舞浜南高校の生徒会室に、ソゴル・キョウが姿を見せた。キョウはリブートされた後で初めて舞浜サーバーのリセットを経験し、その繰り返す日々の痛みというものを彼は思い知ってしまった。何もかも忘れてしまっていた先のループでの水泳部への執着がまるで空しく思えてくる。
それでも水泳部が舞浜でのキョウの居場所であることに変わりはなかった。一番身近な場所から、現状を変えたい。それが現実を変えるということに繋がるのではないのかと、彼は一歩踏み出すことにした。
「なぁ生徒会長。どーしても水泳部って認めてくれねぇのか?」
そのキョウの問いにシマは眼鏡越しの視線だけを返した。隣でミナトが口を開く。
「部員が規定人数に達していない以上は、無理ね」
「じゃあ訊くけど、規定人数を満たしていない部活は、他にもあるんだろ」
舞浜サーバーに保存されている幻体数は四百余。舞浜南高校の全校生徒が全てそこに含まれている訳でもなかった。ミナトは表情を変えずにキョウに答えた。
「名簿上は満たしているわよ」
「そんなの、幽霊部員だろ」
セレブラントとして戦ったために既に失われている生徒も居る。彼らのことを思えば胸の片隅が痛むのを覚えて、声を落としたキョウは視線を逸らした。
「だとしても、水泳部は無理ね。予算の都合もあるし」
「予算くらいあんだろ、前年度に決まってんじゃねぇの?」
ミナトの言葉に釈然としない面持ちでキョウは声を上げた。そんな彼にシマは低い声で答えた。
「水泳部の予算がか? そんなものは、ない」
「なんで?」
瞬きで問い返すキョウの顔を、シマはじっと覗き込んだ。
「次年度の予算折衝は二学期に行われる。この意味は分かるな」
「舞浜に二学期は来ない……ということは、予算折衝は行われない」
前回の夏休み前に予算折衝の説明会があったのをキョウは思い出した。あれも芝居でしかないのかと、彼は小さく唇を噛んだ。
「サーバーの初期値に設定された予算の数値に、水泳部の項目はない。つまり、水泳部に永遠に予算はつかないということだ」
「んだよそれ、ありえねぇ」
気落ちした声で肩を落とすキョウに、シマは小さくため息をついた。
「生徒会の予算自体が少ないんだ、削れるところから予算は削られたのさ」
「これを見て」
ミナトが示す書類をキョウは手にとって、瞬きをした。
「会計報告?」
「一学期末の球技大会と、夏休みの県大会に向けて生徒会としても物入りなのよ。どんなにやりくりしても、夏休み中に予算は減る一方。本来なら、二学期に入ってすぐに舞南祭があるから、その収入を当てにしているのだけれど」
「二学期はないから、舞南祭での収入もない」
ないない尽くしの現状に、キョウの声のトーンは下がる一方だ。
「そういうこと。舞南祭の予算も確保した上で動くから、数字はどうしてもぎりぎりになるわ」
「でも、舞南祭もないんだったらその予算なんていらねぇじゃん」
ミナトの回答にキョウはそう言い返すが、シマは眼鏡に手をやって答えた。
「そういう訳にもいくまい。セレブラント以外の幻体は、二学期があるものとして行動している」
生徒会役員の半分はオケアノスのクルーだが、後の半分は通常の幻体だ。舞浜サーバーの幻体の殆どは、この世界の真実を知らないままなのだ。
「二学期が来るって、疑いもしないもんな」
データが保存されているというのはこういうことかと、キョウは改めて思い知らされた。8月31日に終わる世界のそのままの状態が、永遠に繰り返される。前回のリセットを迎えるまで、キョウ自身もそのことを忘れていた。
「それでも、前のオレは諦めなかったんだろ」
そう口にして真っ直ぐ顔を向けてくるキョウを見て、シマは目蓋を伏せた。
「そうだったな」
「なら、オレも諦めねぇよ」
キョウはそう言って口の端を上げた。シマも薄く笑みを返す。ウェットダメージのおかげでセレブラントとして過ごした5回の夏の記憶を失ったばかりでなく、性格まで変わってしまったように見えたとしても、やはり彼はシマの知っているあの頃の彼と同じソゴル・キョウなのだ。
「ってことでさ副会長。数字、どうにかなんね?」
「それは駄目」
けんもほろろにミナトに返されて、キョウはがっくりと肩を落とした。
「もうちょっと言い方ってもんがあんだろー。あーもーどーしたらいーんだよ」
俯いたキョウが黙ってしまったので、シマとミナトは彼をじっと見守った。顔を上げたキョウがニヤリと笑っているのに、二人は思わず身構えた。
「こうなったら生徒会長に立候補すっかな」
「生徒会役員の選挙は、二学期だ」
不敵にも見える笑みを浮かべてシマがそう言い放って、キョウはそのまま机に突っ伏した。
「やっぱそういうオチかよっ」
「それでも君は、諦めないのだろう」
それはいつもと変わらないシマの低い声なのに、キョウはどこか心地よく思えた。その声音はいつもの冷ややかさを装いながらも、温かささえ感じられた。
「だってそれが、オレだもん」
顔を上げて笑顔でそう言って、腰に手を遣ったキョウはふぅと息をついた。
「また出直してくっから、覚悟しとけよ」
「承知している」
腕組みでそう答えるシマにキョウは頷いて、『じゃあな』と声を掛けて生徒会室を後にした。
キョウを見送ったミナトは表情を緩めて、眼鏡を拭いているシマを見遣った。この二人は何度こうした光景を繰り返してきたのだろう。リブート後のキョウは何かにつけ物騒がしいが、そんな彼に対するシマの態度には、それまでに培われていた信頼が透けて見える。ミナトの知らない二人の過去を思うと、彼女は胸がちくりと痛むのを感じた。
「茶道部は予算があって良かったな」
シマがそんなことを言うので、ミナトは瞬きをして笑顔を向けた。
「え、えぇ。そうですよね」
現状、本来の茶道部の部員は誰も部活動には参加していない。それでもシマやミナトが籍を置く茶道部の活動が続いているのは、茶道部を大切に思っていたかつての部員達の想いがそこにあるからなのだろうか。シマはそんなことを考えて、ふと生徒会室の窓の外の空を見遣った。
ならば、いつか水泳部が認められる日も来るのかもしれない。サーバーに保存された条件を覆すだけの想いを、キョウが持っているのなら。
その日が来るのを彼と共に迎えることは来るのだろうか。シマはふと掠めたその考えを振り払って、今見るべき現実に目を向けることにした。
シマとミナトが茶道部だというのは捏造設定です。
→『決戦! 腕相撲』
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