に光るものが、零れ落ちていく。
「約束をしたの、誰かと、何かの。それが何か、いつのことか、分からないけれど」
「そう」
その約束の、直接交わされた言葉をミナトは知らないけれど、大体の想像はつく。その約束をシズノに果たさせてあげたい。きっとそのために、あの時ミナトはシズノを救い出したのだから。
「ゆっくりでいいのよ。一緒に、探しましょう」
ミナトが囁くようにそう告げると、シズノは小さく頷いた。シズノの足元の猫も呼応するように細く鳴いた。
シズノにとって、あの雪は恐ろしい白い闇であっても、彼女が忘れてはならない大切な約束へと辿りつくための一滴の希望の光ともなったのだ。ならばこの雪を降らせて良かった。シズノの体の温もりを感じながら、ミナトはそう思った。
舞浜に、白い雪が降り積もる。作り物の街の、作り物の雪だけれど。皆の夢も、涙も、全てを包み込んで。
|
|