Camille Laboratory Top機動戦士Ζガンダム>創作小説>眠らぬ夜の海で

「起きたついでに何か食べておくといい、もう随分食事を取っていないのだろう?」
「ですけど……」
 口では言いよどむカミーユだったが、体は再び空腹を訴える。観念してお腹を押さえながら立ち上がると、クワトロが先に立って室外へ出て、カミーユの方を振り返った。
「君を放っておいたつもりではなかったんだがな。お詫びに付き合うとしよう」
 一人で良いですよ。そう思ってもまだ一人で食堂へ辿り着く自信もない。カミーユは大人しくクワトロの後について、食堂へ向かうことにした。

 標準時では深夜の時間帯にあたり、食堂には殆ど人影はなかった。クワトロがオーダーしてくれた食事をカウンターで受け取ったカミーユは、一瞥して小声で言った。
「少し多くありませんか?」
「そのくらい入るだろう」
 飲み物を手に先に歩くクワトロの言葉はにべもない。ずっと相手のペースに飲まれたまま、カミーユはクワトロの向かい側の席について食事に口を付けた。温かなスープが心地よく身に沁みていく感じに、ふと母の作ってくれたスープのことを思い出した。その母が最後にどんな姿を自分に見せたのか、思い出したくもない光景が脳裏を掠める。カップを手に一瞬動きを止めたカミーユを、彼に向き合ったクワトロは黙って見ていた。カミーユはスープをごくりと飲み干してしまうと、その感傷を払って、食事に没頭することにした。クワトロもそんなカミーユには話し掛けずに、静かに見守ってくれていた。

 気が付けば、カミーユはトレイに盛られた食事をすっかり平らげてしまっていた。しっかり食べたという満足感はあるが、満腹で動けないというほどではない。そのあたりは、さすがにきちんと計算されたメニューであるようだった。
「よく食べたじゃないか」
「……親は死んでも、腹は減るものなんですね」
 そんなことを言うカミーユに向けるクワトロの眼差しは、相変わらずサングラスに隠れて見えはしない。だが、それが何故か優しいものだとカミーユには感じられた。
「そういうものさ」
 口調は相変わらず、素っ気無いのだけれど。

「大尉は、ずっと軍人なんですよね」
 急に話題を変えてそう問うカミーユに、クワトロは言葉では答えない。だが、カミーユを促す表情は無言の肯定を示していた。
「知っている人間が死んで、それでも自分はものを食べて生きていくっていうのを、ずっと繰り返しているんですよね」
「戦場に感傷は必要ないものだからな」
「それが軍人なんでしょう、僕にはとてもなれそうにありません」
 こんな経験を繰り返してまで生きていくのか。でも、だからといってまだ死にたくはない。それが今のカミーユにとっては率直な感情だった。
「肉親はまた別さ。たとえ親というものが、自分より長く生きているから、自分より先に死ぬものだと分かっていたとしても、その死を受け入れるには時間が掛かる」
「そういうものかも知れませんけど、」
 そう突き返すカミーユの言葉の端には不満が見て取れる。クワトロの言葉はある面でカミーユの意を汲むようではあるが、一般論など聞かされたくはないのだ。自分の体験は特別なものだと言いたいようだった。
「親を殺された子供など、いくらでもいるさ」
 自分の心中を見透かしたようなクワトロの言葉に、カミーユの眉間が険しくなる。それを認めたクワトロの唇の端がわずかに上がった。
「もし君が特別な存在だとしたら、それは君には力があるということだ」
「……どういうことです?」
 一体この人は何を言おうとしているのか。カミーユは黒いサングラスに隠された瞳の色を見抜こうとするかのようにクワトロの顔を注視して、彼の言葉を待った。

「簡単なことさ。力があればこそ、君もあそこで一緒に死んでしまわずに済んだ。あの戦場で生き延びられたのだから、その力は有効に使うがいい」
「そんなの、運が良かっただけですよ」
 そう答えるクワトロから顔を逸らして、カミーユは低く呟いた。
「運も実力のうちだと言うじゃないか」
「大尉は、案外俗っぽい言い方をするんですね」
 そんなことを言い返すカミーユに、クワトロは破顔した。少年のこれからの話をしようとしていたはずなのに、どうも調子が狂う。
「俗人には違いないさ。しかし君よりは長く生きているからな、君が単に運だけで生き延びた訳ではないことくらいは分かる」
「僕に、どうしろっていうんです」
「それは君が決めればいい。力を持たない者は力を得ようとして足掻くしかない。そうしているうちに、見えるものも見えなくなる。でも、君はそんな風に足掻かなくても良いのだから、目を見開いて見るべきものを見ればいい」
 何故この人はこんなことを自分に言い聞かせるのだろう。カミーユはクワトロに言われたことよりも、彼の言葉の裏に隠された真意を知りたいと思った。なのに、口をついて出たのはこんな言葉だった。
「今の僕には、この艦がどこに向かっているのかも分からないんですよ。貴方の瞳の色さえ見えはしない、見ようとしたって――」
 言葉を詰まらせたカミーユに、クワトロが訝しげに問うた。
「どうした?」
「何でもありません」
 何故だろう。拘束されていた時、取調室の床下に見えた宇宙……その中で、一際輝いたあの星の色に似ている。そんなことを思った。クワトロのサングラスの黒い色は、相変わらずそこにあるというのに。


back ◆ 2/3 ◆nextTop機動戦士Ζガンダム