ここで三人目がこける──やっぱりな。
体育館の舞台の上で起きることを眺めているキョウの記憶はところどころ曖昧だが、以前と同じことをしているのだというのは分かる。自分が酷く冷めているのが分かって、キョウは妙な居心地の悪さを感じていた。
リセット前に届いた、前の自分の日記からすれば、キョウはセレブラントになってから六回以上この新入生歓迎会を経験しているはずだ。前回のことくらい覚えていてもいいだろうに、その記憶が鮮明でないのは、例のウェットダメージのせいなのだろうか。
各部活の紹介が終わろうとする頃、キョウの心中に浮かんでくる思惑があった。
──ここで、手を上げなければならないような気がする。
「以上で部活の紹介を終わります」
ミナトがそう言うと、キョウはすっくと手を上げた。
「しつもーん!」
「はい、今マイク回しますね」
こんな場面で一人手を上げた赤い髪の少年を巡って生徒達がざわめく中、ミナトはクロシオに向かって頷いた。クロシオはマイクを持って一年D組の列までやってきた。
クロシオ先輩、と小声で呟くキョウに、クロシオは目配せをしてマイクを渡した。
きっとこれは、世界の記述通りのことなのだろう。セレブラントであれば誰でも知っている、いつも通りの出来事。
だとしたらキョウも、台本通りに自分の役割を演じるしかないのだろうか。だが、どう演じるかは役者次第だ。キョウは息を付くと、マイクを握って決まり文句を口にした。
「水泳部ってないんっすか?」
そのキョウの問いに、静まっていた生徒達が再びざわめき始める。キョウは舞台の上の生徒会の面々を眺めつつ、自分に突き刺さってくる視線を感じていた。ちらりとその方を見遣れば、案の定カワグチがこちらを睨んできている。
同じなのだ、何もかも。
リセットされて、ループする世界。一日目は、仲直りしたばかりの友人達がまた険悪な空気を纏っているのに気付いたものの、入学式の後はあまりにも色々なことがありすぎて、それどころではなくなっていた。そして二日目の今日になって、キョウはその事実を更に痛感することになった。
舞台の上ではシマがマイクを手に、フロアに居るキョウに笑顔を向けた。シマも事の次第は全部分かっているはずなのに、あくまで新入生を歓迎する生徒会長の顔をして、温和な口振りで答えるのが小憎らしい。
「水泳部は廃部になるんだよ、残念だったね」
「あんなプールがあんのに? ありえねぇよ」
「こんなに海のそばなのに、ヨット部だってないしね」
確かにシマの言うように、舞浜南高校のすぐ近くにはマリーナがあるが、プールは校内の施設だ。
「関係ねーだろ、そんなの」
シマの屁理屈にキョウの苛々した声が飛んだ。何だかここの所ずっと、シマとやりあってばかりだ。そんな気分がつい馴れ合った口調に滲んでしまう。だが傍から見れば、三年生の生徒会長を相手にタメ口を利く新入生という構図だ。フロアで一人マイクを手に立っているキョウは、かなり目立ってしまっていた。
「肝心の水泳部員が居ないのだから仕方ないだろう、君が集めるというのならともかくね。なぁミナト君?」
シマはそう答えて、隣のミナトに顔を向けた。
「えぇ。この際ですから、説明しておきます。本校の規定では、五人以上で部活として認められます。規定人数に達しない場合は廃部となりますので、そのつもりで」
「五人集めれば、認められるんだな」
そのことは経験済みだから、キョウにはもう分かっていた。たとえ五人集めたとしても、サーバーがリセットされてしまえばまたやり直しになることも。だがここで声を上げなければ、友人達との仲直りもありえないということも。その想いにキョウが口を結んだとき、床をがたんと蹴るように立った人影があった。
「やれるもんならやってみろ! お前には無理だろうけどな」
「カワグチ」
中学時代の水泳部の仲間が口にしたのは、残酷なまでに以前と同じ辛辣な言葉。
キョウは彼の名を呟く以上に、何も言うことはできなかった。
「てめぇなんかと一緒に泳ぐような物好きが、どこに居るってんだよ!」
そう言うお前が居るじゃないか。キョウはカワグチにそう言い返してやりたかった。でもただ黙って、言葉のつぶてを受け止めるしかなかった。
生徒達のざわめきには険悪な空気さえ漂い始めた。あぁ、あの子が。などという囁き声がキョウの耳にも届く。中学の県大会での暴力事件のことは、この高校にも伝わっている。キョウがその当事者であると知れ渡ってしまったのだ。
他のクラスを伺えば、ハヤセやウシオもそれぞれに冷たい目を向けてきているのが、キョウには分かっていても胸が痛んだ。舞台の上では、ミナトがマイクを使ってフロアの生徒達に呼びかけた。
「静かに! 他に質問がなければ、これで新入生歓迎会を終わります」
後ろの方に座っていた上級生から先に体育館を後にして、遅れて一年生が腰を上げた。キョウは俯いたまま立ち上がっていたが、隣に居たクラスメイトに声を掛けられてようやく歩き始めた。出席番号でキョウとは少し間のあいたトミガイが小走りで彼に追いついてきた。
「ソゴル君」
それだけを口にしたトミガイが心配そうに見上げてくる。いつも通りの見慣れた、トミガイらしい表情だ。キョウはふと目蓋を伏せると、苦味を交えた微笑を返してみせた。
「何ともねぇよ」
そう、これはどうということはない、いつも通りのこと。カワグチ達とは喧嘩をやり直して、また仲直りをすればいい。それだけのことだ。
キョウは顔を上げて、クラスメイトと並んで教室へと戻った。
放課後の生徒会室で、キョウは窓際に立っていつも通りの校庭を眺めていた。椅子に掛けて書類を見ているシマ以外の他の役員は姿を見せず、室内には二人きりだった。沈黙を破ったキョウの声は、体育館での声とはまるで違った、不思議な落ち着きを纏っていた。
「なぁ生徒会長。オレ達、毎回こんなこと繰り返してたのか?」
「概ねそういうことだな。君が質問を変えてきたり、欠席したりもしたが」
やはり静かな声音のシマの言葉に、キョウはふと瞬いた。
「欠席って、オレが?」
「そういうこともあったのさ。だが細かいことは変わっても、大筋では同じ一学期を繰り返していた」
「分かってやってたんだよな、前のオレは」
キョウにはその記憶はないも同然だった。以前キョウに何があったのかを覚えているのは、寧ろシマの方だった。
「そうだな」
シマが返した声は、柔らかかった。
「同じことを繰り返すのに、何の意味があるんだ」
「全く同じことなら、意味はないかもしれないな。だが少なくとも今の君は、前の君とは違う」
キョウはそのシマの言葉には、口をつぐんで答えなかった。
キョウがはっきりと覚えているのは、リブートされた後の、前回のループの後半以降だけだ。だがその日々には、それ以前にはなかったはずの出来事が連なっている。それは確かなことだった。
シマはふと眼鏡を外すと、手にした眼鏡越しに机に目を落とすようにしてキョウから視線を逸らした。
「或いは今の君は、前の君が望んだ姿なのかもしれない」
「何だよ、それ」
明るい窓を背にしたキョウは、微かに目を丸くしている。その姿を見遣って、シマは薄く笑った。
──姿形は、同じはずなのだがな。
前のキョウがあのような形で自爆を選んだのは、彼が抱えてしまったものの重さに潰されたからだ。シマはそう判断していた。
だが彼は、リブートされると分かっていて、自分にリセットを掛けたのだとしたら。今となってはそれは、彼が望んだ自分を手に入れるための行為だったとも思えるのだ。
「いいさ、君は君だ。失礼するよ」
眼鏡を掛けなおしてそう言うと、シマは書類を手に生徒会室を出て行った。
キョウは生徒会室に一人残ったまま、シマの言葉の意味を考えていた。
シズノが舞浜に来たことも、リョーコが目覚めてしまったことも、自分が望んだことだというのだろうか。リョーコがあのような状態になり、そして学校にシズノが居ないことさえも。そんなことが、ありえるのだろうか。
『寧ろ今の君には好都合ではないのか』
朝方の、シマの言葉が耳元に甦る。
眼鏡の奥から見据えてきたのは、シズノと同じ菫色の瞳。シマはキョウ達三人のことを何だと思っているのだろうか。リョーコの訓練にキョウを組ませたシマの判断は、司令としては当然のものだろう。その後ウィザードをリョーコに代わってくれと、シズノに申し入れたのはキョウ自身だ。──だとしても。
「そんなんじゃねぇよ」
キョウは一人呟いて、窓ガラス越しに空を見上げた。
そういえばプールでシズノに出会った日も、姿を消した彼女を探し続けていた。今の状況が、ある意味あの時の繰り返しなら、必ずシズノの姿を捉えられるはずだ。
「オレが望むのなら、か」
キョウは昨日シマに言われたことを思い出した。
シズノもリョーコも居ないのでは、前回のように水泳部のPRビデオを撮るなどということはできないし、五人目の部員にシズノを当てにすることもできない。今回の一学期が、前回と同じものになるかどうかは分からない。まるで違うものになるのかもしれない。
キョウは目蓋を伏せると、胸元に拳を当てた。
たとえこの先どうなろうと、その世界の姿を決めるのは、自分の想い、それ次第だ。
「やってみるさ」
目を見開いて、そう声に出して口にして、キョウは生徒会室を後にした。
(0808.17)
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