Camille Laboratory : ZEGAPAIN Topゼーガペイン>創作小説>le parapluie rouge

「で、何時やるんだ」
「君さえ良ければ、今度の舞浜サーバーのリセットの際に決行したい」
「今度のって……もうすぐじゃないか」
 舞浜サーバーはその処理能力の限界から、4月4日から8月31日までの150日毎にリセットされる。キョウにとって3回目のリセットが、すぐそこまで迫っていた。

「そうだ、余り時間がない。良く考えてくれ」
 考えるも何も、選択肢は一つしかない。
 ループ中のデータ移動はリスクが大きい。リセットと同時ならそれを最小に出来るだろう。
 そして今回を逃せば、次のリセットは5ヵ月後だ。それまで、現状のようなゼーガペインの戦術的優位性が確保できているという保証はなかった。既にガルズオルムがゼーガペインへの対抗手段として投入したと思しき新型機が、少数ながら確認されていた。

「上海がやられて、このあたりの味方は手薄だ。オケアノスだけでやれるのか?」
 僚艦の援護は初めから期待できない。無謀とも思える作戦に対するキョウの危惧に、シマは毅然と答えた。
「手薄なのは敵も同じだ。今奴等の目は制圧したアジアから外れてヨーロッパに向いている。舞浜の移動計画と丁度時を同じくして、ヨーロッパ戦線で大規模な作戦がある」
「それを陽動に使うっていうのか?」
 無言の表情がキョウの問いを肯定する、シマの言葉は真実の全てではないのだろう。舞浜サーバーの移動計画が先にあって、陽動になるようにヨーロッパの作戦を立案したのはシマではないのか。彼にとって、全てが織り込み済みだというのなら。

「もう一つ、訊いておきたいことがある」
「何だ」
「オレとシズノを組ませたのも、こうなることが分かっていたからなのか?」
 キョウの言葉に、はっとしたシズノはキョウからシマへと視線を移す。シマは眼鏡を外すと、目蓋を伏せて微かに笑った。
「イェルの行動も君の対応も予想外だ。私は適材適所を考えただけだからな。だが、君ならば……ということを考えなかった訳でもない」
 キョウには、そのシマの回答で充分だった。


 シマが説明した托卵──CCの作戦内容に、キョウは唖然とした。ゼーガペインが大量投入されるヨーロッパでの作戦を陽動に使う関係もあるが、CCを直接実行するのはオケアノスと、キョウとシズノのアルティール一機のみ。CCの内容が内容なだけに、事情を知るシマとシズノとキョウの三人だけが関わる極秘任務となるのは仕方がないが、それにしても単機で月へ行けというのは無謀にも程があるとキョウには思えた。だが無謀さの中にしか突破口がないというのも、分からない話ではなかった。

「心配はしていない、君なら突破できる」
 そのキョウへのシマの言葉には、共に戦う中で培われた信頼に裏打ちされた、真摯な響きがあった。
 ガルズオルムが勢力の大半を地球へ移していて、その本拠である月の防衛網を単機で突破できる可能性のある好機は、今を置いて他にない。地上での勢力差がある以上、それはあくまで遊撃としての戦果にしかならないのだが、それは小さいものであっても、人類の未来を開く重要な一歩となる。とはいえ、作戦の詳細を組み上げたAIのタルボが示したというCCの成功する可能性の数値は、絶望的とも言える小さなものだった。だがシマは顔を上げて言い切った。
「可能性は、ゼロではない」
 シマに向けてキョウは頷き、そしてシズノとも頷きを交わす。三人の想いは、一つになった。


 ヨーロッパでの作戦のために各母艦が動き始めたのに合わせて、オケアノスで唯一確保されたキョウとシズノのゼーガペイン・アルティールは、CCの事前準備のために舞浜へ向かった。廃墟となった現実の舞浜の地下深く、実際にサーバーの前に立ち、筐体を見上げる。サーバーの各所に流れる光が、このサーバーが生きていることを示していた。ハードウェアのチェックのために一時的にイジェクトしたホロメモリが抱く光の中に、舞浜のデータが格納されている。この光の中で、皆が生きている。そう思うと、何だか不思議だとキョウは感じた。尤もそれを見ているキョウ自身も、アルティールの光装甲に守られて生きているのだが。

 通常の外部メンテナンス手順をクリアした後、シズノの指先がパネルの上を更に走る。月に托す卵──舞浜サーバーのデータを無事に運び出すために必要な処置だ。
「終わったわ」
 リアシートからシズノにそう言われて、頷いたキョウは振り向かずに口を開いた。
「ミッション終了、転送開始」
《Entangle timeout.》
 光となって消えゆく中で、キョウはもう二度と見ることはなくなるであろう舞浜サーバーの今の姿を、自分の目に焼き付けようとした。


 キョウとシズノが遂行するCCには、二人の命だけでなく舞浜の命運が掛かっている。その成功の可能性の低い任務を単機で果たすのに、今まで以上にQLの消費を抑えた効率的な戦闘が求められていた。ブリーフィングとシミュレーションとを繰り返し、ここで一息入れようとなった時には、舞浜時間では深夜になっていた。明日の朝も早いと思うと、眠るためだけに一人で舞浜に戻るのを、キョウは億劫に感じた。こんなことは、今までになかった。

「舞浜に戻った方が良いわよ」
 シズノの淹れたコーヒーが飲みたいというキョウに、彼女は嗜めるように言った。
「こんな時間に飲んだら、眠れなくなるわ」
「舞浜に戻れば眠れるよ。でも今は、ここに居たい」
 勝手知ったる風に彼女の部屋のベッドに腰掛けて、オリーブ色のタンクトップから伸びるむき出しの腕を後ろに付く。そんな恰好から上目遣いにそう言われては、カップを二つ手に持って立っているシズノも、小さく息をついてキョウに微笑を返さない訳にはいかなかった。

「なら、お砂糖とミルクをたっぷり入れるのはどう?」
「君に任せるよ」
 そう言われて、シズノは頷くとコーヒーを二人分淹れた。
「はい、どうぞ」
「サンキュ」
 シズノからカップを受け取って、香りを楽しんで、口をつける。キョウのすぐ右隣に、シズノが自分のカップを持って腰掛けた。赤いチェックのミニスカートから覗く両膝をそっと合わせて、間近なキョウの横顔を覗く。
「どう?」
「……甘い」
 そう言うキョウの顔は、苦りきっている。それでもシズノが淹れてくれたのだからと、その後はゆっくりと飲み干した。
「そんなに甘かったかしら、これはこれで美味しいと思うんだけど」
 カップを両手で持ってコーヒーを飲むシズノを見ながら、キョウは笑った。

「だったら、マックスコーヒーも楽勝で飲めそうだな」
「それ、何?」
 不思議そうに瞬く、シズノがそんなものを知っているはずもない。
「千葉近辺でしか売ってない缶コーヒーだよ。チバラキコーヒーなんて言い方もあるけど。コーヒーというより、あれは既にコーヒー牛乳なんだけどな」
「面白そうね」
 笑みを浮かべるシズノに、キョウはほっとしている自分を見つけた。シズノと二人、こんな他愛のない話をする時間を、近頃は持てないでいたのだ。何より、シズノの笑顔を見るのが久しぶりだった。ようやく見せてくれるようになった、彼女の笑顔を。

「舞浜に戻る理由ができたな。明日の朝、買ってくるよ」
 カップをテーブルに戻して腰を浮かせたキョウの手を、シズノが引きとめる。こちらを見上げてくる菫色の瞳が、揺れて見えた。
「舞浜に戻れって言ったのは君だろ」
「ここに居たいって言ってくれたのは、貴方よ」
 視線が絡み合って、元の位置に掛け直したキョウはシズノの頬を右の手のひらで抱くと、寄せられる赤い唇に口付けた。それは甘くて苦いコーヒーのようなキス。


 貴方に出会うために生まれてきたのかも知れない。
 そんな台詞は、銀幕の中だけのものだと思っていた。
 ここが、映画という虚構と大して変わりない、幻のような世界だとしても。
 濡れた瞳で、艶を帯びたシズノの声でそんな風に囁かれて、体中に熱いものが駆け巡るのは何故だろう。
 キョウに分かるのは、確かに今この腕の中にシズノが居るということだけだった。


 舞浜の、8月30日の深夜。カミナギ・リョーコは携帯の着信音に、メールを開いた。
『ゴメン。明日急用で行けなくなった』
 その直後、リョーコの部屋とはバルコニー越しに向かい側になるキョウの部屋で、携帯が鳴った。リョーコからの通話だ。

「ちょっとキョウちゃん、どういうこと?」
「だからメールしたろ、急用だって」
 夏休みの最後の日である8月31日は、いつもリョーコと過ごすことになっていた。キョウがセレブラントとして目覚めて3回目の夏である今期もそのつもりだったが、CCの実行が重なったために、リョーコとの約束を守れなくなったのだ。キョウはリョーコにはギリギリまで言い出せずに、ようやく今頃メールを出したのだが、案の定リョーコは即座に電話を掛けてきたのだ。

「ね、外に出てきてよ。顔を見て話したい」
 作戦の準備に明け暮れていたこともあり、このところキョウはリョーコとはまともに顔を合わせていなかった。キョウは目蓋を伏せて携帯を握り締めると、窓を開けてバルコニーへと出た。向かい側のバルコニーに出ているリョーコを見遣って、低い声で呟く。
「何だよ」
「それはこっちの台詞でしょ。どうしちゃったの? 何だか、私の知ってるキョウちゃんじゃないみたい」
 微かに震える声と、揺れて見える瞳。リョーコの抱く不安が、キョウの胸に突き刺さる。開いた口からは声にならない動揺が飛び出して、話し始めた声は微かに裏返った。

「別に、どうもしないよ。ちょっと忙しくてさ。──もう遅いから、切るぞ。おやすみ」
「ちょっと待ってよキョウちゃん!」
 リョーコの声に背を向けて、キョウは部屋へと戻ってしまった。
「キョウちゃんのバカ」
 そう呟いて、リョーコも仕方なく部屋へと戻る。携帯の時計が8月31日の午前零時を示した。

 この時、リョーコがキョウの部屋の方を見たままだったら、リョーコの部屋の方を向いたままキョウが光となって舞浜から消えるのを、彼女は目撃したかも知れなかった。
 だが実際にはリョーコはそれに気付くことなく眠りにつき、舞浜サーバーは最後の一日のカウントダウンを開始した。


 オケアノスに降り立って、キョウは通路の壁に軽くもたれると、目蓋を伏せて天を仰ぐ額を右手で覆った。
 オレは、何やってるんだ。
 バルコニー越しなどではなく、直にリョーコに会うべきだった。携帯を使わず、肉声で話をするべきだった。自分達が所詮データだとは言っても、その二人の距離には意味がある。舞浜の最後の一日が始まる前に、リョーコにきちんと話をしておくべきだった。そう思えてならなかった。
 でも、何を話せというのか。何も、話せやしないのに。
 だから何も話さなかったのに。

 今日、8月31日に、舞浜という名の世界は終わりを迎える。繰り返す5ヶ月の時がリセットされるばかりではなく、この作戦が成功したら、本物の舞浜から舞浜サーバーのデータは持ち去られ、38万キロメートル離れた月面へと移る。
 もしこの作戦が失敗したら、舞浜サーバーのデータは永遠に失われてしまう。本当に、跡形もなく、舞浜という世界は終わってしまうのだ。舞浜の街は消え、リョーコも、キョウの通う舞浜南高校も、トミガイも、水泳部の友人達も、誰も彼も皆、居なくなってしまう。

 ──そんなことはさせない。

 キョウは、天井を見据えて右手を顔から下ろすと、胸元で握り締めた。伏せた目蓋の下で、唇が固く結ばれる。
 明日、舞浜には4月4日がやってくる。それは繰り返される時でしかないけれど、それでもまだ世界は終わらない。また皆で学校へ行って、喧嘩して、仲直りして、一緒に笑い合える日がやってくる。
 だから、オレはカミナギに何も話さなかったんだ。
 明日、4月4日に、いくらでも話せば良いのだから。
 キョウは静かに目を開くと、最終ブリーフィングのためにブリッジへと向かった。




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