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休息する者・3



CDドラマ第1話「ハティとスーと」より
文:東雲 明日香
挿絵:朝貴 千鶴(千羽鶴工房)


 街に着くとすぐ、リウは案内図を見上げてしばらく動かないでいた。ハティは軽く目を見開いて、その意味を悟った。
「そっか、リウはこの街に来るの初めてなんだ」
「……あぁ」
 何せフューネラルに着任して日の浅いリウは、休暇など貰った覚えもない。それに街まで来なくても、普段の買い物なら居住区のPXで充分間に合っている。
「じゃ、ハティが案内してあげるね」
 この街にお使いに来るのはもう四回目だという、少女は楽しそうな笑顔でそう言った。

「カードはここで売ってるよ」
 ハティはそう言って、街の入り口近くにある雑貨店を示した。お目当ての品はすぐに見つかって、イネスのオーダーである大リーグのトレーディングカードを一箱買って店を出た。
「凄いねー、何枚入ってるんだろ」
 リウが手に下げている袋の中の箱をしげしげと見遣って、ハティがそう呟いた。
「一袋に10枚、それが15袋で一箱だ」
「っていうとー、えーと、150枚? 凄ぉい! 150って……どのくらいあるの?」
 ザルクライフルのマガジンが50発、それが三つ分。
 さすがにハティにそう答える訳にもいかず、リウは言葉を探していた。無口な横顔を見上げて、ハティは自分の言葉を続けた。
「でもこれだけあれば、カード全部揃っちゃうよね」
「大人買いしたって、揃うとは限らないぞ」
 そのリウの言葉をハティは聞きとがめた。
「大人買いってなぁに?」
 何気なく口にしたその言葉を、リウはひどく遠い世界のもののように思い出した。
「だからその……こういったカードとかを、まとめて買ってしまうことだ」
「ふぅん……大人って凄いんだ」
 リウの返事に、少女はそんな感想を漏らした。
 大人が凄いかどうかはともかくとして、こういったものが甘くはないのは知っている。

『ジーザス! まーたソユーズだ』
 いかにも落胆したその声の方を、タクトは振り返った。ユニバーサル大学宇宙工学科の中庭は、昼休みの学生達で賑わっていた。売店で買ってきたサンドイッチとコーヒーを片手に、タクトは頭を抱えているリックの側に歩み寄った。
『どうしたんだ?』
『よぉ、タクト。オーシャン・カンパニーの「栄光のスペースクラフトコレクション」だよ、折角大人買いしたってのにさ、ダブリばぁっか』
 そんなことを言うリックの膝の上には、ロシアの宇宙船ソユーズのミニチュアが三つも転がっている。ミニチュアモデル付きのお菓子、というよりお菓子付きのミニチュアモデル――いわゆる食玩というやつだ。彼の脇にはその小箱が一ダース詰まる大きな箱が転がっている。
 大人買いね、と小さく呟いて、タクトはリックの隣に座り込んだ。
『そういうのは、揃っているのを買うのが早いんじゃないか』
 タクトがさらっと言ってのけるのに、リックは溜息混じりに答えてみせた。
『そりゃあ大人買いより酷いぞ、タクト。それに最初の頃結構調子良かったから、ここまで揃うと何か後に引けなくってさぁ……』
 苦りきった顔のリックが次の箱を開けると、スペースシャトルが顔を出した。リックは軽く目を見開いた。
『おっ……って、コロンビアもさっき出たんだよなー』
 リックはスペースシャトル・コロンビア(OV-102)のミニチュアを両手に一つずつ取り上げて、他のシャトルと並べて置いた。
『シャトルだけで一個中隊組めそうだな』
 ずらりと並んだミニチュアを見て、タクトも苦笑に付き合うことにした。コーヒーに口をつけながら空箱を手に取って、ラインナップを確かめる。そこには、ソ連のヴォストークに始まる、宇宙開発初期から21世紀初頭にかけての有人宇宙船がずらりと顔を揃えていた。ミニチュアの山と空箱とを見比べていったタクトは、軽く瞬いてリックに言った。
『これ、もう殆ど揃ってるんじゃないのか?』
『後はアポロ7号と、神舟5号と……』
 リックはアメリカと中国でそれぞれ最初の有人宇宙飛行に成功した宇宙船の名を挙げた。確かにその姿は空き箱のリストにはあるが、ミニチュアの山には見当たらなかった。あと2つのために大人買いなのか、とタクトが半ば呆れていると、リックがどこか楽しそうに言い継いだ。
『そして、エンタープライズだ』
『エンタープライズって……OV-101?』
 タクトの挙げたナンバーに、リックは軽く笑って答えた。
『ご名答。スペースシャトルの栄えある1号機さ』
『でも、あれは宇宙を飛んでいないじゃないか』
 スペースシャトルとはいえ、エンタープライズは大気圏内の滑空実験機である。それにタクトが空箱を見直してみても、その姿はリストアップされていない。
『だから、シークレットなんだよ』
 リックが言うのは、正規のリストにはない、レアなアイテムということらしい。
『そんなものか?』
 宇宙を飛んでいない機体が、何でスペースクラフトなんだ。そう言いたげなタクトの顔を覗き込んで、リックはこう言った。
『そんなものさ。そいつを飛ばした人間の気持ちは、確かに宇宙を飛んだんだから』
 だろ、と言葉もなく自分に問い掛ける、そのリックの瞳の輝きを、自分はまだ覚えている。
「ほらぁリウ、次のお店だよー」
 ハティが手招きするのに、リウは追憶を払って足早に追いついた。

「紅茶はここで売ってるよ」
 食料品店に入って、紅茶の棚を探す。500g入りの缶を見つけて、それをメモにある通り5kg分買うことにした。
「5kgって……500gが、10個?」
 ハティが棚に手を伸ばしながら言うのに、リウはその先の缶を取ってやりながら答えた。
「そうだ……が、10個もないな」
 ダンのオーダーしたアッサムティーは、その棚に5つしかなかったのである。
「仕方ない、か」

by 朝貴千鶴


 缶をカゴに入れて会計を済ませ、店を出る。缶の重みはこの程度ならどうってことはないが、これを目の前に出した時のシモンズ中尉の反応は見物だと、リウは内心ほくそえんだ。
『これだけの紅茶があれば、本部のコーヒーに文句を言わなくなるかもな』
 リックに付き合って、ミニチュアに付いて来たチョコレート菓子ばかり食べ続けた日のことを思い出す。あの後は、しばらくチョコレートは見たくもなくなった。
「何だかリウ、楽しそう」
 そのハティの言葉に、一瞬でリウの表情が消える。しかし少女はそれを見ることもなく、リウの手を取って歩いていった。

「顔の沢山ある妖精くんは、ここに居るよ!」
 ネイティヴアメリカンの民芸品を並べた土産物屋に入って、ハティの声は一段と弾んでいた。確かに、見目面白いものが揃っている。ハティのような娘には、飽きないものなのだろう。スーがこの店にハティを連れてきた日の様子が、目に浮かぶようだ。そしてスーのオーダーの品は、この店にあるものだ。
 リウの目はトーテムポールのミニチュアを探した。棚に並んでいる、1フィートばかりのものなら手頃だと思い、それを手にしようと紅茶の缶を入れた袋を床に置いた。重みの感じられなくなった腕に、トーテムポールのミニチュアは酷く軽く思えた。
 毒を喰らわば皿まで、か。
 ふとそんな言葉が脳裏をよぎり、視界の端に映ったものをリウは見詰めた。
 棚にミニチュアを戻すと、手近な店員に声を掛ける。
「あれを、貰えますか」
「あちらのお品ですか?」
 店員が指し示すものに頷いて、リウは口の端で薄く笑った。

 品物を受け取ると、肩にずしりと重みが走る。後の買い物は手早く済ませてしまおうとリウは思った。
「おい、次は……」
 そう言って振り返ると、そこに居るはずのハティが居ない。
 リウはどこかに冷たいものを感じながら周囲を見渡したが、探す姿は認められない。土産物屋に戻ろうとすると、そこから少女が走り出てきた。
「ごめんなさーい!」
 ジャケットのポケットに手を突っ込みながら、ハティは息せき切りつつリウに並んだ。
「次はねぇっ」
「ホットドッグだな」
 二人の目の前には街の広場。ぐるりと周囲を取り囲んだ色とりどりのスタンドの中に、ホットドッグの店がある。マイケルのご指名の店だ。

「焼けるまで待っててくれるかね」
 ホットドッグのスタンドの親父は注文を受けてそう言った。
 一ダースともなれば無理もない。リウは頷いて、荷物を手に白いパラソルの下のテーブルについた。ハティも隣に腰掛けるが、その緑の瞳はどこか違う所を見ているようだ。その表情に、思い当たるものがある。
「お前も何か食べたいのか?」
 ハティはリウの問いに小さくこくんと頷いた。
「……あれ」
「アイスクリームか」
 ハティがそっと示した方では、若いカップルが二人でアイスクリームを食べていた。まぁ、デートの定番である。視線を巡らせると、アイスクリームのスタンドはすぐに見つかった。
「分かった。荷物を見ていてくれ」
「うん」

「バニラを一つ」
 リウはアイスクリームのスタンドの店員にそう告げて、顔をハティの居る方へ向けた。少女から目を離す訳にはいかないからだ。そうしたら、すぐ横で別の声がこう言った。
「いや、ごまを二つだ」
「ごまを二つですね、少々お待ちください」
 店員がそう答えるのを聞いて、リウが横目で窺うと、あの赤い髪の男が当のごまアイスを手に例の笑みを浮かべている。灰色のアイスクリームをぺろりと一口なめて、彼はいつもながらの楽しげな口ぶりで言った。
「ここのごまアイスは絶品だよぉ」
「またお前か。何のつもりだ」
「人間、口は一つしかついていないんでね。食べてる時には生憎口は塞がって話すことはできない。彼女だけアイスを食べてたら、いやぁな沈黙が訪れるんじゃないかね?」
 それで彼はお節介にもアイスクリームを二つオーダーしてくれたらしい。
「それがどうだって言うんだ」
「デートの最中の沈黙ってのは、お互いがそれを望まない限り気まずいものじゃないか」
「……デートなものか」
 リウがそう吐き捨てるのに、彼は低く声を立てて笑った。
「君にとっては確かにこれは任務だろうさ。しかしジェークイズ曰く、『この世界は全てこれ一つの舞台、人間は男女を問わず全てこれ役者にすぎぬ』ってね。今日の君はお姫様を守る騎士の役なのさ。姫君の大切なデートのためのね。しっかりと演じてやりたまえ、リウ・ソーマ君」
 いつもは自分をタクトの名で呼ぶくせに、彼は今日に限ってはそんな呼び方をした。お前は既に役者なのだと言わんばかりに。
 そして彼の言うとおり、ここに居る名目は確かに護衛任務なのだが、どうにも癪に障る。リウは言い返してやろうかと口を開きかけた。
「ごまアイス二つのお客様お待たせしましたー」
 その声にリウはカウンターを振り向き、代金を払ってアイスクリームを受け取ると、あの男の姿はいつものように忽然と消えていた。

「ほら」
 ハティにそう声を掛けて、リウは片手のアイスクリームを渡した。
「ありがとう」
 その声を聞いてから席につき、自分もアイスクリームを口にした。隣の席で、ハティが満面の笑みを浮かべて声を弾ませた。
「わぁ、美味しい」
 確かに、このアイスクリームの味は悪くない。滑らかでいてコクがあり、控えめな甘さの中にどこか香ばしさがある。さすがいつも何か食べているあの男が薦めただけのことはあるというべきだろうか。
「これ、何のアイスクリーム?」
「ごまだそうだ」
 リウがそう答えてやると、ハティは目を丸くした。
「ごまかぁ……ハティ初めて」
「そうか」
「このアイスクリーム、フランクと同じ色だね」
 そういう言い方もあるのかと、リウはどこか銀色にも見えなくもないそのアイスクリームをまじまじと見た。
「フランクにも食べさせてあげたいな。でもフランク、何も食べないんだよね」
 いつかの自分と同じ疑問を口にする、その少女の瞳はどこまでも無垢な輝きを帯びていた。その瞳はいつかこちらを覗き込み、深い緑色が微笑む。
「同じだね」
 その言葉に、リウは息を呑んだ。
「リウもハティも、同じアイスクリーム食べてるんだね」
 少女の頬は心なしかほのかに染まって見える。二人、同じアイスクリームを口にしながら、柔らかな沈黙が流れていった。

 ねぇ、あの二人。
 そんな小さな声が耳に入るが、リウは意に介さない顔をしてアイスクリームを食べ続けた。ちらりとハティに目を遣れば、彼女も食べるのに夢中で気にならないようだ。
 やはり、この格好の二人連れは目立つことこの上ないらしい。
 だが、テーブルでアイスクリームを食べている今はともかく、往来では危惧したほどには注目を浴びずに済んだようで、リウは心なしかほっとしていた。
 どうやら、マイケルの作戦が当たったようである。
 ハティが着ているマイケルのお下がりのジャケットと、リウの制服には共通点がある。胸元の国連軍の記章だ。それを見て取れば、軍の関係者の二人連れ、という認識がなされてもおかしくはない。この街から一番近い国連軍の基地といえばフューネラル本部なので、制服をそのまま着てくる人間は居なくても、関係者を目にすることは珍しくもないのだろう。
 杞憂とは、元々空が落ちてくることを恐れることだったか。リウはふと、そんなことを思い出した。青い空はどこまでも高く、落ちてなどきそうにはない。白いパラソルの下で並んでアイスクリームを食べているカップルは何組も居て、リウとハティもその中の一組に過ぎないようだった。

『今日の君はお姫様を守る騎士の役なのさ。姫君の大切なデートのためのね』
 あの男の声が、耳元に蘇る。
 自分としては認める訳にはいかない。だが、この少女はやはりそう思っているのだろうか。
『じゃ、ハティが案内してあげるね』
 そう言って輝かせた瞳は、今夢中になって口にしているアイスクリームに注がれている。
 デートといえば自分がマキを誘うのが常だった。マキに誘われたことなどあっただろうか。リウはつい、そんなことを考えた。
 あの日マキが、あんなメールで自分を誘ったのは……死者の国への旅だった。なのに、自分一人が現世に舞い戻り、今こうして青空の下でアイスクリームなど口にしている。
 冥府との契約は彼の地の食べ物を口にすることでなされる、そんな神話を思い出す。どんなに望んだとしても、彼女はもう二度と地上の食べ物を口になど出来ない。
「どうしたの、リウ。アイスクリーム、溶けちゃうよ」
 いつからか心配そうに覗き込んでくる瞳から目を背けるように、リウは黙ってアイスクリームを口にした。

「あー美味しかったぁ。ありがとう、リウ」
「……良かったな」
 ハティにそれだけ答えて、自分も最後の一口を飲み込んだ。
「ね、リウ。楽しい?」
 リウは口をつぐんだまま、問い掛けてくる少女の顔をそっと見遣った。
 どこまでも青い空の下、白いパラソル。陽光を集めた色の髪に彩られたその顔の、きらめく少女の瞳には、確かな期待が込められている。
 黙っていては彼女には分からない。そして、彼女の求める答えは一つしかない。
『人間は男女を問わず全てこれ役者にすぎぬ』――それは『お気に召すまま』の一節だったかと、リウはシェイクスピアを好むあの男の言葉を思い出した。
「まぁ、な」
 リウがそう答えてやると、少女の笑顔が華やぐように輝いた。
「良かった。ハティも楽しいもん」
「そうか」
 他の三人と比べて、自分と行動するのが楽しいとは、リウにはとても思えなかったのだが。ハティはテーブルの上で指を組むと、微かに眉根を寄せた。
「だってスーちゃん、お使いしなきゃいけないのにあっちこっち行くんだもん。ダンは最初のうちは優しかったけど、何だかハティより大事な人居るみたいだし」
 その指摘は俺にも当てはまるはずだ、とリウは胸中で呟いた。ダンが気にしているというのは彼の妹のことなのだろうが。
「ギネビアの時はぁ……」
「その話は聞いた」
 災難だったな、とは思う。でもそう思うだけだが。乾いた言葉を並べていたリウに、ハティは思いがけないことを口にした。
「でもリウは違うもん」
「え?」
 思わずそう問い返す、リウの顔を覗き込んでハティは続けた。
「ハティと一緒にお使いしてくれるんだもん。お店のドア開けてくれたり、紅茶の缶を取ってくれたり、アイスクリーム買ってくれたり」
 それくらいのこと、他の三人だってしているだろうに。自分は何が違うというのだろうか。リウには少女の言いたいことがまるで分からなかった。

 もとより、この娘に特別に何かしてやろうというつもりはない。これは任務だ。
 だがそれが、ハティの望み通りだったというのだろうか。
 自分がしたいように少女を連れ回すのではなく、ハティのしたいようにさせてやったことが。
 この街に詳しくないことが幸いして、自分はそう行動してしまっていたらしい。これは、いわばハティに誘われたデートなのだ。
 ハティの歩幅に合わせて歩く。ハティの目線のものを見る。
 そう考えると、どうしても浮上する一つの思いがある。
 マキが見ていたものを、俺はちゃんと見ていたのだろうか。どうなんだ、マキ。
 もう永遠に答えの得られないその問いを、リウは胸の奥に仕舞い込んだ。

 焼き上がった一ダースのホットドッグを受け取って、残すはギネビアの口紅だけとなった。化粧品店は、と周囲を窺ったリウの手を、ハティはくいっと引っ張った。
「ね、まだ時間あるんでしょ」
「あぁ」
「じゃあ、ちょっと寄り道しようよ」
 少女に手を引かれるまま、リウは半ば覚悟を決めて歩き出した。


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