「まぁ……ね。」
思わせぶりな口調に訝ってみる。
「何なのさ?」
「じきに分かるよ。もうすぐ、風が吹くから」
そのカミーユの言葉通りに、夜桜の群を風が吹き抜けた。
「うわぁ……」
暗い背景を埋め尽くすかのように一面に舞う花びらに、ジュドーは思わず声をあげた。さぁっと吹き抜ける風に乗って、暗い空に映える無数の淡い色の流れが続いていた。カミーユの着ていたコートの裾も風にあおられて、その流れに溶け込むようにさえ見えた。
「花吹雪だよ。桜は淡い色の花だから、余計雪みたいに見えるから言うんだろうけどね」
「雪なんて、俺見たこと――」
ないや、と続けようとしたジュドーは、微かに目をしばたいた。
そこに見えるものは、どう見ても花ではなく雪なのだった。
それを雪だと判断したのは、どう考えてもカミーユの方だった。
実像の花吹雪に、彼の記憶にある吹雪が重なっているのだろうか。
すぐ隣に居るはずなのにどこか遠くなる彼を追って、ジュドーはカミーユの記憶の中へ迷い込んでいった。
夜のキリマンジャロ山。
吹雪の中、ただ一つの想いを胸に駆け抜けたこと。
雪の中に、消えていった涙のこと。
白い山に、赤と黒の色彩の鮮烈な記憶。
「知っていたような気もするけど、改めて触れると……辛いね。」
ジュドーの優しい声とてのひらのぬくもりが、カミーユにはとてもあたたかく感じられた。
「もう、忘れてもいい頃なんだろうにね。」
「そんな、簡単に忘れられるものじゃないだろ」
これではどちらの記憶の話なのか分からない。カミーユはほんの一瞬、微かに笑った。
「そりゃそうだよ。でも、もう決着はついているんだからさ、始終頭にある訳じゃない。ただね、この街では雪なんてそう降らないんだけど、花吹雪は見られるからね。」
花吹雪に重なる、あの日の雪の記憶。
「思い出しちゃうんだ。」
「この季節くらいはね。」
ジュドーはふと桜の樹の下にあるもののことを思い出した。ジュドーをからかって笑い話にしながらも、カミーユの瞳にはどこか真摯な光があった。
もう居ないひとに馳せる想いと、死してなおそこにとどまる想いが、この桜にこの世のものと思えない美しさを与えているのかも知れない。
かけがえのないひとに想いを寄せるには、最高の舞台装置とも思えた。
「……ファさん、連れてこられない訳だ。」
「さすがにね。」
想いを寄せる対象が女性とあっては、どうにも彼女を連れては来られない。
「俺なら良いんだ。」
ジュドーは敢えて疑問文にしなかった。自分はこの場に居ることを許されている、その確証があったからだ。その部分は言外で肯定してみせて、カミーユは言葉で付け加えた。
「君なら、事情を話す手間も省けるしさ。あれは恋愛とは違うんだって、言葉では説明しきれないよ。」
それでも、あの吹雪の中で抱いた思いは、とても熱いものだった。
痛みさえ覚えるような感情の嵐は、吹雪に負けないくらい強いものだった。
それを恋愛とは違うのだと説明しても、ファは言葉で理解しこそすれ、感情では納得はしてくれないだろう。今、カミーユが一番傷つけたくないと思っているのがファだからこそ、話すことができないでいた。
|
|