「やってしまえばこれだけなのにね」
ナナは大きく息をつくと、手帳に予定を書き込んだ。
「仕事でずっと留守にしてたら、予約どころか検診があることすら忘れても仕方ないわよね」
ファはそのまま画面を切り替えて、検診予約の受理状況を確認している。ナナの予約した枠は丁度一杯になったらしく、リストが全部埋まっていた。ナナはその画面をちらりと見ただけで目を逸らした。
「それって……公開されてる予約画面じゃないわよね」
個人情報満載のリストである。外部からの参照はできないはずだった。
「これは非公開の内部資料の方よ。」
「外からログインできるようにしてあるの?」
「普通はしてないと思うけど……」
ファは一通り目を通して接続を切ったらしい。応える声音がどこかくぐもっているのが彼女なりの美徳だろうか。
「同居人が主任さんじゃあね。見えないものなんてなさそーだし。」
ナナの指摘は図星だったらしい、ファが両手を軽く合わせた。
「ちゃんと自分のユーザーで入ってるから大丈夫。大切な情報は絶対外に出してませんって、繋いだのは彼なんだから」
「ま、ファの言うことなんだから信用はしてるけど」
「『家に仕事を持ち込むなよ』ってカミーユは言うんだけどね、そうもいかない時期があったから。上には一応話通してあるのよ。」
「なら全然良いんじゃない」
ナナの表情が柔らかくなったのでファも一息ついたのもつかの間、またナナが眉根を寄せる。
「──と思ったけど聞き捨てならないわね。ひとにそういう事言っておいて、自分の仕事は自宅でやってるっていうのは何様なのよ?」
ファはやっぱりね、と思う。カミーユを天敵だと思っているナナは、何か文句をつけなければ気がすまないらしい。
「だって出社していれば片付くって仕事じゃないんだもの。要は成果を出せば良いっていうんだし。家に居れば家の事してくれるからわたしは助かるんだけど、出掛けてしまうと数日帰ってこないこともあるのよ。テオはそんなことないんでしょ」
自分の連れ合いのことを指摘されれば、相手のことも指摘してやりたくなるものである。ナナはぽりぽりと頬をかいた。
「まぁ……医者と研究者と半々だしね彼の場合。寧ろあたしの方が家を空けちゃってるかなぁ。書いてる時は家から出ないし。」
「じゃ、ナナの方がカミーユに似てるんじゃない」
そう言って笑い出すファに、ナナは頬を赤くした。
「ちょっと……その言い方だけはやめてよね!」
「分かったわよ。」
そう答えながらも、まだくすくす笑っているファに、ナナは頬を膨らませた。
「あなたたちってほんっとにお似合いだと思うわ。」
「そう? ありがとう。」
「そーゆーとこまで含めて、連れ合いって似るものなのね」
『え?』と表情に疑問符を浮かべるファをよそに、ナナはジャスミンティに口をつけた。
「でもね、さっきの話じゃないんだけど」
ティーカップをソーサーに置く微かな音を待って、ナナは言葉を継いだ。
「久し振りに会ってみて、思ったんだけど。彼本当に──見えないもの、ないんじゃないかって思えて。いや別にネットがどうのってことじゃなくって、何と言うのか……」
ファはまばたきも忘れて、うつむき加減のナナの言葉を待った。
「凄く遠い目をすることあるじゃない。何も見ていないようでいて、その実、この世ならざるものまで見えているんじゃないかって思うような。」
ちら、と上目遣いにナナがファの表情を伺うと、彼女はどこかほっとしたような、それでいて何かを諦めたような不思議な面持ちをしていた。
「多分ナナの言うとおりね。全てが見えてしまっているのよ──カミーユには」
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