Camille Laboratory : ZEGAPAIN Topゼーガペイン>創作小説>le parapluie rouge

 そこは月面の地表ではなく、人工物に囲まれた空間であることは分かる。ということは、ここはジフェイタスの内部なのか。
「私のラボへようこそ」
「貴方が?」
 キョウの問いに、目の前の空間に現れた人物は頷いてみせた。アルカイックスマイルが表情を読ませない顔に光の紋様を持つ造作が人間離れしているのが、彼が本来ガルズオルムに属する者であると示していた。彼のクローンであるというシマに似ているのかと言われれば、まるで別人のようでもあり、やはりどこか通じるようにも見えた。

「久しぶりですね、イェル」
「こちらこそ」
 旧知と見える言葉を交わす二人の様子を、キョウはまじまじと見つめるしかなかった。
「積もる話はありますが、時間はありません」
「えぇ、鍵を渡すわ」
 そう言ってシズノの指がパネルを走り、シマのオリジナルの手元に光が灯った。今回の作戦に必要な鍵が渡されたのだ。

 彼はその鍵を展開すると、キョウを見つめた。彼が正対しているのはあくまでアルティールなのだが、シズノではなく自分を見ているのがキョウには分かった。
「ソゴル・キョウ」
 名乗っていない自分の名を呼ぶその声に、キョウは唾を飲み込もうとして、口の中の乾きに気付いた。

「君は何故、ここに居るのです」
「何故って」
 それこそ何故そんなことを訊かれなければならないのか。目を丸くしたキョウは、きっと表情を険しくした。
「舞浜はオレの街、オレの命そのものだ。それをここまで命懸けで預けに来たんだ」
 咄嗟にそう答えながら、彼の質問の意図に気付く。キョウは一息ついて、確かめるように言葉を紡いだ。

「そのオレが今ここに居るのは、オレを命懸けで守ってくれるシズノと──シマが居てくれるからだ」
 シマの指揮するオケアノスもまた地球と月の間に居て、この作戦の核を成している。舞浜のデータを無事にシマのオリジナルに托すために、シマもまた命懸けの戦いの中に居るはずだった。三人の互いの信頼なくしてこの作戦は成立しない。それをキョウが認識しているかどうかを問われたのだ。──彼にとってキョウが信用できるのかどうかを。

「この鍵には、シマからの伝言がありました」
 手元の光の鍵を示した彼はそこで一拍置くと、明らかに微笑を浮かべてキョウを見た。
「シマを信じてここまで来て、イェル──シズノに名前をくれた君を信じましょう」
 キョウは目を見開いて、彼からリアシートのシズノへと視線を移した。シズノが穏やかな顔で頷くのに、キョウは笑みを返すと彼の方を向き直った。
「なら、オレも貴方を信じるよ」
「このラボは私の命そのものです。命に懸けて舞浜のデータを守り、必ず雛を孵してみせると約束しましょう」
 彼の手のひらの鍵の光が、輝きを増して四散する。それはこのラボの空間そのものに溶け込んで行くように見えた。


「そのコネクタに触れてください。それでこちらのサーバーと接続します」
 大型量子コンピュータ用のデータ送受信ユニットを適用させたアルティールの右手を、シマのオリジナルに指示されたコネクタに接触させる。各ポイントの鍵が全部揃えば、データの移動が可能になる。次の瞬間に起こることを予期して、キョウの全身に緊張が走った。シズノが低い声で告げる。

「来るわ」
 舞浜サーバーとリンクしているオケアノスの量子コンピュータと、シマのオリジナルのラボのサーバーに接触しているアルティールとを経由して、舞浜サーバーのデータの移動が開始された。月のサーバーから、舞浜にある大量のデータを一気に吸い上げようというのである。

 キョウがシマから舞浜の移動計画を聞かされた時、初めから物理的な手段をとるのは無理だろうとは思っていたが、まさかこんな手を使うとは思わなかった。シマがかねてから準備していた技術によるものだとはいうが、扱うデータに対してリスクが大きすぎるようにキョウには思えた。

 だがこの方法であれば、アルティールが月に到達するまで舞浜のデータには危険は及ばない。圧縮されて吸い上げられるデータは各ポイントの鍵によって暗号化されており、稼動しているサーバーのデータを移すには、寧ろリスクは小さいというのがシマの判断だった。

 ゼーガペインの操縦系はガンナーの思考と直結している。ガンナーの思いどおりに動く、その光を纏う機体は、光を失った幻体が得た実体としての身体そのものだ。そしてその機体が受けるダメージを、ガンナーは自らの痛みとして感じることになる。今、アルティールの機体を経由して膨大な量の舞浜サーバーのデータが流れてゆく、その状況さえ、キョウは自分の体を何物かが流れてゆく感覚として受け取っていた。通常ではありえない未知の感覚に戸惑い、キョウは思わず顔をしかめる。そしてリアシートを振り向いた。
 シズノもやはり、静かに目蓋を伏せ、唇を固く結んでいる。
「シズノ」
 その名をそっと呼んで、キョウは上体を捻って振り向いて左手を彼女の方へ差し出した。シズノは目を見開いて、優しげな微笑を浮かべたキョウに応えて右手を延ばす。互いの指先が絡み合って、今二人の体を流れてゆくように感じられるデータの奔流とは違う、別のデータが通い合った。


 触れ合う度に実感するのは、想いを繋ぐ絆の在り処。その光は輝きを増していく。


 アルティールを包んでいた眩い光が消えて、辺りには静寂が戻ってきた。舞浜サーバーからのデータの移動が終わったらしい。キョウとシズノはようやく手を離して、それぞれに現状を確認した。
「確かにお預かりしましたよ」
 彼がそう言うのだから、舞浜サーバーのデータに問題はなさそうだ。
「サンキュ」
 そう短く礼を言い、キョウはようやく、ふぅと大きく息をついた。

「データ移動完了、でもここでQL切れか」
 舞浜のデータは無事に移動できたのだから、CCの前半の山は越えた。それでもQLが切れてしまえば、キョウとシズノの命はここで終わることになる。掠れた声で呟いたキョウは、ふと銀色の雨に煙る森を思い出した。そして寂しさを隠しきれずに、それでも優しげな笑みを浮かべてリアシートを振り返るキョウに、シズノは微笑んだ。
「いいえ、大丈夫よ、キョウ」
《QL charge complete.》
 えっと驚いて、キョウは正面に向き直った。この場面でQL補給などという芸当ができるのは、目の前の彼しか居ない。

「QLにはまだ改良の余地がありそうですね。また見ておきましょう」
 研究者肌らしくそんなことを言うのが、やはりシマのオリジナルならではというところなのだろうか。そんなことを考えて、キョウは表情を緩めた。

「本当に助かったよ。シマに伝言は?」
「シマは確かに私の一部ですが、既に一個の個体です。──自分の信じた道を進めと」
「分かった」
 キョウは彼の言葉に頷くと、リアシートを振り向いた。
「オケアノスへ帰るか」
「えぇ」
 シズノが頷き、ふと開いたウィンドウに視線を走らせる。
「これは?」
「帰り道の切符ですよ」
 元々こちらに来るのに使う予定だった量子ポータルの月側の扉を開く鍵がシズノに渡されていた。来る時には罠に陥って実験場へ飛ばされてしまったが、この鍵を使えば、ガルズオルムのデータであると偽装して、月側の扉からクラウドへ戻れるらしい。設定を確認して、シズノは表情を緩めた。
「舞浜用の鍵もあるのね。何から何まで、ありがとう」
「私には、こんなことしか出来ませんから」

 シマのオリジナルは、静かにそう言った。元はガルズオルムの一員である彼が覚えた、地球に既に人間が居ないことに対する違和感が、この戦いの始まりだった。彼自身が初めて人間の肉体を捨てて幻体化した者であったために、彼は人類全体からその生命の尊厳を奪うことになった責任を自身に問うことになった。彼はかつてナーガの側近であり、ナーガに心酔した研究者でありながら、今やそのナーガ──いや、ナーガの意思を体現する存在であるガルズオルムに対し、密かに牙を剥く者となっていた。ガルズオルムの目的であるサーバー内での無限進化とは相反する、現実世界での人類の再生を計っていたのだ。

 彼は自分の分身であるシマを人類側のサーバーに送り込み、シマはセレブラムを組織してガルズオルムとの戦いを指揮している。だが彼自身はこの月に身を隠し、戦場に赴くことはない。彼が人間として再生しようとしている命が戦いの中で失われていっても、彼にはそれを直接どうすることも出来ないのだ。だからこそイェル=シズノには、データサルベージのエキスパートとしての能力が持たされている。かけがえのない命を救い得る者として。イェルもまたシマと同じように、彼が直に手を下せないことを実行するための、彼の代行者なのだ。
 だが彼は決して、シマとイェルに全てを任せてただ安穏と身を潜めている訳ではない。人類再生のために彼にしか出来ないことをするために、ガルズオルムの加速するサーバー内で獅子身中の虫となっているのである。

 彼の思惑の全てをキョウが理解できている訳ではなかった。キョウに感じ取れるのは、彼の言葉の響きに隠された、微かな痛みだけ。

「そんなことは言わないで欲しいな。貴方にしか出来ないことは、いくらでもあるだろう」
「今日からは、舞浜サーバーを守ることも増えましたね」
 キョウにそう答える彼は、微笑んでいた。それがさっと消えて、彼が口を開く。
「急いでください、これ以上は貴方達を守れません。シマと──シズノを頼みましたよ、ソゴル・キョウ」

「あぁ、任せてくれ」
 シマのオリジナルに向かってキョウは頷いた。彼に託したのは、キョウにとってかけがえのない存在である舞浜サーバーのデータと人類の未来。そして彼がキョウに托したのは、彼にとってかけがえのない存在であるシマとシズノ。その重さをぐっと噛み締めて、キョウはコントロールグリップを握る手に力を入れた。
「行くぜ、シズノ」
「はい」
 キョウの覚悟と、彼と共にあろうとするシズノの覚悟。重い響きの二人の言葉を残し、アルティールは光となって、シマのオリジナルのラボから消えた。




back ◆ 4/10 ◆ Topゼーガペイン