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side-by-side




KYO & RYOKO in YUKATA
entanglement10「また、夏が来る」より




【KYO side】

「どーすりゃいいんだ……」
 ソゴル・キョウは、自宅の姿見の前で立ち尽くしていた。
 窓の外はどんどん闇に包まれてゆき、時計の針は無情に進んでゆく。
 なのに、彼には立ち尽くすしかなかったのだ。

『7時に下で待ってるからね』
 カミナギ・リョーコからのメールを読み、慌てて夏祭りに着ていく浴衣を探して家捜しを始めたのは午後6時前。自分でしまった覚えのないものを探し出すのは至難の業ではあったが、なんとか浴衣と帯とを見つけて、着替え始めたのが6時17分。こんなもん、旅館の浴衣と一緒だろー、と軽い気持ちで袖を通したは良かったが、決定的に違うものがあった。帯である。そのまま外に出掛けるのだから、さすがに適当に縛っておけばいいというものではなく、きちんと結んでおかなければならない。けれど結び方がよく分からないのだ。あぁでもない、こうでもないと試行錯誤するうちに、どんどん時間が過ぎてゆく。

 この浴衣は中学3年の時に水泳部仲間のハヤセ達と一緒に盛り上がって買ったものだ。藍の地に大ぶりの菱を染め抜いた、古典的だが粋なものだ。彼らと夏祭りに出掛けるのだから、当然この浴衣を着ていくに決まってる。そう思って出してきたはいいのだが、あの時は全部自分で身支度が出来たのだろうか。最後には母の手を借りてしまったのだろうか──どうもよく思い出せない。どちらにせよ、今母の手を借りることはできない。その姿さえ、もうここにはないものなのだから。舞浜サーバーと呼ばれる箱の中の、キョウたちの暮らす作り物の街には。

 やはり浴衣は諦めて、Tシャツで出掛けようかと思ったその時だ。
《お困りのようですね、キョウさん》
 鈍い音と共に、淡い光がキョウの目の前の鏡に映りこむ。振り向けば薄青の透明なプレートの中に、微笑を浮かべる女性の姿があった。
「フォセッタかぁ、おどかすなよ」
 プレートに投影された彼女は舞浜サーバーの住人ではない。舞浜サーバーの外の現実世界の、セレブラムの飛行母艦オケアノスに配備されたAIだ。今現実世界は、侵略者ガルズオルムと、それに対し人類が結成した組織セレブラムとの戦いの只中にある。生物としての人類はガルズオルムに既に滅ぼされており、残された人類は量子サーバーに保存されたデータ人格記憶体──幻体──として生き延び、抵抗戦を挑んでいる状況だった。キョウもその戦いに巻き込まれ、現実世界での戦闘と舞浜サーバーでの日常とを行き来する日々が続いていた。世界の真実を知り混乱するキョウを、フォセッタは折にふれ支えてくれていた。時にはこうして、舞浜に現れることもある。

《あら、浴衣ですね》
 フォセッタが浴衣を羽織ったキョウを見てそう言うと、彼女を投影するプレートがくるりと回転した。プレートの中で、フォセッタが浴衣をまとってはにかんでいる。黒い髪をまとめた彼女に、白地に濃淡のある藍で撫子をあしらった浴衣が良く似合っていた。
「お、なかなかいーじゃん」
《ありがとうございます》
 そう応えて微笑むフォセッタの清楚な浴衣姿に、キョウは思わず見とれた。そして、どこか懐かしい感じを覚える。
「……何か、母さんを思い出してんのかな、オレ」
《それ、女性を口説く時の常套句ですよね》
 悪戯っぽい口調のフォセッタに、キョウの方が顔を赤くする。
「あ、いや、そんなつもりじゃ……」
 必死に弁解するキョウだったが、そんなことをしている暇はないのだと思い至る。控えめに笑っているフォセッタに向けて、キョウは咳払いをした。
「えーと悪いんだけどさ、オレ今忙しいんだ」
《ですから、私に何かできることはありませんか?》
 彼女はあくまで支援用のAIなのだ。キョウが途方に暮れているので、助け舟を出しに来てくれたのである。
「……じゃあさ、帯の結び方教えてくんね?」
《はい。直接お手伝いすることは出来ませんけれど、ご説明なら》
「頼むよ、ちょい時間ないんで、ぱぱっとさ」
《承知しました。では、基本的な貝の口結びをご説明しましょう。まずはじめに……》
 いつも通り、よどみないフォセッタの解説が始まった。


 フォセッタの解説のおかげで、何とかサマになったのは、丁度午後7時前。何とかリョーコに待ちぼうけを食らわせずに済みそうだ。
「助かったよ。さんきゅな、フォセッタ」
《どういたしまして。素敵ですよ、キョウさん》
「まっ、こんなもんさっ」
 ぱんっと腰を叩いて一丁前に格好つけてみせて、キョウは身支度を整えると玄関で下駄を履いた。
《行ってらっしゃい》
 その声に、キョウは室内を振り返った。
 黙ってこちらを見ているキョウの視線に、フォセッタはきょとんとした表情を浮かべている。
《どうかしましたか?》
「いやさ、そんなこと言われたの、久しぶりだなって気がして」
 最後に聞いたのは何時だったか。それさえもう思い出せない。
 母の声はいつも同じだ──『じゃあ行って来るわね。早く起きなさいよ、キョウ』──繰り返される朝の、一言一句変わらないあの声。あれは本当に、母の声なのか……?
 どこか沈むキョウの表情を見遣って、フォセッタも声音を潜めた。
《そうですか》
「いや、何かほっとしたよ。ありがとう」
《そうですか》
 明るい声音のキョウに応えて、フォセッタの顔も明るくなる。
《では、今後のミッションの際にも申しましょうか?》
「……それはいいわ」
 さすがにそれは勘弁してくれと、キョウは頭をぽりぽりとかいた。フォセッタの微笑は確かに良いものだけれど、出撃の度に《行ってらっしゃい》では、戦場に赴くのに緊張感が吹っ飛びかねない。キョウは軽く頭を振った。でも、今なら──
「じゃ、行ってきます」
 やや恥ずかしげにそう言って、キョウは扉に手を掛けながらフォセッタを見つめる。浴衣姿のフォセッタは、キョウの意を汲んで微笑み、再び口を開いた。
《行ってらっしゃい》
 フォセッタに頷いて、軽く手を振ると、キョウは扉の向こうに姿を消した。誰も居なくなった室内で、鈍い音と共に青い光が消えた。

「わりぃ、待たせたな、カミナギ」
 エレベーターを降りてマンションのロビーを小走りに突っ切ると、カミナギ・リョーコがキョウに応えて手を振った。袖を持つ手に猫の小物入れを下げているのがリョーコらしい。
「いいよ、私も今来たとこだし。キョウちゃんも浴衣なんだ」
「お前だって着てんじゃん」
 そういうキョウの言葉に、リョーコはにっこり微笑む。赤い地に金魚模様のリョーコの浴衣は、フォセッタの清楚な浴衣姿からすれば随分子供っぽく映りはするが、カミナギには似合ってるからいいか、なんてことをキョウは考える。普段とは違って、前髪をピンで留めて額を出しているのが、彼女なりのお洒落なのだろう。──やっぱ、ちゃんと自分も浴衣で良かったな。キョウはそう思った。
「可愛いっしょ?」
「馬子にも衣装って言うしなー」
「何よそれ」
 プン、と頬を膨らませて怒ってみせるのが、いつものカミナギだなぁとキョウには思えて、つい顔がほころぶ。そんなキョウを見遣ってリョーコも表情を緩めるが、ロビーの時計に目をやって声を上げた。
「あ、急がなきゃ。皆待たせちゃう」
「大丈夫だよ、ゆっくり行こうぜ」
 リョーコの足元に目をやってキョウはそう言うと、言葉通りゆっくり歩き出した。それは、浴衣を着ているリョーコへのキョウなりの気遣いだ。身支度をしている際に小耳に挟んだ、フォセッタからの入れ知恵である。

《浴衣の女の子には、気を遣ってあげてくださいね》
 そう言って注意事項を並べ立てたフォセッタは、あくまでもAIだ。
『いろいろさんきゅな。フォセッタは連れて行ってやれないのに』
《えぇ、残念ですが。ですから、お連れの方には、優しくしてあげてくださいね》
 言われなくてもそうする気ではあるのだけれど。夏祭りにカワグチも含めて皆で行こうと言ってくれたリョーコに、キョウは借りがある。それに、公園で叩かれた一件以来、何だかぎくしゃくしてしまっていたのだし。いつものカミナギに、戻って欲しい──いつものカミナギが居る舞浜であって欲しい。オレの知っているカミナギのままでいて欲しい……変わらないでいて欲しい。夕陽の生徒会室でリョーコについて聞かされた話が脳裏を掠めて、キョウは歩きながらそんなことを考えてしまっていた。
 ふと振り向けば、リョーコはロビーに立ち尽くしている。不可思議な静けさの中、互いを見遣る視線が通い合った。
「どした、カミナギ?」
「ううん、何でもない」
 浴衣の裾をつまんで、リョーコは小走りにキョウに追いつく。
 オレの知ってる、いつものカミナギだ。
 そんなリョーコが隣に並ぶのを待って、キョウはゆっくり歩き出した。




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