Camille Laboratory Top機動新世紀ガンダムX>創作小説>夕凪

 エレカは表通りを抜けて裏道へ入った。新連邦軍による占領時の市街戦の傷跡が、そこにはまだ残っていた。二人はどちらからともなく口をつぐみ、エレカは薄暗い街を走り抜けていった。道を折れると不意に視界が広がり、海岸通りに出た。
「ほぅ……」
 潮風が吹き抜けていく通りに沿うように、水平線が見えた。
「コロニーにも海はあると聞くが、さすがに水平線は見えないのだろう」
「確かにな。コロニーの海など、地球の人間に言わせれば湖だろうさ」
「水平線の見える湖だってあるがな」
「そうなのか?」
「見せたいものはいくらでもある」
 楽しそうにも聞こえるそのジャミルの声音に、ランスローの表情も綻んだ。
「見せて貰う時間も、いくらだってあるさ」
 ふと目を見合わせると、ジャミルは正面を向いてアクセルを踏み込んだ。

「凄いな……」
 黄金色の円盤のように見える太陽が、海へ沈んで行こうとしていた。空は赤い光を帯び始め、雲は炎を思わせる彩りを添えた。いささか禍々しくも見えるその赤い空の前に、ランスローは立ち尽くしていた。
「これが、地球の夕暮れだ」
 ジャミルが、静かにそう言った。
「満足か?」
「まぁな。なんて言い方では君は不満かも知れないが、これがそうだと言われれば、納得もするさ」
「納得?」
 ジャミルが問い掛けた言葉に、ランスローは頷いた。
「ニコラが地球から帰還して言っていたんだ、『コロニーの夕暮れの方が美しい』とね。彼が地球での任務中に見た夕暮れの話をしてくれたんだが、その……赤すぎて毒々しくも思える、とね」
「汚染物質が多いほど赤くなるからな。その感想は正しいよ」
「正しい、か。君は、率直にどう思うんだ?」
 空気さえ赤く思えるようなその海辺で、ランスローは傍らのジャミルを振り返った。ジャミルは、沈み行く夕陽を見据えて口を開いた。
「俺には、この空が夕暮れの色だ。多少赤すぎるとは思うが……それでも、戦後初めて見た夕暮れの色は、記憶にある色──戦前に見た夕暮れの色より赤かったとしても、それは確かに懐かしい色だったんだ」
「記憶にない色なのに、懐かしいのか?」
「あぁ」
 ジャミルは短く頷いて、サングラスを外した。
「戦後五年、空は厚い雲に覆われてその姿を見せなかった。雲間から光がさし始め、空に光があると思い出したとき、世界は色を取り戻し始めたんだ。昼間の青い空、夕方の赤い空。それまで世界には白と黒しかなかったのだから、青も赤も、それだけで懐かしさを覚える色だったのさ」
「色のない世界、か……」
 ランスローの眼前には、初めて目にする色の空があった。十年前のジャミルの目の前にも、初めて目にした色の空があった。しかし、彼はそれを懐かしい色と感じ、自分は、資料映像と伝聞で作り上げられた『汚された空』としての禍々しさを感じている。同じものを見ても、感じ方は人それぞれなのだと、改めて思い知らされた。
 だが、静かに目蓋を伏せると、見たことのないその光景が、脳裏に浮かぶような気がした。色のない世界に甦った、夕暮れの赤。それは、とても懐かしい温かみさえ感じられる色だった。確かに、そう感じられた。それはきっと、十年前にジャミルが感じた懐かしさであり、今も彼の心に甦る感情なのだろうと、ランスローは思った。

「コロニーの夕暮れは、綺麗なものなのだろうな。ティファは目にしたのだろうが……」
 ジャミルがふと口にした少女の名前に、ランスローの心の片隅に痛みが走った。
「実はその、ニコラというのが、ティファ・アディールをコロニーへ連れて来た人物なんだ」
「そうだったのか」
 今回の戦争が始まる直前──いや、あの時既に戦争は始まっていたのいたのかも知れないが──ジャミルの指揮するバルチャー艦・フリーデンは、新連邦軍のニュータイプ研究所に立ち寄っていた。研究所をめぐる戦闘の最中、ジャミルがフリーデンに帰艦したのと入れ違うように、ニュータイプと目された少女ティファは革命軍のニコラに連れ去られていた。ティファを追ってガロードが宇宙へ上がり、この少年と少女とが、ジャミルとランスローの十五年振りの再会のきっかけを作ってくれたようなものだった。
「ニコラはコロニーへの帰還が嬉しかったのと、彼女をくつろがせようとしたのとで、彼女に夕暮れの話をしたらしい。帰還後、ニコラとはよく話す機会があったのだが、何故かその夕暮れの話が印象に残っていてな。それで、君に地球の夕暮れを見せてくれと頼んだんだよ」
「そうか。……彼は?」
 ランスローは、そのジャミルの短い問いに顔を曇らせた。
「総統に和平を説いたのだが、政治犯ということで処刑された」
「そうか。辛いことを訊いたな、すまなかった」
「いや、」
 ランスローは顔を上げると、かつての戦友が見た地球の夕暮れを見据えた。
「ニコラが生きていれば、きっと彼もここに居た。多分彼なら、この夕暮れを懐かしいと言ってくれたと思う。地球での任務中に見た、夕暮れなのだからな」
「その言葉を、聞いてみたかったな」
「私もそう思うよ」
 故人に思いを馳せているのか、夕陽を飲み込んでしまった水平線を、ランスローは黙って見詰めていた。潮騒だけが静かに響く海辺は風も凪ぎ、まるで時間が止まっているかのようだった。背後には夜の帳が下り始め、赤い空にも暗い色彩が混ざって行った。

「……いつか私も、この夕暮れを懐かしいと言う事が出来るかも知れない」
 ランスローは、ぽつりとそう言った。
「ん?」
「和平が成立したら、またこの街へ来ようと思う。そうしたら、きっと地球の夕暮れも懐かしく思えるようになる。そう思ったのさ」
「そうだな」
 ジャミルはそう答えると、エレカの方へ体を向けた。ランスローも、先に歩き出したジャミルを追った。
「今回の会談がうまく行けば、次はコロニーだな。歓迎するよ」
「それはそうだが、まだ今回の会談は始まってもいないんだぞ」
「うまく行くさ、これまでだってうまくやってきたのだから」
 明るいランスローの声に、ジャミルは口元を緩めた。この男は、会談がうまく行くと信じている。自分が信じる未来のために、何をすればよいのか分かっているのだ。


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