Camille Laboratory Top機動新世紀ガンダムX>創作小説>言葉なき恋歌

 一週間後、テクスはやはり市へと出掛けていた。今日の収穫は何種類かの薬。最近、この町に腕のいい医者が居ると聞きつけた新参者の商売人が、薬を仕入れてきてくれるようになったのだ。
「助かるよ。一体どこから手に入れてくるんだ?」
「企業秘密って奴でさ。薬だろうと何だろうと、あるところにはあるんでね。それを必要な人に届けるのが俺達の仕事ってね」
 戦前の流通ルートなどは完全に崩壊していたが、どんな世の中でもこういう人間は出てくるものだ。
「そうだろうな。また頼む」
「毎度ありぃ」
 薬売りと別れて医院に戻ろうとしたところで、見覚えのある人影に出くわした。
 どこかくすんだ、長い金髪――あの女性だ。
「こんにちは、今日は診察に……」
 テクスはそう声を掛けたが、女性は突然踵を返して逃げ出してしまった。何故だ、自分は何か間違いを犯したのだろうか。そう思いながら、ついテクスは女性を追いかけていた。しかしほどなく見失ってしまい、方々の路地を覗くが、女性の姿は目に入らなかった。諦めて引き返そうとすると、誰かに腕をつかまれた。
「何か?」
「あんた、お医者さんだろ。すぐに来とくれ」
 白髪交じりの黒い髪を結った年かさの女性はそう言うと、テクスの返事も聞かずに走り出した。テクスは手に入れたばかりの薬を小脇に抱えると、女性を追った。


 年かさの女性に連れられて入っていった薄暗い部屋に、あの金髪の女性が横たわっていた。
「一体どうしたんです?」
「これを飲んだのさ」
 年かさの女性に小さな袋を手渡され、テクスはその中身を確認した。
「こんな薬をどこで?」
「決まってるだろ。必要な人間には、渡されるものなのさ。そうやって生きてきたんだ」
 テクスはふと、あの薬売りを思い出した。おそらくこれは、彼女の上に居る人間が入手して渡した薬に違いない。診察を受けた彼女が考えるまでもなく、最初からその子を産むことはできないのだと、選択肢は決められていたのだ。彼女が生きていくためにできることは、一つしかないのだと。
「しかし、この薬だけでこんなになるはずは……」
 街角で見かけた時に彼女はこんな顔をしていただろうか。真っ青な顔で荒い息をついている、その様は尋常ではなかった。
「だからあんたを連れてきたんだろ、どうなんだい」
 その場で出来る限りの診察を試みたが、この袋に入っていたものだけでなく、複数の薬を一度に飲み合わせたために薬物相互作用を起こしているのだと思われた。どこからかき集めてきて飲んだのかは分からないが、おそらく摂取した量も多かったのだろう。
「どうしてこんなことを……」
 そう呟くテクスを認めたのか、彼女はゆっくりと重い目蓋を開けた。
「良いんです、これで……あの人のところへ行けるんですから」
「まだそう決まった訳ではない」
 微かな声にテクスはその手を取ったが、彼女はゆっくりと首を振った。
「あの人が、呼んでくれているんです。わたしはもう、充分生きました」
「そんなことはない、君はまだ――」
「ありがとうドクター。あの子には、生きてと伝えてください」
 その彼女の言葉に、テクスは軽く目を見開いた。
「ジャミルにか?」
 こくん、と頷いて、彼女は微笑んだ。酷く透明なその微笑を残して、彼女は急ぎ足にこの世を去った。


 必要な処置を済ませて、テクスは医院への帰路についた。すっかり暗くなり、ぽつぽつと雨の降り出していた街角を行く足は、余りにも重かった。こういうことは初めてではない、寧ろもう慣れてしまった。そのことが、更に気分を沈ませた。
 金髪の女性が17歳だったということは、彼女の死後に聞かされた。医院で診察をした時には、20歳と言っていたし、そうも見えたのに、本当はジャミルと同じ年だったのだ。まだ17歳――そうジャミルを紹介したときの、彼女の声の揺らぎをテクスは思い返していた。戦前であれば17歳というのは子供扱いされていた年齢だ。そしてジャミルは同じ17歳の彼女が命を削って生きてきたこの2年間を、殆ど時を止めて生きている。そんな少年の保護者としての感覚が「まだ17歳」とテクスに言わせてしまったのだ。しかし荒れ果てた戦後の世界は、17歳の彼女を大人にしてしまっていたのだ。

『わたしはもう、充分生きました』

 その言葉が、全てを物語っている。17年という時間はほんの短いものであっただろう、なのに、人生の辛苦を嫌というほどに経験し尽くしてしまったのだ。たとえ命を取り留めても、その後の人生は更に辛くなる。だからこそ、死者の国からの呼び声が、彼女には無上の音楽として聞こえてしまったのだ。
 彼女が「あの人」と呼んだ恋人は既に亡いと聞いた。その彼と天国で手を取り合えているのだろうか。今はただ安らかでいて欲しいと願うばかりだった。

 暗い医院の前に人影があった。こんな時間に誰だろうと雨の中で目を凝らすと、人影がテクスを認めたのか、こちらに駆け寄ってきた。
「ジャミル? どうしたんだ、外に出てくるなんて」
 テクスが連れ出さない限り、ジャミルは自分では滅多に医院の外に出ることはなかった。それが、帰宅の遅いテクスを心配でもしたのか、或いは心細い限りだったのか、医院の外に出てきていたのだ。何も言わずに抱きついてきた少年の肩を軽く叩いてやって、テクスは医院の扉を開けた。

 二人して雨に濡れた体を拭いて、とっておきのコーヒーを淹れた。冷えた体を温めて、嵐のように雨の降る胸中を落ち着かせた。ジャミルは何も言わずにコーヒーを飲み、ただ傍らに居るだけだったが、それだけのことがテクスにはどういう訳か有難かった。
「あの金髪の彼女……亡くなったよ」
 カップを手にしたまま、ジャミルは、そう話し出したテクスの顔を覗き込んだ。
「お前と同じ17歳だった。そうは見えなかったろう? だからかな、お前に伝言を頼まれた。『あの子には、生きてと伝えてください』とな、そう言われた」
 自分は生を諦めながら、ジャミルには生きろという。それはある意味では自分勝手な言い草だ。二つの命を同時に自ら手にかけるなど、医師としては見過ごすことは出来ない暴挙だった。しかし、彼女の生きる苦しみもまた、耐えがたいものであっただろうという想像もつく。それを癒せなかった、彼女を救えなかった医師としての自分の非力さが、テクスには腹立たしかった。それでも、もう過ぎてしまったことだった。
「お前はどうしたいんだ、ジャミル」
 ふと、そんな言葉がついて出た。
「お前は、どう生きたいんだ」
 そう言葉を向けても、少年の表情は殆ど変わらない。
 無理もない。ただ生きているだけも同然のジャミルでなくても、今は誰もが生きるだけで精一杯なのだ。今を生き抜かなくては、どう生きるも何もあったものではない。
「まぁいい、いつか聞かせてくれ」
 それをジャミルの口から聞くまでは、自分も生きなければならない。そう思えば、絶望などしている暇はないのだと、テクスは自分に言い聞かせた。

「それにしても、よく降る雨だな」
 ランプの明かりだけが灯る部屋を、静かな雨音が包んでいた。この雨の夜に亡くなった彼女のために泣くこともできないでいる自分の代わりに、この町が泣いてくれているような気がした。そんなことを考えて、テクスはふと詩集を手に取った。



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