Camille Laboratory : ZEGAPAIN Topゼーガペイン>創作小説>le parapluie rouge

 シマのオリジナルの鍵のおかげで、アルティールは無事に量子ポータルを経由して月からクラウドへと戻った。さすがにそこから先は彼の魔法の杖も効かないようで、クラウドから追い立てられるように攻撃を受けながら、キョウとシズノは応戦の片手間にオケアノスを探した。

《おかえりなさい、キョウさん、シズノさん》
 アルティールに、まずその通信が飛び込んできた。緊張感の中にもほっとするその声に、キョウは一瞬だけ表情を緩めると、敵機を見据えながら答えた。
「まだ早いよ、フォセッタ」
「オケアノス、現状を教えて」
《現在、交戦中です》
 短いリチェルカの声が緊迫感を伝えている。視界に、攻撃が交わされる光が入ってきた。
「あれか。帰り道が見えたぜ!」
 アルティールは振り向きざまにクラウドからの追撃機を撃墜してしまうと、全速でオケアノスへと向かった。漆黒の闇に紛れるような濃い青の艦の姿が、妙に懐かしい。

「ウルヴォーフル多数。月で対戦したのとはまたスペックが違うわ」
 シズノは解析結果に目を見張った。
「早速パッチを当ててきたっていうのか」
 キョウは唇を噛むと、オケアノスとの間の角度を取ってランチャーを向けた。闇を切り裂く鮮やかな光の線上に幾つもの炎の花が散る。出力が普段とは桁違いだ。
「QLの残量は当面気にしなくて良いわよ」
 勝気なシズノの声に、キョウは口の端を上げた。
「なら、一気に叩き落すぜ!」
 アルティールはオケアノスのブリッジを守る位置に踊りこむと、大出力のランチャーの火線で宇宙空間を薙ぎ払った。無数の火球が生まれると共に攻撃は静まり、撃ち漏らした分はオケアノスの火器が仕留めて、その場の敵機を殲滅した。そしてオケアノスはアルティールを収容すると、地球へと帰還した。


 オケアノスのデッキ内でQLの補給と機体の簡易チェックを済ませ、キョウとシズノも僅かな休息を得た。とはいえ機上待機のままだし、作戦はまだ終わっていない。緊張感は未だに解けないが、それでもキョウは不思議な心地良さを感じていた。
 多分それは、リアシートにシズノが居るから。
 月面でシズノと触れ合った時の感触が、まだこの手に残っている。
 触れ合う度に、絆が強くなるのを感じる。それは自分だけの思い込みではないはずだ。
 ふと振り返れば、目蓋を伏せたシズノの安らいだ顔がそこにあった。キョウは表情を緩めると、前に向き直って自分も目蓋を伏せた。

 オケアノスが向かったのは、現実の舞浜だった。アルティールはCCの最終段階として、舞浜サーバーに降り立った。
 数日前、作戦の準備のために訪れた時と同じように見遣る、舞浜サーバーの筐体は沈黙していた。それは既に空の巣箱。サーバーが通常通り稼動していれば、チラチラと流れる光が命の在り処を示していたが、今はそれもなく、辺りは暗く空虚な静寂に包まれている。

 シマのオリジナルから托された鍵を埋め込み、月面にある舞浜サーバーの実データとオケアノスとのリンクが回復した。もうここですることは何もない。
「ミッション終了。オケアノスに戻りましょう」
 シズノの声には安堵の響きがある。長い緊張があと一瞬で解かれようというのだ。
《Transmission confirmed.》
「エンタングルタイムアウト」
 そのキョウの乾いた声と共に、アルティールは光となって舞浜から消えた。


 オケアノスに帰艦して、ようやくアルティールのコックピットから開放される。デッキの床に立って、んっと伸びをして、キョウがシズノを振り返った。
「お疲れ」
「お疲れさま」
 肩に掛かる長い黒髪を払うシズノを見て、月面でシマのオリジナルに托された言葉がふとキョウの耳元に甦る。
『シズノを頼みましたよ』
 何だか、冗談が本気になってしまったような気がする。

「あのさ、出掛けの……冗談なんだけど」
 頬を指先で掻きながら言いにくそうに声を掛けたキョウに、シズノは視線を逸らすように目蓋を伏せた。
「ごめんなさい、冗談だなんて言って」
「いやあれは」
 冗談でいいんだと言おうとした矢先、キョウを見つめながらシズノが言った。
「でも、私は永遠に貴方とは」
 その赤い唇にキョウの指がそっと触れて、シズノの言おうとした言葉が途切れる。
「その先は聞けないな」
「だったら、本気にするわよ」
 どこかしたたかな瞳を向けてくるシズノに、キョウは言葉ではなく軽く触れた唇で答えた。


《さすがですね、ソゴル・キョウ。見事なお手並みでした》
 感嘆するレムレスに、タルボも頷いて続けた。
《0.01%という可能性の数値を真逆にひっくり返すのだから、これが我々とは違って人間だけが持つ何かなのかも知れませんね》
 そのタルボの言葉に、キョウははっとした。今このオケアノスのブリッジに顔を揃えているのは全員が量子データだとはいえ、本来人間だと言えるのは自分ただ一人だけだ。でも、ここにいる全員──それと月面に居るシマのオリジナル──が力を尽くしたから、作戦は成功したのだ。

「皆が頑張ってくれたからさ、オレ一人の手柄じゃない」
 ブリッジをぐるりと見遣りながらキョウが言うのに、司令席のシマも頷いた。
「その通りだな。まだ仕上げが残っているが」
「仕上げ?」
 キョウの疑問には、シズノが答えた。
「舞浜サーバーのリセットよ」
 キョウは息を呑んで、シズノの顔からブリッジのメインモニタに視線を移した。リセットシステムの進行状況が表示されているが、数値とグラフだけで示されるその画面からは、舞浜の街で何が起こっているのかは想像できるものではなかった。


 舞浜サーバーのリセット作業を待つ間、シズノはブリッジのコンソールを使って今回の作戦の記録をまとめていた。その傍らで彼女のフォローをしつつ、キョウは様子を見に来たシマに、彼のオリジナルからの伝言を告げた。
「自分の信じた道を進め、ってさ」
「そうか」
 シマは短くそう答えると、眼鏡を外して薄く笑った。
「私の人格は彼の意思を切り取ったものにすぎない。私が生み出された時の、彼の信じたものを信じる──何かに迷うようなら、その初心に戻るしかないということか」
「それは違うな」
 自嘲気味ともとれる響きのシマの言葉に、キョウは即座に応えた。伝言の前半部分を省略してしまったのを補わなくてはならない。シズノも手を止めて、傍らの二人を見遣った。

「その理屈から言えば、遺伝的に同一の存在になる一卵性双生児は、同じものを信じることになる。確かに双子っていうのはそういう傾向にあるのかもしれない。でもそうとは限らないだろ? それぞれに違う経験を積んで、それぞれに考えて、二人は違う人格になる。違うものを見て、違うものを信じることにもなるんだ」
 シマは言葉を挟まずに、眼鏡を持ったまま腕を組んでじっとキョウを見つめていた。彼のオリジナルの瞳の色も、シマと──シズノと同じ菫色だったけれど、やはり何かが違うとキョウには思えた。月面でふと垣間見た表情を、キョウは思い出した。
「あの月で、彼の抱えている痛みは彼のものでしかない。今君がここで感じている痛みは君のものであって、彼のものではないんだ。そんな二人が、信じるものが違っていても当然だろう」
「つまり、どこまでも私は私の信じるように進めば良いのだな。今まで通り」
 眼鏡を掛け直しながら答えるのは、いつも通りの毅然としたシマの声だ。
「あぁ」
 キョウは笑みを浮かべて頷いた。そんな二人の様子に、シズノも表情を緩めた。


《司令、舞浜サーバーのリセット、完了しました。現在のところ異常は認められません》
 ディータがそう告げるのに、司令席に戻っていたシマは頷いた。オケアノスから実際には月面に存在する舞浜サーバーのリセットを行うのに、作業の手順も進行状況も従来のものとは表向きの差異はなかった。まるでそのデータは現実の舞浜にあるかのように偽装されているのだ。それは、現実の舞浜にあるサーバーに埋め込んだ、シマのオリジナルに托された鍵のおかげだった。
「よし。CCに関するデータを予定通りに消去。作業終了後、通常任務に復帰」
《了解》
 シマの言う作業が完了すれば、AIの行動記録も含めて、オケアノスにおけるCCのデータは抹消される。残るのは、シマとシズノとキョウの記憶と、封印され隔離保存されるアルティールの戦闘データのみ。それは再び月へ赴く際の道標として残されるものだ。仮親の元から雛が巣立つ、その時に。

 ようやく作戦が終わったという実感に浸れる余裕が出てきたのか、キョウは腰に手をやって、ふぅと大きな息をついた。いや、仕上げはまだ一つ残っている。そう思って、キョウは司令席のシマを振り仰いで口を開いた。
「舞浜にはオレが最初に行く。オレが無事に行けないというのなら、今回の作戦の意味は半減するからな」
「君がそう言うのなら、反対はしない。私もすぐに行く。──今回はご苦労だった、ゆっくり休んでくれ」
 舞浜南高校では生徒会長を務めるシマが頷きつつ答えるのに、キョウは表情を緩めてみせた。
「そちらもな。じゃ、舞浜で」
 今までと変わりない様子で、キョウの姿は月面にある舞浜サーバーへと消えた。




back ◆ 5/10 ◆ Topゼーガペイン