Camille Laboratory : ZEGAPAIN Topゼーガペイン>創作小説>summer tea ceremony 夏の茶会

 作法室に戻ったシズノは、一人窓際に立っているシマに声を掛けた。既に用具は片付けられていて、イリエとミナトが着替えている間、クロシオが箒で畳を掃いていた。
「ミナトが、休んでいろというのでな」
 そんな風に言うシマに、シズノは心配そうな眼差しを向けた。
「どうなの、具合は」
「調子に乗りすぎたと思いたくはないが、主治医を訪ねるべきかな」
 シマが声を潜めるのに、シズノは小声で答えた。
「そうね。手配をしておくわ」
「頼む」
 シズノはシマに頷くと、その場から光となって消えた。


 量子状態をある地点から別の地点へそのまま移動させるのが量子テレポートであり、幻体を構成する量子データも基本的にはそのままの状態が転送される。
 転送前の状態にエラーが含まれている場合、自己修復が可能なものについてはレプリケーション・チェックの際にエラー訂正が施される。多少の傷──ドライダメージなら、転送時に修復してしまうのが普通だ。
 そうしたエラー訂正が効かないのは心に受けた傷。ウェットダメージは、そう簡単には治るものではない。傷が深く修復しきれない場合には、記憶喪失や人格の変貌として表面化することさえある。

 キョウが昨日にカワグチに殴られた傷は、昨日の出撃時のレプリケーション・チェックで自己修復されていた。だから舞浜に戻ったキョウの腕は痛むことはなかった。
 だが、幻体である自分の体の傷がそんな風に修復されてしまうということにキョウが思い至らないでいるのは、彼のウェットダメージが深く、リブート前にセレブラントとして経験した日々の記憶を殆ど失っているからだ。

 一方シマは、キョウのような通常の幻体とは異なる存在だった。幻体クローンである彼のデータは、通常のレプリケーション・チェックでは修復しきれないエラーが蓄積されていくので、現実世界の舞浜サーバーにある調整システムに掛けることで正常な状態に復旧する必要があった。作法室でシマが主治医と呼んだのはそのことを指している。
 昨日の腕相撲も何らかのエラーを引き起こしたのかも知れないが、ともかくそろそろ調整が必要な時期と思われた。シズノはその手配をするのに、一足先にオケアノスに戻ったのだった。オケアノス司令のシマの具合が悪いとあっては、セレブラム全体に影響が出かねない。今の状況で、それは決して許容されるものではなかった。


 つい二日前に、キョウに現実世界の舞浜サーバーを見せたばかりで、オケアノスが舞浜からそう離れていなかったのは好都合だった。とりあえず今できる手続きだけ済ませたシズノは、舞浜サーバー内に戻ってきた。
 神社や寺院のある通りは、舞浜でも古い町並みの残る一角だ。日が落ちて夜の帳が下りる中、シズノはお目当ての『つるや』と書かれた看板を見つけると、閉店間際だというのに店の引き戸に手を掛けた。昔ながらのガラス戸が、ガラガラっと重い音を立てた。
「こんばんは。若鮎って、あります?」

 何とか残っていた若鮎を手に入れて、シズノは近くの公園のベンチに座った。いつもの猫が、にゃあと声を上げて近寄ってくる。
「おなかすいた? でもこれはお菓子のお魚だからダメよ」

 猫にそう言ったシズノは、焼いた生地に顔の焼印を入れて鮎を模した和菓子を口にした。生地はしっとりとしていて香ばしく、求肥の控えめな甘さと冷ややかさが心地良い。白餡にはほのかに柚子の香りが含ませてあって、お茶会での水饅頭とは違った夏らしい美味と思えた。

 舞浜に来られて良かった。シズノは、そう思った。
 美味しいお菓子に出会えた。それは本当にささやかな楽しみでしかないのだけれど、人として生きる喜びの一つには違いない。彼はこんな幸せを守りたくて戦っていた──いや、今も戦っているのだ。

 以前のキョウは、シズノが舞浜に来ることを拒んでいた。その理由は今では分かる。だからこそ、シズノはやはり彼とは距離を置くべきなのだと、何度となく自分に言い聞かせてきた。
 実際、彼の危惧したであろうとおりに、舞浜に降りたシズノはそのことで痛みを負う場面もある。彼を見ていればそれだけ、辛い思いをすることもある。
 けれど、それでも、キョウのそばに居たい。
 それが、偽らざるシズノの本心だった。


 クロシオが茶道部に居るのは、イリエに気があるからではないのか。そう言ったリョーコの推論は女の子らしいものだ。そのやりとりを思い出して、ふとシズノの心に浮かんだ思惑があった。
 水泳部に、入ろうかしら。
 学年の違う年下の男の子であるキョウのそばに居たいのなら、放課後を共に過ごせる部活が一番の早道だ。

 だが残念ながら、明日から期末試験が始まるために、部活動は停止となる。それで今日、駆け込みで茶道部の部活が行われたのだ。明日になれば、期末試験が終わるまで放課後のプールにキョウは居ない。
 ──タイミング、悪かったかしら。
 そうは思うのだけれど仕方がない。それまでに、もっともらしい理由を考えておこう。あくまでも自然に、水泳部の一員になれるように。

 それに、シマが腕相撲の件で焚きつけてみせたように、キョウにはあまり時間が残されていない。舞浜サーバーはその処理能力の限界から、八月三十一日でリセットされてしまう。セレブラント以外の幻体の記憶も、街の様子も、五ヶ月前のものに戻ってしまうのだ。
 今はまだ仲違いしているキョウの友人達。彼らと仲直りできたとしても、同じ水泳部員として過ごせる時間は、八月三十一日までが限度なのだ。リブートされて記憶を失い、二つの世界の狭間で逡巡したキョウは、従来ならばありえなかった衝突を彼らとの間に引き起こしてしまった。

 彼らとの喧嘩と仲直りの繰り返しは、キョウが舞浜サーバーで生きていく以上は避けられないものだ。それが以前のキョウを追い詰めた一因だったとしても、それを取り去ってしまうことはできない。
 シマに出来るのは、水泳部に対するキョウの本気を取り戻させて、一日でも早く彼らとの仲直りが出来るように見守ることだけだ。せめて一日でも長く、水泳部の友人としての日々を過ごせるように。

 ならばシズノに出来るのは、水泳部に入部することで、何らかの呼び水になることではないか。キョウのそばに居たい、それだけではなくて、少しでも彼の力になれたら。そのために、シズノは舞浜に来たのではなかったか。

 七夕の笹飾りを持って公園に現れた親子連れは浴衣を纏っていた。それに目を引かれて、シズノは猫を抱きながら、作法室でのイリエとミナトを思い出していた。
『浴衣の女の子は、良いものだよね』
 そう言って笑った、シマの顔まで思い出した。

 シマのあのような緩んだ顔を、シズノは今まで見たことはなかった。長い付き合いのはずなのに、シマといいキョウといい、舞浜に何を隠していたのだか。
 ──そういえばキョウは、シマにはその両手を手に取ってまで水泳部に勧誘しておきながら、私には何も言わないじゃない。それってどういうことなの。水泳部のPRビデオのモデルまでやってあげたのに。いくらそれが、キョウがこの世界を救うことに対する交換条件であったとしても。

 次々と思惑を並べているうちに、不可思議な想いが湧き上がってきて、シズノは唇を噛んだ。膝の上の猫が身じろぎするのに、シズノは猫を抱く手に入れてしまっていた力を緩めた。こちらを見上げてくる、猫の顔を覗き込んでシズノは問い掛けた。

「ね、私にも浴衣って似合うと思う?」
 猫はにゃおん、と高い声で鳴いた。
「そう」
 シズノは、舞浜での新しい楽しみを見つけた。いつか浴衣を着よう。あんな風に歩けたら良いけれど、彼は付き合ってくれるだろうか。
「どうかしらね」
 天を仰いでそう声に出してみると、言葉は宙に消えていく。視線の先の空は雲に覆われて、残念ながら七夕の星は見えなかった。

 一年に一度相まみえるという、星空の恋人達。天の川を挟んで輝くヴェガとアルタイルにそんなロマンスを夢見た古人は、離れ離れになっていても想いは繋がっているものだと信じていたのだろう。
 今は、離れ離れになっていても。
 シズノは小さく息を付き、猫を一撫でして地面に下ろすと、再び舞浜サーバーから姿を消した。


 期末試験が終わって、プールサイドで水泳部の入部希望者を待つキョウの前に、ハヤセとウシオが現れた。
「女に釣られて入ってくる奴なんか、戦力になんねぇだろ」
 そう言うハヤセの一方で、シズノのPRビデオを巡ってウシオが下世話なやりとりを仕掛けてくるのは、彼なりの照れ隠しだろうか。体格の大きいウシオにひょいっと担がれたキョウの首に腕を回して、ハヤセが頭を小突いてくる。乱暴に扱われながらも、以前のように気の置けない二人が帰ってきてくれたのが、キョウには何よりも嬉しかった。

 ──オレの本気を、こいつらはやっぱり分かってくれた。ならきっと、カワグチだって。
 じゃれあっている三人の前を、思いがけない水着姿が過ぎる。
「少しは練習に出ないとね。私が入部しないと、看板に偽りありでしょう」
 平然とそんなことを言って一人で先に泳ぎ始めるシズノに、三人は快哉を上げた。


 私より先に入部届を出すなんて、やっぱり友人としての絆は強いのね。
 準備体操をしている三人を見ながら、シズノはそう思った。結局シズノは、キョウにとってはイレギュラーな存在でしかないのだろうか。開放されたプールの屋根から見える青空には、一つだけぽつんと浮かんだ雲が、所在なげに流れていった。
 水泳部の部員はこれで四人。規定の五人にはあと一人となった。キョウに残された夏の日々を、彼と同じプールで見守っていこうと、シズノは思っていた。


(0808.17)




あとがき

 生徒会の4人が茶道部だという捏造設定の創作は、天野レンさんの「茶道部にて」が先に出ています。この茶道部の話はレンさんとお話していた折に着想したものでして、設定など一部共通しています。
 ということで、『決戦! 腕相撲』の続きの七夕茶会です。日程を1日単位で睨んでいたらこういう話になったのですが、#01で東京サーバーのサルベージをしていたのは、そのついでにシマが舞浜に寄っていたのではないかと思い当たったりも。浴衣については『on cloud nine』もどうぞ。


■■■ ご意見・ご感想をお待ちしております(^^)/ ■■■

mail

■ ひとこと感想 ■



back ◆ 3/3 ◆ Topゼーガペイン