■on the reset:ミズキ編
「タチバナ、ちょっと頼みがあるんだけど」
1年D組の教室でタチバナ・ミズキにそう声を掛けてきたのは、赤い髪に浅黒い肌の背の高い少年。たった一人で水泳部員をやっているという、ソゴル・キョウだ。この舞浜南高校に入学してから半月も経っていないというのに、既に彼は成績は良いけど変わり者だという評判が立っていた。中学時代に何をしていたかなど、隠せば隠し通せるものだろうに、彼の場合は話に尾ひれがついて広まっている。彼自身の言動がそれを隠そうとしないからだというのと、何よりも彼が目立つからだろう。キョウに上目遣いを向けたミズキは周囲を憚るように、小声で答えた。
「あたしに?」
「あぁ。お前に頼みたいんだ」
そんなことを、教室の片隅で真顔で覗き込みながら言わないで欲しい。ミズキは眉を潜めるが、キョウはそんなミズキに構わずに話を続けた。ゆっくりと、言葉を選ぶように。
「B組に、カミナギ・リョーコってのが居るんだ。オレの幼なじみなんだけど、色々あって、今日からやっと学校に来ててさ」
キョウがそう言うからには、彼女も彼と同じ中学だったのだろう。だからミズキは知らない名前だった。いや、知らない名前のはずだった。なのに、どこかで聞いたことがあるような、そんな気がしていた。
「友達になってくれってゆー訳?」
そう口にしたミズキに、キョウの顔がぱっと輝く。
「やっぱ話分かんじゃん!」
キョウの明るい声が嬉しそうに響く。何人かがこちらを振り向くのに、ミズキは軽く頭を抱えた。
「まぁ、そのくらいは想像付くって。──でも、何で?」
同じ中学出身の別の女子くらい、いくらでもいるのだろうに、何故わざわざ自分に頼むのか。ミズキにはキョウの意図がさっぱり分からなかった。まぁこのソゴル・キョウの幼なじみというからには、そのカミナギ・リョーコという子も相当の変わり者なのかも知れないけれど。
「お前じゃないとダメなんだよ、そう決まってんだ」
早口で囁くように答える、キョウの言葉は明確だが、意味はやはり不明だ。
「はぁ?」
「お前、演劇とか映画とか好きだろ? あいつも映画好きでさ、話合うはずだから」
そう付け加えられたキョウの言葉に、ミズキは瞬きをした。
「何で知ってんの?」
「だって、お前演劇部だろ」
「そうだけど、そんなに話したことないじゃない」
ミズキがそう答えると、キョウの顔にふと陰が過ぎる。どういう訳か寂しそうなその瞳の色は伏せた目蓋に隠されて、ミズキにはそれ以上彼の表情を読み取ることはできなかった。何となく気まずくて、ミズキはキョウから目を逸らした。
何だろう、コイツ。
確かに変わり者には違いない。でも、何だかそれだけではないような気がする。積極的にキョウと付き合いたいとは思わないけれど、彼が友達になってくれというカミナギ・リョーコは気になるなと、ミズキの心中で興味は膨らみ始めた。キョウに向き直ると、明るい色の瞳がじっとミズキを見つめていて、ミズキは一瞬どきりとした。──好みってタイプじゃないんだけどな。案外、悪くはないのかも。って、あたし何考えてんの?
「ゴメンな、いきなりこんな話をして。でもカミナギには、お前じゃないと」
彼が真剣に思っているのは、あくまでもそのカミナギ・リョーコのことなのだ。それはもう充分すぎるくらい分かった。後はおいおい、分かっていけば良い。ミズキはふぅと息を吐くと、口を開いた。
「分かった分かった、お任せあれ。B組ね?」
「さんきゅ。行けばすぐ分かるから。ちょっと変わってるかも知んないけど、良い奴だからさ、頼むよ」
だからその、変わり者のソゴル・キョウが変わってると言うのだから、どれくらい変わった子だというのだろう。ミズキは、B組の教室を覗いてみることにした。
『行けばすぐ分かるから』
そのキョウの言葉どおり、カミナギ・リョーコがどの子なのか、ミズキにはすぐに分かった。一人でぽつんと座って大判のシナリオの本を読んでいる、ショートカットの女の子。ミズキはB組の教室につかつかと入っていくと、リョーコに声を掛けた。
「映画、好きなんだね。それ、映画の脚本集でしょ? いつも読んでるじゃん」
ミズキの方を見る、リョーコは確かに一風変わっていた。どこか常人と違う雰囲気を纏っている、それが何かとは言いがたいのだけれど。そのためなのか、キョウの話では今日から登校しているというのに、B組の他の子はまるでリョーコに寄り付いていない。普通なら遅れてきたクラスメイトということで、取り囲まれていてもおかしくないのだろうに。
「あたし、ミズキ。タチバナ・ミズキ。どんな映画見てんの?」
「えっ……」
「あたし、マリエンバートとか結構好き」
キョウに頼まれたことだとはいえ、自分でも驚くほどに、すらすらと言葉が出てくる。そこまで話したところで、ミズキを呼ぶ友人の声がした。
「じゃね、カミナギさん」
ミズキの、カミナギ・リョーコとのファーストコンタクトはこれで終わった。確かに変わっているけれど、でも悪い子じゃないとは分かる。殆ど言葉も交わしていないのに、良い友人になれそうな気がする。それはただの直感なのだろうけれど。
ミズキは胸の奥がじわりと熱くなるのを感じながら、B組の教室を後にした。
(0701.07)
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