香りの良い赤いお茶を飲みながら、ちらと顔をあげる。まずい話をしてしまったかな……とは思うが、してしまったものは仕方ない。
「悪かった……わね。」
「何が?」
『やだなぁ、そんな目で見ないでよ。』
お茶に視線を戻して、言葉を繋ぐ。
「気を悪くさせたみたいで、」
「いや……」
その沈黙が、悪いんだってば。と心中でつぶやいて、ついと顔を背けた視界の端、彼の瞳が微笑んだように見える。ナナよりもずっと遠くを見据えているような瞳は何処までも青く――
「グラスの水は涙の比喩、あれを通して見える青が、見る人の記憶にある青に重なるように描かれているのさ」
「――そういうことなのかしら。」
ナナはようやく言葉を繋いだ。カミーユの瞳から目を離せないままで。
「多分、」
言って、彼はグラスを弄んだ。
記憶にある青は限りなく続く。闇に似たその青い海、光に似たその青い空――あの水に映った青はそんな色をしていた。
「御免、待たせたね。おや珍しい」
やはり踊り場から二人を認めたテオ・ランツフートがテーブルに近づいた。ナナの待ち人はやはり彼だったようだ。
「遅い!」
「そうでもないさ、たまたま君達と会わなかっただけだろ」
口々に応える。
「だから御免って。――ま、そうかもな。ほら君の待ち人」
テオが愛想笑いでナナに謝りがてらカミーユに応える側から、やや遅れて来た人影がひょこっと顔を出す。
「お待たせ。そこでテオに会ったの。」
「そうかい、」
そっけなく応えてショコラオレンジを飲み干す。次いで席を立とうとするのを、テオが引き止めた。
「もう少し良いじゃないか、――さ、どうぞ」
言いながらファに席を勧めるのだからカミーユも折れた。テオにかかると形無しだ。
「わかったよ、」
「その代わりおごるよ。」
テオはウィンクをしてみせた。
「で、試験はどうだったんだ?」
カミーユが聞くのは、テオの受けた医学部への転部試験のことだ。学年末試験の後で実施されたから、そろそろ結果が出た頃だ。理学部宇宙学総合科の同級生が一人減るか否かの問題なのである。
「受かったよ。これで君ともお別れだ」
テオの茶化した言葉の後半は聞き流したことにする。医学部へ移ると言っても、どうせ同じキャンパスじゃないか。
「おめでとう。それはよかった。――これでナナに悩むこともなくなる訳だ」
「どーゆー意味よ。」
ナナがむくれる。
「テオがいないのに引っ掻きまわしにくる理由があるのかい?」
「あなたがいれば十分よ」
とたん、テオが吹き出した。
「言われてる言われてる!」
にらみ合った姿勢になりながら、その破顔に気を削がれて、ナナとカミーユは苦笑せざるを得なかった。
「でも凄いわね、医学部への転部だなんて。」
ファは市立大の事情など知ったことではないから、テオの話に戻した。
「ありがとう。でもご同輩は居るものだし、それに僕の場合昔取った杵柄って奴だから」
「そういやそんな話も聞いたな、」
カミーユが軽く頬杖をつく。
テオは、元々聖ジュリヤン医科大に入学していたのに、三日で医科大が厭になって翌年市立大理学部に入り直したという変わりだねである。何故かカミーユとはウマが合うらしくて付き合いもあったのだが、彼の幼馴染みであるナナが理学部宇宙学総合科へ遊びにくる度にカミーユにちょっかいを出すものだから、カミーユにはいい迷惑だったのだ。ただ、その煩さ加減が、グリーンオアシスに居た頃のファ・ユイリィを思い出させるのは悪くないとも思っていたのだが……。
自分と同じ医療の道に戻って来た格好のテオに、ファは肩入れしたくなった。尤も、彼女が目指しているのは看護士だからテオとは少々違うが、理学部と文学部程の違いはない。
「市立大にも良い先生はたくさんいらっしゃるから、テオなら素晴らしいドクターになれるわね。頑張ってね」
テオはファに心底嬉しそうに笑みを向けて、
「ありがとう、そう言ってくれるのは君だけだよ」
「何時の間にやら仲のおよろしいこと。」
ナナがどうも面白くなさそうにつぶやいたのへテオが軽く睨んだところに、ウェイターがやってきた。
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