Case: Camille & Fa
トーレス達と別れ、宿泊先のホテルへ向かう。とりとめもなく話しながら振り返る、パーティの余韻はほのあたたかく、体を包んでくれている。
部屋に戻って、ベッドに体を投げ出してみる。0.16Gの月の重力のおかげで、ふわりとゆっくり宙に舞う。その感覚が懐かしくて、ゆっくりと体が沈み込むのに任せていた。
「子供なんだから、カミーユは」
くすり、と笑いながら、ファが隣に腰掛けた。乱れた前髪を払って手を当てる。
「熱は、ないわよね」
「何だよ、」
非難を口に含ませて眉根を寄せるのに、ファの笑みは止まらない。
「何だか、おかしくって」
「だから、何だって」
そう言えば、ファは首を横に振る。髪が微かに香るような、そんな距離。
「自分でおかしいとは、思わない?」
こちらを覗きこんでくる、笑みを含んだ黒曜石の瞳。
「分からないな。何がおかしくて、何がおかしくないのかなんて。今の俺には、判断できそうにないよ」
ファの瞳の色が深くなる。そのまま目蓋を伏せて、軽く髪を揺らすように首を振る。
「ごめんね……そういうつもりじゃないの」
「じゃあ、どういう話なんだよ」
ファはしばらく視線を泳がせて、ようやく口を開いた。
「パーティの、あんな時間ってね、懐かしいようで、でも、初めてみたいで。わたしがずっと知ってたカミーユだし、でも、知らなかった顔も……見たみたいで」
その最後の一言を口にできるようになったのか。ファ自身もそのことに戸惑いを隠さない。
「何、言ってるのかしらわたし……ごめんね。嬉しいのは間違いないのよ、こうして、宇宙にも帰って来られたし、皆もあんなに歓迎してくれて、嬉しくて、仕方ないの」
言いながら、ファの目の端から光るものがこぼれ出す。
「あんな風に笑ってる、軽口叩いてる。そんなささいなことが、おかしくて、嬉しくて。──普通のことのはずなのに、何故だかおかしくて。こんなに笑ったのなんて、久し振りで」
言葉をつまらせて俯く、ファの細い肩をそっと抱く。
「ごめんね、泣くようなことじゃないわよね。何で泣いてるんだろう、わたし」
「ファ……」
そのまま胸元へ抱き寄せる。以前にも、こんな場面はあったとは思う。けれど、伝わってくるものと、伝えたいものが、同じでいて、違うような、そんな気がする。
「泣きたいのなら、泣けばいいじゃないか。泣けるのならね」
ふとこちらを覗きこむようにして、ファはそのまま俯いた。むせび泣く、細い声だけが部屋に響く。髪を梳くようにそっと撫でてやりながら、やわらかなファの体温を受け止める。
以前には、こんな場面はあっただろうか。思い出そうとして、やめた。自分すら知らない顔の自分が今ここに居るのか、本当に自分のしていることなのか、考えるのを、やめた。
俺は俺で、ここに居て、ファはファでここに居る。それだけが本当のこと。
おかしさも、戸惑いも、微かな疑念さえ、その前には曖昧な印象でしかない。
肩を抱く手に力を入れて、確かなものを、確かめた。
『──で? 結局どうなったんだ? お前等は』
トーレスの、その曖昧なような直球のような微妙な質問に、即答は出来なかった。
『どうって……何がどうなるって言うんだよ』
『まぁ、そうだろうとは思うんだけどさ。やっぱさ、年頃の男女が二人きりで、何もどうもならない方がおかしいだろ?』
下世話な話に、はぁ、と息をついて答える。
『普通の状況ならともかくね、普通じゃなかったんだから』
『今は普通だろうが』
ニヤリと笑う、そのトーレスの顔は至って普通だ。
『それは、そうなんだろうけど……』
『じゃ、これからちゃんと頑張れよっ』
ぽんっと突き飛ばされるように肩を叩かれて、ふとファの方を見た。
普通の、顔をしていた。女の子同士で、笑って、お喋りをして。
こんな顔を見ていた、そういう覚えはある。
『やだぁ、』
そんな風に笑いながら頬を染めて、全く、普通の顔をして。
普通、か。その簡単な言葉の意味を、ふと考えた。
振り返ってみれば、普通とは程遠い、異常な状況の中に居た。
『戦争が終わったら……元通りになるわよね』
そう言ったファを、突き放すような言葉を返してしまった。
でもそこで、彼女の意を汲むように、自分を偽ることは出来なかった。
それは、自分にとっては普通ではない行為だったからだ。
ファに普通な時間を返してあげたい。その想いは、強かったのに。
結果、そこから離れるように、世界は動いて──動かして、しまった。
普通の時間が、ゆっくりと戻ってくる。
おかしささえ感じながら、戸惑いながら、疑念を払いながら、取り戻してゆく時間。
普通なら──恋の一つ二つもして、泣いて笑って過ごしていい時間のはずだった。
そんな普通の時間に、何を、頑張れと言われても。
もう既に、ファが側に居ることが、普通になってしまっているのだから。
腕の中、ファはいつの間にか静かな寝息を立てていた。そうっとファを寝かせてやって、頬を掠めるように口付ける。こんな時間さえ普通になる、そんな日がそこまで来ているのだろうか。
まだ、これからのことは、まるで何も分からない。
ただ一つ確かなことは、今、二人でここに居ること。
何が普通で、自分達が何を求めているのかは、これから確かめていけばいい。 それこそ本当に、普通にすることなのではないかと、考えてみたりもする。
口の中でおやすみと囁いて、そっと部屋の明かりを消した。
(0209.02)
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