Camille Laboratory : ZEGAPAIN Topゼーガペイン>創作小説>illusional summer sketch 夏のスケッチ

「こんにちはシズノ先輩。夏休みの宿題なんです」
「それは大変ね」
 そうリョーコに答えながら、シズノは二人とは少し離れた位置のコンソールに向かった。
 仲良く向かい合ってスケッチブックを開いているキョウとリョーコの側に、近付きたくはなかったのだ。自分の指先が弾き出すのが、二人の訓練のためのデータだと思えば、尚のこと。
 それでもブリッジを出て行く気にもなれない。彼の声が聞こえて、表情が見える位置に居たい。シズノにはそういう気持ちもあった。


「だぁーもー動くんじゃねーよカミナギ。描けねぇだろ」
「こっちも描いてるんだからお互い様だよ」
 人物五枚のスケッチを仕上げるのに、二人は互いに手近な人物をモデルにすることにしたらしい。軽やかに鉛筆を走らせながら、リョーコがキョウの顔を覗き込んで微笑む。
「中学の時もこうやって描いたよね」
「んなことあったっけか?」
「えーやだなキョウちゃん、忘れたの?」

「美術の時間のことは、覚えてねーよ」
 そうリョーコには答えたが、そういえばそうだったかもなとキョウは思い出していた。
 二人組でお互いの顔を描くという、ありふれた課題。あの時も、リョーコは楽しそうに鉛筆を走らせていたっけ。
 ──良かった、覚えていて。いつかの数学の問題のように、ウェットダメージのために記憶を無くしてしまっていなくて。あの笑顔を、覚えていて。
 キョウはその密かな安堵を胸の奥にしまい込んで、自分も鉛筆を走らせた。

「終わったよーありがとキョウちゃん。そっちは?」
「相変わらずはえーなぁ、ちょっと待てよ」
 リョーコに遅れてキョウがスケッチを仕上げていると、ルーシェンがお茶の道具を持ってブリッジに現れた。メイウーのワゴンにはポットが、そしてメイイェンのワゴンには様々なお菓子が載っている。

「皆でお茶にしましょ」
「お茶菓子もちゃんと用意してきたわよ」
「うわぁ、ありがとうメイウーちゃん」
「……今、どっちに声掛けた?」
 そのメイウーの言葉に生えている棘には気付かないのか、リョーコは嬉々としてメイイェンのワゴンを覗き込む。そこにキョウの苛々した声がびしっと飛んだ。

「だーかーら、動くなっつってんだろ!」
「ゴメンゴメン、大人しくしてるから、早く描いちゃってね」
 キョウに向き合って苦笑いを浮かべつつ、リョーコは姿勢を直した。そのリョーコのスケッチブックを覗き込んだメイウーが、目を丸くして声を上げた。
「うわぁ、これってひょっとしなくてもキョウ?」
「そうだけど」
 メイウーはスケッチブックとキョウとをしきりに見比べる。

「今、目の前にある実物より、良くない?」
「そうかなぁ」
「気合の入り方が、並じゃないわよ」
 はにかむリョーコと、曰くありげな視線を送ってくるメイウーとを見て、キョウがさも面白くなさそうに憮然としてみせる。メイウーはスケッチブックをめくった。
「あらもう次が描けてるのね。クリスじゃない、素敵!」
「うん、それはちょっと自信作なんだ。キョウちゃんがピエタ描いてる間に、ちょちょっと描いちゃったんだけど」
「でも、何で先に描いたクリスの方が後なの?」
 そうメイウーに問われて、リョーコはやや置いて、言葉を選びながら答えた。

「だって、キョウちゃんって、二枚目、っていうのじゃないでしょ」
「どーせオレはルーシェンのよーなイケメンじゃありませんよーだ」
「やだなー、キョウちゃん根に持ってるの?」
 オケアノスに初めて来た日のやり取りを気にしているかのようにぶーたれるキョウに、リョーコは困ったような笑みを浮かべた。
 そういう意味での言葉ではないのに、単に……人物の一枚目に、キョウを描きたかっただけなのに。

「終わったぞー」
 そう言ってスケッチブックを閉じたキョウに、ルーシェンがお茶を差し出した。
「お疲れ」
「おう、さんきゅ」
 キョウは素直にそのお茶を受け取った。メイイェンとメイウーもお茶とお菓子とを配って歩き、オケアノスのブリッジに緩やかな時間が流れ始めた。
 ピエタを部屋で寝かせてきたクリスもブリッジに戻ってきて、メイイェンが淹れたお茶を受け取った。フリスベルグでの偵察任務に出るまでには、お茶を飲むくらいの時間はある。

「これはまた、えらく良く描いてもらっちゃったなぁ」
 リョーコのスケッチブックを見ながら、クリスが感嘆する。
「モデルが良いからですよ。ありがとうございました」
 リョーコはそうニッコリ笑って応えるものだから、クリスも照れ笑いを隠さない。
「……てことは、リョーコの目にはキョウってあーゆー風に見えてるんだー」
「やだぁもう、そんなこと言わないでって」

 メイウーがからかうのに、リョーコはぶんぶんと手と顔を振った。ちらっとキョウの顔を伺うが、キョウもリョーコの方を向いてきて、目が合った瞬間、互いに顔を逸らしてしまった。
 少年と少女のあまりの微笑ましさについ声を漏らして笑ってしまったクリスだが、ふと、一人離れた位置でコンソールに向き合っているシズノの横顔が気になった。そのクリスの視線を追ったルーシェンが、シズノに声を掛けた。
「シズノ、お茶のお代わりはどうだい」
「ありがとう、今は良いわ」
 そう応えてコンソールに向き直るシズノを、今度はキョウの眼差しが追う。ふと振り向いたシズノと、二人の視線が絡み合った。

「やっぱイケメンは絵になるわー」
 思わずそう呟いて頬を緩ませてしまうリョーコは、今度はルーシェンをモデルにしてスケッチを描いていた。リョーコがオケアノスに来た初日にも嬉々としてデジカムを向けられていたルーシェンも、こうも褒められては悪い気はしないようで、涼やかな笑みを微かに緩ませて大人しくモデルを務めている。

 クリスとメイイェンはフリスベルグでの偵察に出向き、一人でリョーコの手元を覗いているメイウーに、イリエが声を掛けた。
「ご馳走様、美味しかったわ」
「中国茶も良いものだよね、また頼むよ」
 クロシオも一緒に茶碗を返しつつそう言うのに、メイウーは微笑んで茶碗を受け取った。リョーコのモデルを務めているから顔を動かせずに視線を返してきたルーシェンには、イリエが軽く手を振った。茶碗を片付けながらメイウーが口を開く。

「どういたしまして。今度はまたイリエさんのお茶が飲みたいな」
「あぁ、あれはまた飲んでみたいと思う味だったな。こちらこそ頼むよ」
 ルーシェンもそう言うのに、クロシオもいつになく和らいだ表情でイリエの顔を覗き込む。イリエは珍しくはにかんで答えた。
「ありがとう。またお茶菓子を見繕っておくわ」
「そっか、イリエ先輩、茶道部だから」
 手を休めてリョーコが言うと、メイウーが頷いた。

「日本茶も美味しいんだって、イリエさんのおかげで教わったのよね」
「ルーシェンや貴女達の中国茶だって大したものよ」
 お茶を話題に日中友好の花が咲いている。普段は特に意識していないが、幻体同士だから言葉の壁もない。
 確かに今のセレブラムの置かれている状況は厳しいのだけれど、それでもこうした仲間に出会えて良かった。そういうことが、リョーコにも分かってきたように思える。
 ちらっとキョウを伺うと、彼は真剣な目をしてスケッチブックに向かっている。誰をモデルに描いてるんだろう、そう気になったリョーコの隣で、メイウーがワゴンに手を掛けた。

「じゃ、片付けてくるわね」
 ルーシェンが顔を向けるのに、メイウーはウインクを返した。
「リョーコはまだ、描いてる途中よ」
「あぁ、すまないな、メイウー」
「良いわよ、ルーシェンはゆっくりしてて」
 他のクルーのお茶碗を回収するのにメイウーはワゴンを押して行ってしまい、ルーシェンは息をついてリョーコに向き直った。リョーコも頷いて、ルーシェンのスケッチを仕上げるべく鉛筆を走らせた。


「ありがとうルーシェンさん、おかげで華やかになりました。ほら」
 リョーコがスケッチブックを広げて見せるのに、ルーシェンも身を傾けて覗き込む。その表情が柔らかくなるのを見て、リョーコの笑みは輝きを増した。
「礼を言うのはこちらの方だろうな」
 そう答えるルーシェンにリョーコがぺこりと頭を下げると、ルーシェンは頷いた。じゃ、とだけ言ってルーシェンは席を立つと、ブリッジを出て行った。

 ふぅ、と息を付いたリョーコはスケッチブックを閉じると、くいっと頭を巡らせて、瞬きをした。ペンケースを閉じてスケッチブックと一緒に抱えると、ブリッジの上のフロアの司令席に向かう。
「すみません生徒会長、モデルになってもらえませんか?」
 顔を覗き込むリョーコにそう言われて、シマは指先で軽く眼鏡を直した。舞浜南高校でもオケアノスでも、シマを生徒会長、ミナトを副会長と呼ぶのはキョウの流儀だ。
 セレブラントになって間もないリョーコもそう呼ぶのは、仲の良いキョウにつられている部分もあるのだろう。

「別に、構わないが」
「ありがとうございます。お手間は取らせませんから」
 そう言いながらリョーコは、司令席の右脇のバーに軽く寄りかかって、スケッチブックを開いた。
 シマは司令席で姿勢を直したりして、ちらりとリョーコを伺ってみる。軽やかに鉛筆を走らせるリョーコは、的確な描線でシマの輪郭を紙の上に写し取っていった。

《ほぅ、これは確かに大したものですな》
 リョーコを後ろから覗く位置のレムレスが、感嘆した声を上げた。
《さっきからずっと話題ですものね、リョーコさんの絵》
 振り向いたフォセッタが笑顔を向けるのに、リョーコは笑みを返しつつも、ふとその手を止めた。
「やっぱ、ここで描いてるのって、迷惑でしたよね。ごめんなさい」
「いや、構わないから続けてくれたまえ」
 シマがそう答えるのに、リョーコははい、と答えて続きを描き始めた。シマがちらりと傍らのミナトに視線を向けると、ミナトは小さく頷き、手元のキーボードに指を走らせる。

《ねぇリョーコ、私達は描いてくれないの?》
 ついそう話し掛けたリチェルカに、リョーコがふと困った顔をした。リチェルカ達はこのオケアノスに搭載されている支援用AIだ。量子データを立体映像として投影される幻体とは異なり、AIのプログラムはプレート状の平面に投影されて幻体とは明確に区別されている。
《平面なんだから、描き易いと思うんだけどなぁ》
 そんなことを言うリチェルカに、タルボが反論をする。
《立体的な陰影を投影した平面だから、角度によっては逆に難しいんじゃないのか?》
 そのやり取りにあははっ、と苦笑いしたリョーコは、両手を合わせた。

「あーごめんねミーちゃん。生徒会長の次は副会長にお願いしようと思ってるから、そこで人物五枚は終わっちゃうの」
《私達は人物ではなくて寧ろ静物かも知れませんね》
 ディータがそうまぜ返すのに、シマが振り向かずに答えた。
「素直に、描いて欲しいと言ったらどうだ」
《そんなつもりでは……》
 言葉に窮したディータに、フォセッタが助け舟を出した。
《またお願いしますね、リョーコさん》
「うん、また今度ね」
 リョーコはAI達をぐるっと眺めて頷くと、改めてシマを見て、スケッチを仕上げに掛かった。




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