「どうせ、夏休みだからって何もしないんでしょ?」
自分で言ったばかりの事を持ち出されては仕方ない。カミーユはちぇ、と舌を打ちつつも応えてやった。
「そりゃ……分かったよ、付き合えば良いんだろう」
「じゃ決まりね。今週の日曜日で良い?土曜日は飛んでるんでしょ」
ファが確認したのは、カミーユが最近始めたホモアビスのことである。彼はまだ飛び始めたばかりなので、インストラクターの指導が受けられる土曜日は必ず大きな荷物を抱えて出かけるのを、ファは知っていた。
「そのつもりだけど。じゃ日曜日、ね。」
結局ファに乗せられて、カミーユはファの一家と連れ立ってクジラを見に行くことになってしまったのである。
「大きい……」
水槽――と言っても、シリンダーのほぼ全域を占めて、あのクジラがそれなりに泳げるような大きさだが――を見下ろす位置で、カミーユは感嘆の声をあげていた。ファはさっきからはしゃいでばかりいる。
「凄ぉい、あんなに大きいのにほら、また跳ねた!」
「博物館で骨格標本は見たことがあったんだけど、生きてるのって確かに凄いや」
そんなことを言うカミーユに、ファの父がうなづきながら応えた。
「標本だと、生きているものの重さまでは実感できないだろうね」
「えぇ。僕が住んでいたニホンは捕鯨国家だったそうですから、標本は見られたのですけど、近海からは居なくなってしまいましたからね」
だから、こうして宇宙に浮かぶ歪な入れ物の中で飼われているクジラを見ると、人間の犯した罪の重さというものをどうしても考えてしまうのである。考え込んだ風のカミーユの手を、ファが取った。
「ね、下へ行ってみない? 水槽の中が見えるって」
「分かったから手を離せって、」
ファの両親に届かないような声で、カミーユは言ってやった。
「これは凄いや、」
水槽の側面に設けられたスペースから、水槽の中を泳ぐクジラが見える。まるで海の中に居るような錯覚さえ起こさせるような一面の青の中、その巨体の動きは優美ですらあった。クジラは百年単位でものを考えるというが、このクジラ達は突然宇宙に連れて来られて何を考えているのだろう?そんな事を考えていた時に、その歌は聞こえてきた。
『帰りたい……?』
「どうしたのよ?」
そう問い掛けるファの声は、まるで違う世界から降ってきたもののようにカミーユには聞こえた。しかしその声を聞いて初めて、カミーユは自分が何かに心を奪われたかのように、水槽を見つめて動かないでいたことが知れた。彼は目を瞬いてみせてしばらく考え込むと、確かめるように声を落として尋ねた。
「今、クジラが歌わなかった?」
「今見てるのってシロナガスクジラよ?歌うクジラって普通はザトウクジラじゃない? 確かシロナガスクジラって海鳴りのような声で鳴くのよね、でもそんなの聞こえなかったわよ」
ファは怪訝そうに首を傾げて、手元のパンフレットを繰りながら応えた。カミーユはかぶりを振った。
「そんなことどうだって良いじゃないか、」
「ねぇ、一体どうしたのよ」
ファはカミーユの気分がまるで分からないのだろうか。同じ事を何度も言うのは嫌なのだけれど、ここでもう一度言わなければ彼女は追求を止めないだろう。
「だから、クジラが歌ったんだって。帰りたいって」
「え……?」
そう、確かに俺は聞いたんだ。何処へ帰るのか、それはきっと……
「そりゃそうだよな。こんな作り物の海じゃなくて、本物の海に帰りたいとは思うさ、俺だって」
「カミーユ?」
ファはじっとカミーユの顔を覗き込んでいる。別にそんな彼女から目を背けた訳ではないのだけれど、カミーユは黙って水槽を見つめていた。
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