「ヒカルおじさぁん!」
「お兄ちゃんと呼べよ、カミーユ。じゃないと乗せてやんないぞ」
「うん、ヒカルお兄ちゃん。早く乗せて」
「とかなんとか言って、もう乗ってるじゃないか」
コックピットに体ごと顔を隠したカミーユを睨み付ける真似をして、ヒカルは態勢を整えてやった。狭いコックピットとはいえ、幼い子供の体はあまりにも小さいのだ。
「シートベルト、きつくないな? ……よし、怖くったって力を入れるんじゃないぞ。お兄ちゃんが空へ連れてってやるんだからな」
「うん。」
はしゃいでいたのが嘘のように神妙にうなづくカミーユに笑ってみせて、ヒカルは複座式のコックピットの後部に収まった。コントロールへの無線を開く。
「ゼピュロスだ。何時でもいいぞ」
『風はOKよ。──どうぞ!』
「よし。行くぞ、いいな、カミーユ」
「うんっ」
「しばらく喋るなよ、舌を噛むからな」
その言葉が終わるか終わらないかの内に、機体は地を滑りはじめた。
(空を飛ぶってどんな気分なんだろう……?)
ここ数日のカミーユの頭を占領している疑問が今明かされようとしていた。うっとりとしていたカミーユには、だから、次の瞬闇襲いかかったGが、予期せぬものとして映るしかなかった。
(えっ……?)
空へ向かう心を抑えつけるように、地に向かう方向へ体がシートに押さえつけられてゆく……
(こんな苦しい思いをしなくちゃいけないの?)
思わず、カミーユは目を閉じようとした。それを読んでいたかのように、後部からヒカルの声がした。
「カミーユ、前を見てごらん」
疑問符を打ち砕くように、眼前には何処までも青く広い空があって、カミーユを迎えていた。それを目にしたとき、機体を包んでいた轟音と共にGも消え失せて、やわらかな静けさと心地よい浮遊感とか取って代わった。
「わぁ……」
地図でしか知らない風景が足元に見える。前を向けば相変わらず優しい空があって、上の方からはやわらかくなってきた秋の日差しが白いグライダーを照らしていた。
(鳥になってるんだ、僕は……)
ヒカルは機首を巡らせて、緩やかに旋回を始めさせた。それは見えない風の滑り台を下りてゆくようで、カミーユは言葉を継ぐのも忘れてしまった。
……どれほど滞空していたのか分からない。そんなに長い時間ではないだろう。でもカミーユにはかけがえのない初めての空だった。
「さ、着いたよ。──怖かったか? そうでもなさそうだな」
シートベルトを外してやっても、カミーユはなかなかコックピットから出ようとしなかった。気持ちは分かるが、そういう訳にもいかない。
「また乗せてやるからさ」
その言葉にようやく顔を上げて、訝しげに問う。
「本当?」
「本当さ。お父さんに連れてきて貰いな」
小さな体を抱き上げて地に下ろしてやると、その屈んだ顔にキスをして、未来のパイロットは敬礼の真似までしてみせた。
「本当だよ、ヒカルお兄ちゃん。今日はありがとう!」
千切れんばかりに手を振って、小さな体が心配顔の母親の元に駆けていくのを見送って、ヒカルはため息を漏らした。操縦には絶対の自信があったが、フランクリン技術少尉の息子の幼さを考えると、母親でなくても心配な点が多すぎたのだ。それに、少尉の方は過ぎるのではないかと思うくらい気さくなところがあるのだが、奥さんときたらかなりの心配性なのだ。だから初めはこの話は断るつもりでいたのだが、話が持ちかけられたパーティに同席していた当のカミーユの瞳の聡明さに、この子には空を教えてやりたいという気分にさせられてしまったのだ。
「すまなかったな、ヒカル。カミーユも喜んでいるようだ。私からも礼を言うよ」
差し出ざれた手を握り返して、ヒカルはあの子の父親に向き直った。
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