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ヒロインとしてのカミーユ? その2

 さてさて「カミーユ・クローデル」のお話です。カミーユ・クローデル(以降クローデル)がカミーユ・ビダン(以降カミーユ)のモデルになっているということは、本放送終了直後から周知の事実ではありました。平成元年頃にクローデルの物語は映画化されまして日本でも公開されましたが、この折りには巡回公開だったようで、「『カミーユ・クローデル』見ましたか?」がカミーユファンの間の挨拶になっていたこともありました。バンダイでビデオ化されたのもかなり前になってしまいましたね……まだお店にあるのでしょうか?クローデル役のイザベル・アジャーニがとにかく綺麗でした(*^_^*) クローデル関係の書籍を読む限り、かなり史実に忠実な映画化で、好印象を持っています。

 クローデルの回顧展も何度か催されましたし、映画もリバイバル上映がありましたし、NHK「夢用絵の具」でも取り上げられまして(ポール役でのナレーションが古谷徹さんだったというおまけつき)、まぁ割と認知されてきたのかなぁと思ってはいます。

 そんなクローデルの人生を踏まえてカミーユのキャラクター設計を眺めると、確かにモデルなんだなぁと思ってしまうことしきり。クローデルの末路が先にあって、カミーユのオチが決まってから、Ζの物語が出来ているようにも見えます。Ζはこれ一作で完結する作品ではなく、これ以降に「ガンダムシリーズ」を続けるためのものだったのですが(このあたりは「ガンダム神話Ζ」参照)、主人公は使い捨ててしまえる物語でした。なら、当時富野さんが好きだったというクローデルを描いてしまおうと思ったというのは分かる話です。どこまでも男の子なのに、妙に女々しいのは仕方ないことだったんですね。でも、カミーユの魅力は「少年」であるところにあると思いますから……って、散々「かみ子」呼ばわりしているわたしに言えることなのか?

 ただ、LD-BOX 1の富野×庵野対談で、「クローデルにとってのロダンは、カミーユにとってはΖという物語そのもの」という富野さんの言葉が出てきて、そりゃ難しいですよおトミさん!状態。いやそのあの、言わんとするところは凄ぉく良く分かるような気がするんですけど。この言葉が出てくるまでは「ロダン=クワトロ説」が有力? だったんですけどね。

(9907.24)


 というわけで「ヒロインとしてのカミーユ?」のつづきです。「5つの誤解」と同じことではあるんですが、この続きの「物語と主人公」の前には出しておきたい文章でしたので。
 先に触れました「Ζは少女マンガである」は、まだ宿題のままです。


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