「スーちゃんと来た時には、スーちゃんすっかり夢中だったんだよ」
ハティに連れられて入ったのは、賑やかなゲームアーケードだった。スーの話を持ち出して少女の手が示したのは、ザルクを駆ってエイリアンを倒すという趣向のゲームだ。人だかりに囲まれたプレイヤーの手元に目を向けると、アーケードゲームとはいえ、本部のシミュレータさながらの再現度であるようだ。
何も遊びに来てまでこの操縦桿を握ることもないだろうに。
溜息混じりにその感慨を吐き出してはみるが、これもコマンダー・イネスの言う広報活動の一環なのだろうか。エイリアン迎撃に伴う被害や不便といったものではなく、別のものに目を向けさせようとする意図さえそこには働いている。
リウはゲームに熱中している若者を取り囲む人垣を冷めた目で見遣っていたが、ふと人気のない一角に目を止めた。
モグラたたき。アーケードゲームとしては古典中の古典である。
単純なだけにすたれることもないが、爆発的に流行ることもない。それが古典というものだ。どこに行っても同じようなそのゲーム台の前に立ち、ハンマーを握る。軽くスナップを効かせると、顔を出したモグラが勢い良く飛び出した。
一際派手な音楽が鳴り響き、はたと周囲を窺うと、静かだったはずの一角に何時の間にか人だかりができている。リウはこの状況に気付くこともなく、モグラたたきに熱中してしまっていたらしい。ハンマーを握っていた手は汗ばんで、そっと開くと冷房の効いた店内の空気に触れて、冷やっとした感覚が走る。
「すげー、こんな奴初めて見たぜ」
「こいつでMAXなんて出るもんなんだなー」
「俺もやってみるか」
周囲の客が口々に何か言っている。一体これは、何が起こっているのだろうか。点滅を繰り返す数字は、どうやらこのゲームの最高得点を示しているらしい。
「凄い、凄いよリウ!」
すぐ側を見ればハティが目を丸く見開いて、ちぎれんばかりの拍手をしている。店員が近寄ってきてゲーム台を操作すると、一枚のチケットをリウに手渡した。
「おめでとうございます。当店でのモグラたたきの最高得点です。こちらはその記念品です、どうぞお使いください」
「……どうも」
そのチケットは、この街の店でなら何処でも使えるという商品券らしい。街の外に出てしまえばただの紙切れだが。
大勢の視線から逃れるように、リウは荷物を抱えてハティの手を引くと、そそくさと店を後にした。
少し歩いて化粧品店を見つけて店内に入ると、店員が軽く目を見開いたのが分かった。無理もない、こんな店にこんな二人連れ、怪しく思わない方がおかしい。
「いらっしゃいませ」
営業スマイルを取り戻した店員が声を掛けるのに、リウはメモにあった口紅の品番を告げた。
「かしこまりました。今お出ししますので、少々お待ちください」
小さく息をついて、リウがハティを目で追うと、彼女は色とりどりの化粧品にすっかり目を奪われているらしかった。年端も行かぬ少女とはいえ、女性には違いない。すっかり魅せられているハティに、別の店員が声を掛ける。
「お嬢様には、こちらは如何ですか?」
店員が示した先には、子供向けの化粧品の棚があった。
「うわぁーっ可愛いーっ」
ハティはすっかり夢中になっている。目移りしてしまうのか、あちらに手を出し、こちらに手を出しと落ち着かない。こういうところは子供なんだな、とリウは当たり前の感想を並べつつ、少女のふとした仕草に動揺する自分を見つけてしまっていた。
迷う視線、決めあぐねて移ろう瞳。軽く結んだ唇に添えられた白い指先。
どうしても重なってしまう、消すことのできないデジャ・ヴ。
俺はまた――そう思いながらリウは目蓋を伏せて、ハティに背を向けるようにカウンターを振り向いた。
「店長、ちょっとお願いします」
店の奥からそんな声が聞こえる。どうやらしばらく時間が掛かりそうだ。
軽く溜息をついて店内を見渡してみる。様々な色と形に溢れたその空間は、リウにはまるで別世界のように思えた。この店に限らず、この街全体がそうだと言っても良い。まるで平和な時間が流れているこの街では、自分はエイリアンのように映っているのではないだろうか。
『君は僕にとってのエイリアンだ』
つまらない諍いを起こして営倉に入れられた日に、ダンに言われた言葉を思い出す。
或いは、そうかも知れない。彼にとって、この街にとって――いや、この世界そのものにとって、自分はエイリアンなのかも知れない。本来ならば存在し得ないもの、いずれ排除されるものとしてのエイリアン。この名前もこの顔も、世界という舞台で演じられている、かりそめのものでしかない。
リウが泳がせていた視線は、カウンターに置かれている鏡に辿り付く。鏡の中からこちらを覗き込んでくる、異形の瞳。
――何者だ、お前は。
胸中でそう問い掛けてみる。
「お客様には、こちらなど如何ですか?」
突然そう声を掛けられて、リウは軽く瞬いた。
店長と呼ばれていた女性が、営業スマイルだけではなさそうな笑みを浮かべて、リウの前に小瓶をいくつか並べてみせている。鏡を見ていたおかげで、あらぬ誤解を招いてしまったらしい。
「あ……いえ、自分は何も」
内心焦ったリウを助けるかのように、先ほどの店員が口紅を出してきた。
「大変お待たせいたしました。こちらでよろしかったでしょうか」
メモにある品番と同じだと確認して、リウは軽く頷いた。店長が差し出した手に店員が口紅を渡し、店長が包装をしている脇で店員がレジを操作する。会計を済ませようと財布を開いて、先に貰ったチケットがリウの目に入った。
「これ、こちらでも使えますか」
「はい、お使いいただけます」
「そうですか」
リウはチケットに手を掛けながら、財布に戻した。
「じゃ、まずこれだけお願いします」
ギネビアから預かっていた代金を渡して商品を受け取ると、リウはハティに近づいて、その頭をぽんと叩いてやった。
「なぁに?」
「これで、好きなのを買うといい」
そう言ってチケットを渡すと、口紅を手にしていたハティはリウを見上げて微かに瞬いた。
「いいの? だってこれリウが――」
ハティはそう言って、再びチケットに目を落とした。
「俺がいいって言ってんだから、いいだろ」
そのぶっきらぼうではあるがどこか柔らかな声音にはっとして、ハティが見上げたリウは、いつも通りの無愛想な顔。それでもハティは精一杯の笑顔を返してみせた。
「ありがとう、リウ!」
ハティが口紅を選ぶのを見守っていると、最初の店員が躊躇いがちにリウに声を掛けてきた。
「あの……お客様、フューネラルの方ですよね?」
「そうですが、何か?」
「いえ、制服で来られる方って珍しくて」
そりゃ珍しいだろうな。リウは胸中でそう呟いた。
同じフューネラル内でも部署によっては幾分落ち着いた配色の制服もあるが、Aクラスの戦闘要員であるリウに支給されたS装備の制服の配色は、ブルーグレーに赤という代物だった。このデザインを決めた人間はSF映画マニアじゃないのか、とも言いたくなるような色である。慣れてしまうと、どうということはないのだが。しかし本部内ならばともかく、こんな街中に着てくる服とは思えない。とはいえ、これしか着てこられるものがなかったのだから仕方ない。
今まで指摘されずに居たのが寧ろ幸運だった。それは、なるべく買い物だけを手短に済ませようとしてきたからであり、アイスクリームを食べる羽目になった際にも外野の雑音は徹底的に無視していたのだ。しかし、対面販売を基本とする化粧品店、しかもハティが口紅を選ぶのを待つという状況では、リウに逃げ場はなかった。
そして控えめな声音の割に、はっきりとものを言うその店員の笑顔に、リウはどこかでたじろいでいた。店員はその笑顔のままに、口を開いた。
「普段のお手入れは、どちらの商品をお使いなんですか?」
やはり、何か誤解されている。リウは軽く手を振った。
「どうぞお構いなく。――まだ決まらないのか?」
そう声を掛けると、ハティは片手に一つずつ口紅を手にして、リウに見せた。
「んー。リウが決めて」
そんなことを言われても俺に分かるものか。
内心毒づいたが、ここで決めてやらなければ何時までもこの店を出られない。
右手は柔らかなコーラルピンク、左手は淡いパールピンク。
つい右手を取りかけたリウだったが、左手を選んでやることにした。ハティは軽く目を見開いて、にっこりと笑顔を見せた。
「ハティもこっちにしよっかなーって思ってたんだ。ありがとう、リウ」
だったら最初から自分で決めろよ、とリウは小さく溜息をついた。何だか、凄く疲れた気がする。
「仲がよろしいのですね」
ハティからパールピンクの口紅を渡された店員の笑み、そしてハティと自分とを見比べるような視線の流れ。これ以上何かを言われる前に店を出てしまわないと、とリウは思った。
「ほら、早く行って来い」
リウはそう言って、ハティの背をぽんっと叩いてレジに促した。
「ありがとうございました。またどうぞ〜」
店員総出で見送りを受けて、急ぎ足で店を出る。今はもう一刻も早くここを出て本部に戻りたい。攻撃を受けても受けても巡礼ポイントを目指すエイリアンはこんな気分なのだろうか、ふとリウはそんなことを考えて、馬鹿馬鹿しいと頭を振った。
「さ、帰るぞ」
化粧品店から少し離れて息をつき、リウは足を止めてハティが隣に並ぶのを待って、ぼそっとそう言った。右手に紅茶の缶とトレーディングカードの箱、左手にホットドック一ダースの箱と化粧品店の袋。そして肩にはトーテムポール。これでようやく全ての品物を買い終えた。
両手の塞がったリウを見上げて、ハティは手を差し出した。
「ハティも持つ」
「じゃ、これを持ってくれ」
リウが最後に買った化粧品店の袋を示すと、ハティはそれを受け取った。ちらっと顔を窺おうにも、リウはそれ以上のことは告げようとしない。
「うん」
ハティがそう答えてから、リウはゆっくり歩き始めた。それだけのことが、ハティには嬉しくてたまらなかった。
「ただいまーっ」
「只今帰還しました」
フューネラル本部へ戻った二人をまず出迎えたのは、何故かマイケルだった。
「お帰り、ハティ。ご苦労、ソーマ少尉。どこの歩兵の帰還かと思ったぞ」
荷物を抱えたリウをそう評してマイケルは白い歯を見せて笑ったが、確かにそんな気分かもしれないとリウは思った。騎士の次が歩兵とは、今日の自分は、一体幾つの役を演じたのだろうか。
「お疲れ……って、何だその荷物は?」
「お帰りなさい、一体どうしたの?」
ラウンジにやってきて、口々に言って目を丸くしたのはダンとギネビアだ。
「皆さんに頼まれたものですよ」
そう言ってリウは手にしていた袋をテーブルにどさっと置いた。ダンが確かにその袋の中に紅茶の缶があるのを認めたが、むっとして口を開いた。
「僕はこんなに頼んでないぞ」
「おかしいですね、メモにはちゃんと書いてありますよ」
そう言ってリウがメモを渡すと、筆跡を辿ったらしいダンの顔色が変わった。
「お帰りハティ〜どうだった?」
「スーちゃんただいま! 楽しかったよ〜」
丁度そこへ現れたスーに、ダンの冷たい視線が突き刺さる。
「スー。これはどういうことなんだ?」
「説明して貰おうか、ハリス少尉」
ホットドッグの箱を見たマイケルもそう口にして、スーは、にゃはははっと笑いながら手を振った。
「お約束でしょ、お約束〜っ。だってリウは初めてのお使いなんだも〜ん」
「これもお約束なの?」
リウが肩から担ぎ下ろしたものを示しながら、ギネビアが言った。歩兵の担いだランチャー……ではなく、5フィートはあろうかという大きな柱状の物体を見て、今度はスーの顔色が変わる。
「げっ……」
「ハリス少尉のオーダーは、こちらでしたよね」
リウは平板にそう告げながら、荷物をほどいてみせた。ちょっと持ち帰るには躊躇するようなサイズの、立派なトーテムポールだった。
「そ、そう……こんなの欲しかったの。ありがと〜」
どうにも引きつっているその笑顔を見て、ハティがきょとんとした目を向ける。
「どうしたのスーちゃん?」
「何でもないのよハティ」
ぶんぶんと顔を振ってみせて、スーは大きく溜息をついた。
『まんま直球で返してくれちゃって……』
スーは忌々しげにリウを睨みつけたが、彼はいつものように涼しい顔をしていた。
「ノルマは一人二つだな」
事情を察したマイケルがそう言って、ホットドッグを一つ手に取った。箱からふわっとチリソースのスパイシーな香りが漂い、スーは簡単に目を輝かせた。箱を覗き込むと、リウが一ダースという数を考えに入れたのだろう、幾分小ぶりのホットドッグが並んでいる。
「これなら二つなんて軽い軽い〜」
スーが早速一つ手に取ろうとすると、横から別の手が伸びる。
「私も勘定に入れてくれ」
「コマンダー?」
イネスがホットドッグを手に手近な席につくのを見て、マイケルが眉を跳ね上げた。
「何、小腹が空いたのでな。――お帰り、ハリエット。ご苦労だったな、ソーマ少尉」
「ただいま。あ、これ、カード。150枚もあるんだよ」
リウがイネスに会釈する脇で、ハティが荷物の中からトレーディングカードの箱を出してきた。それを見て、イネスが軽く瞬く。マイケルがスーをちらりと睨みつけ、スーがホットドッグを口にしながら肩をすくめるのを見て、合点が行ったらしいイネスはくくっと笑い出した。
「ありがとうハリエット。これだけあれば全部揃ってしまうだろうな」
「だと良いんだけど。大人買いしても揃わないかも知れないんだって」
そのハティの言葉に、その場に居たリウとハティ以外の人間の目が丸くなる。
「あんた何て言葉ハティに教えてんのよ……」
そう低い声で言いながらスーは横目でリウを窺うが、コーヒーを口にしている彼の何食わぬ顔はまるで変わらない。
はははっ、とマイケルが笑って、手にしていたままのホットドッグをリウに渡した。
「ほら、お前も食え。火傷しそうにホットで、美味いぞ」
皆がホットドッグを食べ始めたそばで、ダンは自分宛に買ってこられた紅茶の缶を袋から出していた。
「5kgってことは10缶か? 一体何ヵ月後に飲み終えられるんだか……」
アッサムティーの缶をテーブルに積み上げていたダンは、途中で缶の種類が変わったのに気付いた。
「ウバに、ダージリン?」
向かい側のリウに問い質す視線を向けるが、先にハティがダンに答えた。
「アッサムティー、5つしかなかったの。だから、後はリウが他の缶を取ってくれたの」
「そっか。ま、この方が色々飲めるから結果的にはありがたいかな。次は何だ? アールグレイに、ニルギリか、中々良いじゃないか。最後は……」
その缶を取り出した、ダンの表情が凍りついた。
最後の缶はラプサンスーチョン。松の薫製香がついている、独特のフレーバーティーで、好きな人間は凄く好きだが苦手な人間は絶対に苦手だという、好みが極端に分かれる紅茶である。ダンの顔は、彼が後者の人間だということを如実に物語っていた。
「お気に召しましたか?」
そのリウの顔が何処か薄く笑っているのが、ダンにはどうにも腹立たしかった。
「ああ、おかげさまでな!」
ダンはそれだけ答えると、ホットドッグに手を出して、勢い良くかぶりついた。
一方ギネビアは、ハティから手渡された化粧品店の袋を開けていた。
「何だかサンプル一杯入れてくれてるわ。私が行った時より多いんじゃない?」
そう言いながら、化粧品のサンプルを袋から出していたギネビアの手が止まる。
「ソーマ少尉、これはあなたの分よ」
そんな事を言われてリウがコーヒーカップから視線を上げると、ギネビアは何か含みのある笑みを浮かべながら、小さなチューブを寄越した。
「どうも」
「なぁにそれ」
スーが興味津々といった視線を向けてくるのは気にしないことにして、リウはチューブのラベルを読んだ。ギネビアがくすりと笑ってスーに答える。
「ヘアクリームらしいわよ」
「リウったら役得じゃん。気に入られたんじゃない?」
「だから私が行った時よりサンプルが多いっていうの? 何だか面白くないわね」
ギネビアは軽く口を尖らせたが、その瞳はどうにも面白がっているようだ。リウは黙ったまま男性用のヘアクリームのチューブをテーブルに置くと、食べかけのホットドックに口をつけた。そんなリウを見たギネビアの忍び笑いに、リウは微かに視線を遣って、彼女にしてやられたと思い知った。
「で、肝心のは?」
スーが手元を覗き込んでくるのに、ギネビアは口紅を出してみせた。
「これよ」
「へーぇ、結構ステキじゃない」
「でしょ。今年の新色よ」
そんな二人を見ていたハティはもう一つの小袋から、自分の口紅を取り出した。
「ほら、ハティも〜」
「どうしたの、それ?」
明らかに子供用ではあるが、口紅には違いない。ハティはそれを手に、全開の笑顔で言ってのけた。
「リウが買ってくれたの」
それを聞いた全員の目が、リウに注がれる。その場を、完全な静寂が支配した。
「あちゃー……明日は雪だなこりゃ」
スーが皆の感想を代弁したその言葉を、リウはまるで聞こえていない顔をして、静かにホットドッグを頬張っていた。
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