Camille Laboratory : ZEGAPAIN Topゼーガペイン>創作小説

le parapluie rouge
赤い雨傘




KYO & SIZUNO in past days




1 CC

 二人に残された時間は、あと十数分。
「それまでに助けが来ないと死ぬってことか」
 ソゴル・キョウはそう呟いてみたが、もうすぐ自分が死ぬという実感はなかった。

 自分は既に一度死んでいる。但しそれは肉体の死であって、量子データ化され幻体となった自分は、量子サーバーの中でこうして生きている。だがそれも、初めての実戦で被弾してしまった、ゼーガペイン・アルティールのQLが残っている間だけだ。

「後悔してる? 私と出たこと」
「後悔なんて、意味のない行為だ」

 イェルの問いにキョウはそう答えた。世界の真実を知る者──セレブラントとして目覚めて、ガルズオルムの手から現実世界を取り戻す戦いに身を投じてからは、いつかこんな日が来ると覚悟はしていた。ちらりと脳裏を掠める懐かしい笑顔に光の未来があるように祈ったとしても、何か悔いるようなことを、考えたら終わりだとも。でも、それは自分がそう思っているだけであって、イェルがどう思っているかはまた別だ。

 イェル。それは人間の名前ではなく、人工幻体としてのただの識別子。
 セレブラントとして共に戦いながら、勝ち取るべき未来の果てに、人類がかつての肉体を取り戻し本来の人間に戻れたとしても、人工幻体である彼女は人間にはなれないのだという。彼女には最初から、未来などないのだ。名前がないのと同じように。

「ないなら付ければいい」
 イェルに向かってそう言って、ふとキョウが思い浮かべた名前があった。
「シズノ。──ミサキ、シズノ」
 自分にとっては大切な名前であったらしいその名が誰のものなのか、キョウの記憶は欠落してしまっていて分からなかった。でも、キョウに告げられた名前を自分で繰り返す、長い黒髪が美しい彼女には似合っていると思えた。そうしているうちに、二人の居る森に雨が降り始めた。

「永遠に触れることのない、雨ね」
 木陰から差し出す彼女の手を、雨粒はすり抜けて、彼女の姿を投影しているホログラフィを乱す。サーバーの中で生まれた人工幻体である彼女は、永遠に肉体を得られない。現実世界の本物の雨に、決して触れられることはないのだ。彼女の低い声には、彼女が囚われた暗い牢獄が見える。

 キョウは彼女に近付くと、その細い肩をそっと抱いて唇を重ねた。思いがけない事態に彼女は目を見開いた。ルージュを引いた赤い唇が、微かに震えている。
「オレ達はこうして触れ合える。だろ、シズノ」
 たとえその姿が幻でも、触れ合うことで確かめられるものがある。
 その名を呼んで、二人は同じ存在なのだということを伝えられる。
 たとえ二人の時間があと数分で終わろうとも、こうして触れ合えたのだから、生まれてきたことを悔いなくてもいい。二人とも、後悔することなど何もないのだと。
 銀色に煙る雨の森で、二人の間に熱いものが通い合った。


 その後二人は無事に生還を果たし、キョウがイェルをシズノと呼ぶようになった、その夏の終わり頃。
 太平洋上を航行するセレブラムの母艦オケアノスの司令私室に、シマとシズノ、そしてキョウが顔を揃えていた。司令席のシマは、机に肘をついた両手を顎の前で組むと、席の前に立つ二人を見据えて口を開いた。
「今からする話は、口外しないで貰いたい」
「面子を見れば分かるよ」
 キョウは事もなげにそう言った。シマとイェル=シズノの素性を知っているのは、オケアノスではキョウだけだ。その三人が司令私室で密談ともなれば、秘匿が求められる内容だとは察しが付く。

「では単刀直入に言おう。舞浜サーバーのデータを、月へ移動する」

 突然のシマの言葉に、キョウは目を丸くして一瞬言葉を失い、そして司令席の机を両手でバンと叩いた。舞浜サーバーはキョウの故郷、かけがえのない街だ。
「舞浜のデータを移す、しかも月へだって!? 冗談じゃない、何考えてるんだ」
 息せき切るようにそう畳み掛けて、キョウはシマを睨みつけた。

「随分驚いているな。私の素性を話した時とは大違いだ」
 キョウとは対照的に、シマの声はあくまでも平静だ。目の前に居るシマはやはり本来は人間ではなく、元は月面にあるガルズオルムのサーバーから、この現状に違和感を覚えた彼のオリジナルによって人類再生のために送り込まれた幻体クローンであるとは、普通なら俄かには信じられない。キョウはその笑みさえ含むようなシマの声に息を呑み、傍らで心配そうにキョウを見守るシズノをちらりと見遣って、幾分落ち着きを取り戻した。

「あれは、その前にシズノの話を聞いていたから、寧ろ腑に落ちたものさ。それとこれとは話が違うだろう」
「どう違うんだ」
 全然違うじゃないか。
 そう言いたくもなるが、シマが訊いているのは、キョウがシマの言葉をどう捉えているかだ。キョウは目蓋を伏せて息をつくと、再びシマを見据えた。

「敵の只中に舞浜のデータを移すなんて、ある意味舞浜を人質に差し出すようなものじゃないか、そんなの」
「分かっているなら話は早い。だからこそ、この作戦には舞浜の人間である君が必要なんだ」
 この作戦の意味と重さとを一番理解している舞浜の人間の手でこそ、そのデータは移されるべきだとシマは言うのだ。

「それは、分かるけどさ」
 キョウはシマから視線を外して微かに俯いた。確かに、舞浜に無関係な者に移されてしまったら、舞浜の人間としてはそれこそ腑に落ちないだろう。だったら、自分の手でやる方が良い。

「君にとって故郷の舞浜がかけがえのないものであることは承知している。だからこそ、その舞浜サーバーのデータを、我々の故郷に預かりたいということだ」
 その言葉に、キョウは口を固く結んでシマを見据えた。人類にとって敵地とはいえ、シマとシズノにとっては月が故郷なのだ。ここまで黙って二人の話を聞いていたシズノが、シマの言葉を引き継ぐ。

「貴方も知っている通り、ガルズオルムの勢力の大半は既に地球に移されているわ。確かに月は敵の只中だけれど、逆にあそこが今、人類にとって最も安全な場所とも言えるのよ」
「それも、分かるけど」
 理解は出来るけど納得がいかない。静かな苛立ちを滲ませたキョウの声に、シマが眼鏡越しの視線を向ける。
「まだ何か?」
「何で、舞浜なんだ」
 他にも稼動している人類側のサーバーはまだいくらでもある。その中から何故、舞浜サーバーを選んだのか。シマとシズノの事情を知るキョウが舞浜の人間だという以上の理由があるのならそれを知りたい。そのキョウの疑問には、シズノがシマに先んじて答えた。

「私達にとって貴方がかけがえのない存在だからよ、キョウ」
 そのシズノの言葉に、キョウは軽く目を見開いて二人を見つめた。
「私達が何者であるかを知っても、人間として受け入れてくれた貴方を守りたいから、舞浜サーバーを安全な場所へ移したいのよ」
 それはシズノの個人的な感情の発露とも取れる発言だ。だがシマはシズノの言葉を否定しようともせずに告げた。
「君だって、上海の二の舞は御免だろう」
「それは……」
 そのシマの言葉にキョウは何も言えずに俯き、下ろしていた手を握り締めた。

 地上にあって、ガルズオルムの勢力拡大は止まらない。先の上海サーバー攻防戦では、セレブラムは上海を守りきれず、サーバーは破壊された。セレブラントの被害も深刻で、サルベージされたパイロット三名は今もオケアノスで眠り続けて、一刻も早い回復が待たれていた。彼らの受けたダメージは大きいが、中でもその心を切り刻んだ、故郷を失った悲しみは、そう簡単に癒えるものではない。

 上海サーバー攻防戦の後になってしまったが、セレブラムでは新たに開発されたホロニックローダーが実戦配備された。ゼーガペインと呼ばれるその新型量子兵器は、傷つくことのない光の鎧を纏い、貫けぬもののない光の槍を持つ、無敵の戦士だった。だがそのゼーガペインを持ってしても、セレブラムの絶対的な戦力不足がある限り、ガルズオルムとの勢力差が容易に覆されるものでもない。セレブラムはようやく反撃の手段を手に入れた段階でしかなく、キョウとシズノの二人が駆るゼーガペイン・アルティールで劇的とも言える戦果を挙げようとも、セレブラム全体としてみれば依然劣勢のままだった。

 もし舞浜サーバーが破壊されたら、故郷を失ったキョウは戦力として使えなくなる。オケアノス司令としてのシマなら、それを回避したいと思うのは当然だろう。だがそうしたシマならではの合理的ドライな理由だけではなく、シズノの言う通りの感情的ウェットな理由も込められているというのなら、キョウとしてはその好意を受け入れない訳にもいかない。きっと顔を上げて、キョウは口を開いた。
「分かった。詳しい話を聞かせてくれ」
 シマは、真摯な眼差しのままキョウに対して頷いた。


「作戦名はクークー、暗号でCCだ」
「カッコウ……托卵か」
 キョウはシマの挙げた鳥の名を繰り返した。カッコウは他の種類の鳥の巣に卵を産みつけて、仮親となった鳥は我が子でないのにカッコウの卵を抱く。いち早く孵ったカッコウの雛は仮親の卵を巣の外へと捨て去り、自分だけを育てさせる。こうした托卵と呼ばれる習性で知られる鳥になぞらえられた作戦で、仮親とはガルズオルムでありながら人類再生を計るシマのオリジナルであり、托される卵とは舞浜サーバーの幻体を指す。

「ちゃんと雛が孵ればいいけどな」
「無事に巣立つさ、そのためにも托すのだから」
 そのシマの言葉に、キョウが微かに目を細めて、表情に険しさが混じる。
「やっぱり、二段構えだったな」
 シマはただ、薄い笑みで応える。代わって、シズノがキョウに説いた。

「ガルズオルムのサーバーでは時が加速している。人であることを捨てた彼らは、既に人類とは違う種よ。でも私達の目的はあくまで人類の再生。シマのオリジナルが開発しているリザレクションシステムは、かつての人類の記憶を留めた幻体に適用するものでなくてはならない」
 量子サーバーで生きるしかない幻体となった人類が肉体を取り戻し、現実世界で生きる未来を取り戻す。それを実現するためのリザレクションシステムとは、今とここしかない世界を開放する扉だ。だがその扉の鍵を持つシマのオリジナルの手元には、人間と呼べる者は存在していない。

「つまり、舞浜のデータはサンプルとして使われる訳だ」
 キョウは目蓋を伏せながら、自分の言葉に棘が含まれているのを自覚していた。だが寸でのところで、実験材料という言葉を使うのを避けた。幻体クローンであるシマと人工幻体であるシズノの前で、それは人として口にしてはならない言葉だ。シマは平然としたまま、キョウに答えた。

「そういうことだ。舞浜には、様々な事情から幻体としてロードされずに眠っているデータや、破損して修復不能なまま保存されているデータもある。そうした者達の復活の道も探りたい」
「幻体修復プログラムとの合わせ技か。それも道理だけれどな」
 ふと瞬きをして、以前シマから聞いた話を思い出してそう口にして、キョウはちらりとシズノを見遣った。
「ともかく、この作戦が我々にとって必要不可欠なものであることは分かってくれたと思うが」
「いずれ誰かが月へデータを移さなければ、オレ達に未来はない。そういうことだろう」
 キョウがそう答えると、シマは口の端を僅かに上げた。




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