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休息する者・2



CDドラマ第1話「ハティとスーと」より
文:朝貴 千鶴(千羽鶴工房)


 少し早めに着いてしまった。
 ラウンジでコーヒーに口をつけながら、リウはぼんやりとハリエットを待っていた。
 これといって用意するものがあるわけでも無い。早く着いてしまうのは当然と言えば当然であった。
「あー、いたいた!……って何よあんた。その格好で行く気なの!?」
「……他の選択肢はなかったのか?リウ」
(五月蝿いのが来たな・・・)
 待機任務中のスーとダンだった。
「失礼、自分は私服の持ち合わせが一切無いもので」
 そういわれるリウの服は、フューネラル支給の、例のあのコートだった。
自室ですら官給品で暮らしている程だ。実際、今回のような特殊な例さえ無ければ、それで事足りている。しかし、必要かどうかより前に、それが「普通」で無い事は明らかだった。
「何それ?アンタ身の回りのもの全部持ってこなかったわけぇ!?」
 呆れたようにスーが言った。――至極もっともな意見である。
「まるで夜逃げでもしたみたいだな?」
 あからさまな挑発だった。ダンのリウに対するこのような物言いは、既に日常茶飯事だ。今更止めたり、驚いたりする者は、フューネラル内にはもう居なかった。スーもすっかり承知しており、キッパリと聞き流している。
(夜逃げ、ね――……)
 リウ自身、普段は適当に聞き流す所なのだが――・・・。
「そうですね……。似たような物かも知れません」
 あの日、自分は『彼女』に会う、ただその為だけに家を出た。二度と帰ることがないとは思いもせずに。
 そして……モルグでの事故。『彼女』の死。
 復讐の為に過去を捨て、一夜にしてリウ・ソーマになった自分。
 不意に自虐的な笑みがこみ上げてきた。
 しかしダンは、そんな過去など知る由もない。からかわれた、と取ったのか、あからさまにムッとした表情になる。リウはリウで、言うだけ言うと例のあの、どこを見ているのか分からない遠い目になっていた。ダンの様子などまるで目に入っていない様子だ。
 もはや恒例とでも言うべき彼らのやり取りに、ス−はやれやれと首を振った。
「あら、またやってるの?」
 険しくなりかけていたその場の空気を鎮めたのは、新しい人物の登場によるものだった。
「ギネビア?」
 彼女は現在非番で、何の任務も無いはずだ。非番の人間が基地に居てもなんら支障は無いのだが、普通は自室で休養をとるなりなんなりするのが普通だ。
「どうしたの?非番っしょ?グリーン中尉」
「ええ。ハティちゃんがおつかいに行くって聞いたんで、この前買ってあげた服を着ていってもらおうと思って」
 珍しいほどウキウキとした調子に、その場の誰もが違和感を感じた。
嫌な予感、ともいいかえられる種のものだ。
「ハティちゃん、早くいらっしゃい」
「はーい?」
 ――この時、リウが口にしていたコーヒーを吹き出さなかったのは、ほとんど奇跡だった。
 レース・フリル・ヒラヒラ。彼の知る限りの表現でいえばこうなる。ピンクハウスとか、そういうメーカー名は知らない。ブランド物には元から疎いのだ。
 テディベアでも持たせて、にっこり笑うと似合いそうだ――……かろうじて出た感想は、そんなところだった。
 まぁ、とにかく。
 彼らの前に出てきたハリエットは、レースとフリルと、乙女心のみで構成されたかのような、――そんな衣装だったのだ。
「失礼ですがグリーン中尉、これは・・・」
「これ?かわいいでしょう。この前、一緒に行ったときに私が買ってあげたの。やっぱり女の子はこういうのが似合っていいわねー」
「・・・」
 ここでリウは、イネスのあの、遠い目の理由を理解した。
 後に聞いた話では、「おつかい」自体は実に問題なく、すんなり進行したのだが――そういった服の専門店でみっちり4時間、ハリエットを着せ替え人形にして遊んだという。最初は割りと乗り気だったハリエットも、最後のほうには「早く帰ろうよぉ」とぼやいたらしい。
 意外な趣味であった。
 本人曰く、「自分も着てみたけど、『着る機会』が無くって。今私じゃ完全に似合わないしね?」だそうである。
 この言葉に、その場の全員がハリエットとおそろいの服を着たギネビアをうっかり想像してしまい、頭を抱えてしまった。
 ――その為、ギネビアが不治の病で、子供の頃からずっと病院の入院着で、いつも大空を飛ぶことを窓辺で夢見る少女だったことを彼らが知るのは、もうしばらく先の事となる。
「ねぇねぇ、スーちゃん似合う?」
「うん、かわいいよー。お姫様みたいだけど……ね……」
 無邪気なハリエットに、スーは生暖かい返事を返す他無かった。
 普段なら確実に、間違いなく何も言わずに流すリウだったが、今回ばかりはそうはいかなかった。なにしろ彼女を連れて行くのは他ならぬ自分なのだから。
「甲し訳ありませんが、グリーン中尉。この衣装で出かけるのはやめたほうが賢明かと思われます」
「あら、どうして?」
「出かけるのが、自分とだからです」
 ――想像してみて欲しい。かたや、顔に大きな傷を持ち(しかも向こう傷)、その若い風貌には似合わない迫力と殺気を兼ね備えた青年軍人。かたや、疑うことを知らなさそうな、ふわふわとした愛らしい、良い身なりのとびきりの美少女。
 兄弟と見るには髪の色も目の色も違いすぎる。異様に目立つ謎の二人づれ。
「自分なら、迷わず通報します」
 妙なことを自信たっぷりに言ってのける。
これには流石にギネビアもちょっと悩んだ。「そんなことないわよ」とは、とても言えなかったからだ。
「ううーん、仕方ないわねぇ・・・」

 その後、ハリエットの服について何故か白熱したバトルが繰り広げられた。
 スーが自分のコレクションの中から寄り抜きのものを持ってきたり、ダンがいやに少女趣味の入った服を持ってきたり(本人は「ハティに渡す為に妹の昔の服を送ってもらった」と言っている)、コマンダーが某野球チームのコスチュームを持ってきたり(野球のコスプレは敵チームに目を付けられるから、ということで却下された)、すったもんだの挙句、フューネラル唯一の常識人、最後の砦であるキャプテンがジーパンと黒いシャツ、いつもの帽子とジャケットを持って来てくれて、ようやく収まった。
 ――……そしてその頃には、出発予定時刻を優に一時間半もオーバーしていた。
(幸先が悪いな……)
 出かけのペースは、たいていその後にも影響を及ぼす。
窓辺でリウは一人、彼らを傍観しながら、そんな年寄りくさい日本人的発想にふけっていた……。

 女の身支度には時間がかかるものである。
 たとえそれが、外見13歳、中身8歳の少女であったとしてもだ。
 強引に自分を納得させ、出かけの不幸は忘れる事にする。今はとにかくさっさと行ってさっさと帰ってくるのが一番重要な事なのだ。
「まってー、待ってよリウーっ」
 振り返ると、息を切らせて走ってくるハリエットが目に入った。つい自分のペースで歩きすぎてしまったらしい。リウは、ハリエットが追いついてくるのを見つめながら、誰かと並んで歩くことなど、ずいぶん久し振りなことなのだと気付いた。
「歩くのはやいよぉー」
 ようやく追いついて、ゴールにタッチしようと伸ばした少女の手が、とん、とリウの身体を揺らした。
「……さっさと行くぞ」
 それだけ言うと、踵を返してさっさと歩き始めた。しかし、今度はそれほど無理をしなくても、隣を歩く事が出来た。――歩調を合わせてくれているのだ。冷たい口調とはうらはらなその行動に、少女は思わず小さく笑ってしまった。
何故か、とても嬉しい気持ちになって、ハリエットは思い切って自分のほうからリウの手を取った。
 彼女の意外な行動に、リウは驚いて思わずハリエットの方を見た。そこにあったのは、いつもと変わらないハリエットの表情。
これといって咎める理由も思い浮かばず、このままの方が便利な気もしたので彼は特に何も言わなかった。
 ハリエットはハリエットで、振り払われると思った手のひらが意外にも受け入れられた事に驚いていた。知らず知らずに笑みがもれる。
 ――ふと、リウは今まで一番確認すべき事を確認していない事に、気付いた。
「おい。そういえば、みんなのリクエストは聞いてきたのか?」
「うん。今回はスーちゃんが聞いといてくれたの。さっき渡してもらったよ。……ほら!」
 そう言うと、ポケットの中からメモ用紙を取り出し、リウに手渡した。どうにもハリス少尉の名前が出ている事に不安を感じた。そして、多くの場合悪い予感ほど的中するものだ。
 リウはメモに目を通し、――そして、その場で立ち止まってしまった。
「どうしたの?リウ」
 心配するハリエットがこちらを見上げている。
 ……メモの内容は、以下の通りである。
 まず、キャプテンは『ホットドック』、ダンは『アッサムティー』、コマンダーは『トレーディングカード』、と、此処までは普通である。
 次に、スーのリクエストは、『トーテムポール』、とあった。
「それ知ってる!顔の沢山ある妖精くん!」
 無邪気なハリエットの声。リウは思わず、本物の大きな『トーテムポール』を連想していたが、よく考えてみればミニチュアの置物でいいのだ。『トーテムポール』に変わりは無い。
 そして最後。これが最大の問題であった。
 ギネビアのリクエスト。それは、『口紅』だった。
 しかもメーカー名からNOまで指定がある。詳しくは知らないが、おそらく専門店に行かないと手に入らない部類の品だろう。
 行けと言うのか。自分に。ハリエットと。――化粧品売り場に……。
 『トーテムポール』と同じ筆跡で、『ホットドック』の横には『一ダース』、『アッサムティー』には『5s』、『トレーディングカード』には『一箱』とあったが。はっきり言って、そんな嫌がらせは目ではない。普段はむしろ好意的な態度である分、余計に質が悪いのだ。
「そういえば、やる時間も余裕も無かったもんな……」
 当然あるべき儀式、それは。
 ――新人イジメ。
 傍らには、心配そうにこちらを見上げるハリエット。
 強烈な眩暈を感じて見上げた空は、憎らしいほど高く美しく澄み渡っていた――……。


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